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不動の価値観

舗装される前には、移動に便利な整備された道路を欲し、 そのどろどろの道に貧しさを感じながら、 しかし、日本中の道路がアスファルトに固められまくると、 ほんのわずかに残った未舗装の道路に 貴重な文化財を見つけたかのように、 豊かな時間と郷愁を感じるというのもいかがなものか…            司馬遼太郎 価値観の曖昧さが分かる言葉だ。 価値観にこれが絶対だなどと言うものは無いのかもと思う。 いつだっただろうか、最近の事。 「ピカソ初期の作品“花かごを持つ少女”125億円で落札」 それから何日も過ぎない日の夕方 「某有名大学、学生食堂の壁画“きずな”が リフォームの為、廃棄処分されていた」 という二つのニュースが流れた。 この対処の差(作品の価値や値段)を比較する気は無い…。 ただ、ピカソと面識はない(当たり前かな^^)、 「きずな」の画家とは面識があった。 だからそれがどうしたのと言うものでは全くない。 ピカソの“花かごを持つ少女”125憶という価値観は分からない。 これはアートの価値観による値段というより 投資家の目による値段なのだろうとは思う。 ただ、ピカソの若かりし頃の作品「花かごを持つ少女」と 学生食堂の「きずな」の作品の差。 その価値観の無意味さは 良くも悪くも戦後、価値観がひっく反された日本社会に根ざしているのかな? それとも、不動の価値観などはじめからなくて、 飽きっぽく流行りものが好きな江戸人になりたかった人達 彼らにリードされてきた日本人らしい出来事かもと、思ってしまう。 私は「花かごを持つ少女」も「きずな」も 同じくらい興味はない^^ 絵画の一点もオークションで落札など、夢にもありえなく 何の力もない私が騒ぐことでもないけれど(ノ∀`)・゚・。 と、何だかいろいろ言ってみても あれもこれもどれも、私の中にぐったり潜む 価値観という残骸との褥(しとね)にゆらゆら揺れ 不甲斐なく生きる^^

堪忍袋(?)の独り言

ダラダラと書いて推敲なくUP ( ´艸`) 大衆はしばしば案山子をも礼讃する。 ソクラテスは処刑された。 アテネの民主制の中、不当な理由で訴えられ 煽動された大衆の多数決により死刑が決行。 プラトンはソクラテスの死を嘆き 「愚かな大衆によって政治が動かされるよりも 少数の思慮深い人の指導によって国は治められるほうがよいのだ」と 衆愚政治を批判した。 もちろん、自由・民主をそのまま 現代のグローバリズムの中で単純に比較はするのは出来ないことだろうな… 古代ギリシャという都市、つまり鐘楼のパトリオティズムでの話なのだし。 そして今グローバリズムの中で 民衆が夢見た民主主義 自由はどのような軌跡を辿っているのだろう? グローバリズムは多くの問題を噴出させ 「大衆はしばしば案山子をも礼讃する」という危うさに手渡されたSNSは 問題噴出を加速させていることは否めないようだし。 民衆の権利と自由は二律背反を並走し フェイクニュースは十数%を超えたと言われる。 裏付けのない情報を含めば十数じゃなくて、数十%越えだよね^^ 「自由」という誰も反対することのできない言葉を御旗に グローバル化の中、タックス・ヘイヴンなどの既得権益を操り たったの62人(世界人口は約73億なのに)の大富豪が 全世界の半分の富を所有するという格差社会を生み出してもいる。 これらが民主主義の自由と平等だと言われても、俄に納得できやしない。 神の時代からつづく争いの歴史も終焉などなく。 それぞれの自由を重んじる現在、そんな程度のこと と、思ってしまう価値観の差で、争いが起きるようだし。 確かに煽動された大衆に揺れる国も悲しい奇跡を辿るし 自由のない情報規制をされて、反対勢力は逮捕とか死刑だなんて 思想統制された国やリーダの下で暮らすのも、当然だけど拒否したい。 けれど「少数の思慮深い人の指導によって国は治められるほうがよい…」 プラトンのこの部分は、良い意味でブータン王国にみることができるのかな(? 過酷な自然環境に適応した暮らしと、伝統文化に培われたおおらかな国民性が ありのままを「受け入れる」という彼らの生き方を形創ってっ

わたしと影法師と

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The soul would have no rainbow if the eyes had no tears. 目に涙がなければ魂に虹は見えない ネイティヴ・アメリカンのことわざ 一万年の旅に語られる哲理が 懐の深い文化を育んできたからだろうか 生きる知恵や英知としての気難しさはなく 身の丈を映し寄り添う、鏡の裏の影法師 ^^

まだ夢うつつ

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とある日のこと、 海外チャンネルのニュースを聞いて検索を掛けた。 やや古い記事だが、再燃しているようだ。 記事の内容全体が分かりやすいのがこのサイト。 TechCrunch Japan 要約すれば、 『連続殺人犯逮捕へと導いたDNA分析サイトは、 ユーザープライバシーに関する懸念を再燃させる』 DNAのデータ情報でゴールデンステートキラー (カリフォルニア州連続殺人事件の犯人)の 未解決事件が、 解決されたことが明らかになった。 DNAによる 『オンライン家系図データベース』の 無料利用が一般的になりつつある今日、 日本でも女性雑誌などに広告が掲載されているらしい(驚! 家で飼うペットの血統を調べるのとは ちょい話が違うから、 DNAを調べるのはいいけれど 安易に情報提供は気を付ける必要ありかなと思う。 そう言えばアンジェリーナ・ジョリーが DNAで将来の癌発症を予測し、 乳房を切除したニュースが話題になったのは記憶に新しい。 ということは、DNAは将来の病気を予想するだけではなくて、 犯罪を犯すDNAが特定されれば 「DNAによる未来の犯罪者を管理する時代」を 暗示しているということになる…、ということを連想させる。 現実、犯罪者のDNAの研究は進んでいるらしい。 私の先祖…(? そう、どんな人たちと繋がっているのだろう? 「人類はアフリカの一人の女性から始まった」というイヴ仮説も、 「私たちも全ての物質も、みんな星の子供なのです」という宇宙スケールのロマンも、 全ての命は繋がっている事を示唆してると思えば…^^ そう、私はその夜、ビックバンにはじまり、 生まれた星が、融合と分裂を繰り返す光景を夢に見る。 そしてミトコンドリアが分裂増殖して行く姿が重なってきた! …、と夢の途中に、目覚めて思う。 …、と言う事はある日突然 「○○○年前にさかのぼっての検証結果、 貴殿はシュメルの 罪人に繋がる因子を持っていると証明されました。 よって、要注意人物リストにUPされます」 だなんて『お知らせ』が届いたりして…!!! わたし、私は 「DNAを調べていないし、登録していないから安心」 なんて、高を括っていられない。 日々、あちらこちらにDNAをばら撒きながら生

ちょっと惹かれる

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ちょっと惹かれる「さりながら」 立ち寄った古本屋さん。 なんとなく気になった背表紙のタイトル。 『さりながら/フィリップ・フォレスト著』 流水のふたたび帰り来ず、 落花ふたたび梢にもどらず。 さりながら… 思いきることのできない恩愛之絆というもの、 超えてなのか、諦めてなのか、 こころが辿り着いた場所なのだろうな。 一茶の句から、タイトルを選定したようだ。   つゆのよはつゆのよながらさりながら  一茶 俗っぽい生き方をした俳諧師だけど、 懐かしく思う一茶との再会。 一茶の恩愛の情も著者(P・フォレスト)の恩愛の情も いつか時が解決する、というものではない。 まして、忘却などあり得るはずもない…。 けれど、いつか時を経て、 主体と客体が沁み込むように同化する時、 きっと、穏やかに流れる時間に出会う。 そんな気がした「さりながら」。

シンギュラリティ

将棋も囲碁もAIが勝利した。 やっぱりなのか、ついになのか、 AIはアート(ネイルアートじゃないよ^^)の世界も席捲。 人工知能が描いた絵画が$43万2500で落札されたし、 人工知能が描いた絵画がルーメンで金賞を受賞した。 シビア―な話題ではAI登載キラーロボットの国際会議が開催。 なんだか原爆はアメリカが先行したからじゃないだろうけれど、 キラーロボットはロシア、中国が先行しそうな勢いだ。 知識が皆無でもあっても、原発もだけどキラーロボットも拒否したいよね。 だけどこうして、AIの時代がリアルになってきた今、 足元では、やがてAIに仕事が奪われるだろう現実が始まっていて、 2025~2035年には49%の仕事が失われるという試算がある。 過半の仕事が失われるのを否定する人も少なくなった。 (そう言えば労働力輸入の政策、AIの時代をどのように見据えているのかな?) そんな人々の不安「仕事が無くなるかも…」への担保に 期待されているのがベーシックインカム (これは既存の社会保障制度とは異なる制度)という手法。 働かなくても、生活費が受け取れるという夢のような話。 究極、働かなくてもよくなった時の生産性、創造性、未来性なども大切だけど、 私が最も気になるのは精神性かな…、影響がとても気に掛かる。 既に、AI、ITの大手企業から資金提供を受け、 実験的に導入(オランダとかフィンランド等で)されているらしい。 どのように推移しているのだろう、進捗が知りたいよね。 けれど、未来に来たるAIの時代は、 私たちの想像を遥かに超えるものらしい。 シンギュラリティ (*1) を提唱するカーツワイルは 著書で2045年がそのポイントだといっている。 コンピュータと人間の知能を比較する「チューリング・テスト」には 2020年代の前半に、AIが合格する。 つまり、AIは人間を超える(ないしは並ぶ?)のが2020年頃と言う事らしい。 そしてシンギュラリティはその上の現象を意味 しているのだ。 (*1)   シンギュラリティ   数学や物理学の世界でよく使われる“特異点”を意味する概念。   AIで使われるシンギュラリティは、   技術的特異点(テクノロジカル・シンギュラリティ)を意味し   レイ・カーツワ

月が綺麗ですね^^

友あり神戸より来るまた楽しからずや…? 事業に成功したAは この田舎の垢ぬけない食文化に何を求めやって来るのだろうか? 地中海気候に似ているという神戸の野菜は美味いし。 明石の魚はもちろん食べつくしている。 そんな美食家の接待は気を遣う。 なのに、 「美味しい昼time探しておいて!」などと、気軽に言ってくる。 まあ、まずくても文句を言う人ではないけれど(*´v゚*)ゞ それにしても、美食家からお店探しを任されるのはシンドイ。 my work /co皿 この田舎に美味しいもの? ないわけない,,,じゃない…(?、だろうけれど。 普段、気にして散策していないからデータの蓄積がない。 そろそろ終わりの落ち鮎は高いだけで美味しくない。 マツタケは高すぎて手が出ないし、 10月も末だから鰻もいいけれど、 天然だと高いかな、でもマツタケほどではないだろう。 そう言えば引っ越してきてから、 国産マツタケも天然鰻もご無沙汰かな…(-゛-メ) まあ忘れているくらいだから執着もないのだけれど…と、 いろいろ考えあぐね時間がすぎた。 で、探すのも疲れそうだから「当日、探そうよ」と伝えた。 そしてとどのつまり、路面の定食屋にお腹を空かせ飛び込むこととなった。 そう、なんの変哲もない定食を食したのだ^^ 根野菜の煮物におしたしの胡麻和え、サンマの塩焼きにお味噌汁。 (多分自家製1年目のお味噌、熟成してないけれど個人的に香りが好きだ) 白いご飯にお新香2切れが、申し訳なさそうに添えられていた。 そして、、、お幾つぐらいだろうか ドッキリイイ女の心ある接客が、居心地の良い店だった。 美人とは、こんな人を言うのかもしれないなぁ~。 彼女の飾らない笑顔が、フルコース(?)のご馳走になった。             〆てお一人様、780えんなり。 「美味しい昼time探し」は好評だったかな? 帰り際、レジの前に立ったAが満面の笑顔で言う。 「ご馳走様、とても美味しくいただきました」 「おいしい」というのは お料理の味を誉めるだけの言葉でも、、、ないんだね。 何だか漱石の「月が綺麗ですね」みたいだな…(^_-)-☆

論語と算盤

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野球は知らなくて興味もあまりない。 とくれば、ドラフトなんて尚更だ。 でも、私の耳に飛び込んできたのが ドラフトで話題になっていた青年の読書歴。 (もう、青年でいいよね^^、名前は敢えて明記しないから) 『論語と算盤』を愛読‼ しかも高校生であることにかなり驚いた。 私がちゃんと読んだと言えるのは(恥ずかしいけど)30歳の頃だ。 学業、スポーツ(野球)と忙しく、目移りだってする年頃に 自ら手に取る類の本ではないと思うのだけど、 その本をすすめたのはご両親だろうか? 環境に恵まれていたんだなと思う。 実はつい最近だ、クライエントと仕事の打ち合わせをしていた時、 なんと非情で愚かな考え方をするのかと驚いたことがある。 その人を少しは知っていたこともあり、それはかなりショックだった。 その時、偶然にも私は渋沢栄一の話をその人にしていたのだけれど、 「そんな話は誰でも知っている!」と、その人は突っぱねてきた。 慈善事業じゃない、社会には表と裏があるのだ…、ということらしい。 この仕事したくないな、そう思いながら、 悶々とした日々を過ごしていた時だった。 誰でも知ってる…、きっとそうだろう。 知っている人は多いだろうし、読んだ人も多いだろう。 でも、未来のどこかで同じような場面に君が立ったら 「そんなの高校時代に読んだし、誰でも知ってることだ!」 とは、言わないでほしい^^

いろはにほへと

小町の歴史に触れたのは銀座で仕事をしていた時。 企画のイメージに使えるだろうかと調べ始め 260 を優に超える小町伝説と 誕生と終焉の地の余りの多さに驚いた。 当時、若過ぎた私には 小町の壮絶な人生を正面から捉えることが出来ず 途中で調べる事をやめたのだけれど 今…、一つひとつ諦めを足す人生のタイミングに 開発の手に見事寂れた鄙の地で、小町伝説に再び出会った。 「門前にあるでんがくのお店に行きましょ」友人からのメール 場所をネット検索していたら、鐘楼の生活圏に 260 余りの物語に漏れることなく、小町伝説が眠るのを見つけた。 目的が「花よりだんご」であってもなぜか懐かしい。 弘法大師により創建されたと云われるお寺の本坊と東院は 500m 程離れていて その東院に小野小町の分身が祀られているらしい。 皮膚病(かさ:今の天然痘)になった小野小町が お寺に篭もり治癒を祈願したところ 夢のお告げで薬水(美濃の国にある霊泉)を授かり完治。 その後、薬水の出るほとりに分身を祀り 東院は「かさ神薬師」と呼ばれるようになった。 傍らには小町の歌が刻まれた碑がある。   人ごとに汲めば薬と岩清水湧きて恵みを松の下蔭 小町は平安時代に活躍した女流歌人で絶世の美女 しかしその一生はけして平安なものではなかった。   花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに 花の色は切ない…、そう思う。 美女つながりにもう一人 大正三美人の 1 人とされる柳原白蓮が 1952 年 かさ神薬師を訪れ歌を詠んでいた事を知った。   やまかげの清水にとへばいにしえの女のおもひかたりいずらく 白蓮がどの様な契機でこの地を訪れたのかはしらない。 歌われている『いにしえの女のおもい』は小野小町の思いだろう…(? その「おもい」を鑑みるに、衰えていく容姿を受け入れて行く切なさを 共有するもののように思えてくる。 白蓮がこの歌を詠んだのは 60 歳代らしい 男の視線を一身に集め、一世風靡した身であれば 小町の皮膚病の悲しみは如何ばかりのものだったのか きっと、察し

思いを重ねて^^

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あれは菜種梅雨の頃でした。 急に降りだした雨、 父親を迎えに来たのでしょう。 少年の手には背丈にあまる大きな傘がありました。 すこし持て余し気味に揺れて、肩を濡らすのですが その小さな手は、しっかり傘をつかんでいました。 その光景は、ときどき見る夢の こころに掛かるものに重なって映ります。 伝えることが出来なかった思いがある。 伝えられない思いがある。 キラキラ思いを重ね、日々は過ぎるようです^^ *image:るりしじみ♂      我が家のちいさな庭を訪れてくれたのは数年前。      雨上がりの滴が涙のように置かれていました^^

大きくなったら

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大きくなったら       僕のお嫁さんにしてあげる。 たわいのない記憶の重さは 小首を傾げた足取り以上 はみ出しそうなランドセル未満 ラジオから流れる”恋のフーガ” ちょいおませな君が、好きだった曲だ♪~ なんだか懐かしく蘇る^^

おかえり

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「子どもの頃、田舎は水道が整備されていなくてね。 毎朝、バケツで水を汲みに行くのが僕の日課だった。 底冷えのする冬は堪えたな…」 いつだったか、 君がそんな昔の話をしてくれた。 小さな手にバケツの水は重かっただろうな。 懐かしい影がゆれて   小走りに足音が近づいてくる  ピカピカのほっぺに  ひからびた涙  おかえり^^

SNSのモデレーター

It'sはとても考えさせられてUPしました。 まとまらない長文のうえ、興味ない話題かも知れません…、 その時はスルーしてください^^ PC歴は35年になるかな、 それでも基本SNS は興味がなくて というより、ユーザー数が爆発的に増えはじめてから 道徳性、フェイク・ニュースの氾濫、自己中的お祭り騒ぎに 地味な私は、ただついていけなくなっただけなんだろうな…。 (近頃は年の所為もあるかも^^ だから、FBやYouTube(昔はこんなに広告が入り込んでなったし、 ユーチューバーなんて儲かるものでもなかった) は随分昔にドロップアウトした。 もちろん、だからSNSのビジュアル版インスタやティックトックはやらない。 ただ、地味にPinterest(マーケティングに活用)は細々と続けている。 Twitter、こちらは某新聞社の体たらくに、偏る報道社会の怖さを覚えた時から 幅広い情報収集だけかな使用している。 TwitterのCEOはヘイトスピーチの問題で数年前来日した時、 「TwitterはSNSではない」と語っていた。 真相は定かではないが、FBのCEOよりは理解できる。 それともこれも気休めかもだけど…。 そのSNSの公害が見過ごせないのだ。 今回の世界のドキュメンタリーの中に、 SNSの大衆化が生んだ光と影、 その影(コンテンツ・モデレーターの焼け石に水状態の世界)の怖さと、 捨て石(私はそう思ったのだけど)として雇われた掃除屋の途上国の青年達、 そこに彼らの心を蝕んて行く現実が映し出されていた。  『 ソーシャルメディアの掃除屋たち 』   原題 Cleaners   制作 国際共同制作 このドキュメントは 報道写真「戦争の恐怖(The Terror of War) *1 」が FacebookやYouTubeの検閲規制により 『ソーシャルメディアの掃除屋たち』に削除されたことに 「ポルノ写真と戦争を象徴する写真を区別できていない」 と非難の声が上がっていたことで、注目されたのだろうと思う。 そこには メガ資本力をもった一企業(FB)が 途上国の貧しい若者をネット社会の掃除屋 (掃除屋=Cleaners=コンテンツ・モデレーター)に雇い、 彼らの健全な心を蝕んでいる。

今夜は十三夜。

  きみが手を添えてくれたらいいのにと   二日満たない長月の月                              It's 色々あって 「少し、さびしくもあるかな」と呟いた私に 「ヘッセの『霧の中』って知ってる?」と君は云った。 そうか、大勢に囲まれていても、十三夜ってあるのかも…。 満ちる日を待つ楽しみなのか、 それとも、 人間には尽きない欲望があるから だから、 いつも少し、 満ち足りないままなのか… 今夜は十三夜。

こころの贅肉 vs.目頭チクチク

行ってみなければ分からない、と思い 日曜日の午後、市民コンサートに足を運んだ。 演奏者も来場者もその80~90%が高齢者。 残りは0~6歳の子供を連れた夫婦が数組。 進行をメンバーでこなし たどたどしく語りかける司会者の可愛さは 今どきの20~30代のかまととぶりに見劣りしない。 そう言えば研究論文に、 今日、幼少・少年期の早熟さに比べ、 大人になれない青年が増えたという議論がある。 世界的傾向らしい。 ならば、今どき高齢者はその延長なのか。 ここに集う高齢者は「…矩を踰えず」の足枷は無縁で、 「煮ても焼いても喰えぬ」頑固さなども昔の話のようだ。 そもそも矩など声高に口にぜずも、いたって常識人で、 甘えたようなぶりっ子口調には馴染めないが、 (正直、我が姉もぶりっ子なのだが^^) 何となく摩擦を避けて賢く生きる術とも思える。 しかし驚くのはその若さかも。 アンチエージングの施術やサプリは当たり前の今日。 少しでも若くあることは必須のようだ。 わたし事でいえば、 若々しく可愛い文化人の条件(?)には追い付けないが、 最初の結婚相手が音楽業界では名のある人だったこと。 本場の音やミュージシャンに囲まれた時を過ごしたこと。 再婚の相手は起業家で、某美術雑誌編集長の経歴があったこと。 だから美術館は内外をこれまたそれなりに^^訪ね歩いたこと。 私自身は、それなりに、それなりに…(汗 ということで、引っ越して不足を感じるのが、 触れる文化が少なくなったということ。 それでも引っ越した頃は、 地域の歴史を歩き、東京、京都に出かけ、 窯元を沖縄から東北へ訪ねたりもした。 しかし、このごろ活動的じゃなくなり、 ダラダラ感にどっぷり浸かっている。 このままじゃと思い、地域のイベントに顔を出したのだけど、 こころに贅肉がつきだしたのか、何だかしっくりこない。 こうして時が過ぎ、次第に感性も鈍くなる。 表情筋もゆるゆるになってゆくのかな。 それでも、 文化からも芸術からも遠い話だが、 一行の言葉のかけらに感動し。 本当にわずかな人が見せてくれる、 これまた気付く人も少なくなった皺皺の人間臭さに 思わずクスッと笑みが漏れる。 そして一人、目頭をチクチクさせるのだ。 この頃思う、

よその牛蒡

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昨日の事、オンボロ愛車と深夜をドライブ。 事故とは無縁でゴールドなんだけれど 考え事をしていると、ついついピードが出る。 田舎道の深夜は、高速道路なのだ。 高速道路と言えば 免許取り立ての頃だった。 はじめての高速を走っていた時 突然、けたたましいサイレンの音。 「何かあったのかな」と思い、車線を左に変更。 まあ、人並みの常套手段だ。 吾ながらプロっぽく判断してるじゃない…、 などと、新米ドライバーはいい気になっていた^^v ところが、 「前の○○の車、停車しなさい!」と声がかかった。 ご指名は夜の世界だけだと思っていたのだから困ったものだ。 えっ!私がおまわりさんに指名を受けた…? そんな覚えなど全くなくて、 経験したことのない空白の時間が頭の中を泳いだ。 それでも、取り敢えず路肩に車を止めた。 後ろにピッタリついたパトカーから男の人が降りてきて 「ごぼう抜きしましたね」 他人の畑の作物を盗んだなんて、 そんなこと言われる筋合いなどないし、上から目線にプッチン。 「私、ごぼうなど盗んだことありません」と 真顔で答えていた。 ・・・おまわりさんの目が点だった。

月を見守る

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無駄な事ばかりに手を焼いて 焦って時間を使っていたりする。 ちょい疲れの騒めきが寝静まり そろそろ、暖など欲しいところだ。          まだ、早いのかな? 未熟そのものを抱え 同じ言葉を話しているとは思えないほど コミュニケーションがうまくいかなくなくて このごろ、黙ってしまうことが増えた。 私自身の状態が問題かもしれないと思う。      月を見守る空気が、おいしく透き通り 秋が駆け足でやってきた夜。 気温の激しい変動に、つめたくなった膝を抱え 乙女心の秋は、ややセンチになるようだ。 あ~っ! 乙女って何歳だと思っているかと、天の声 ( ノ∀` ) ・゚・。 気を取り直しちょい脱線のお話! 先日、もう10月も半ばになるというのに 残暑のようなジトジト感に食欲もなく 涼を求め(?)飛び込んだうどん屋さん。 ちょい遅いお昼を注文。 「冷たいうどんくださ~ぃ」 「ころうどんですね」 「いいえ、冷たいうどんです」 「ころうどんが冷たいうどんです」 「じゃあ、それ一つ^^」 で、”ころうどん”とやらを口にした。 「”ころ”って何の意味ですか?語源は何ですか」 とお店の方に矢継ぎ早に質問。 その謂れをお店の人は誰一人知らなかった、お客さんも ( @ _ @; 地域文化の中で、 いつの間にか固有名詞として定着、日常にあったようだ。 多分、アメリカという固有名詞を なぜアメリカと呼ぶのなどと 普段では気にしないみたいに^^ 因みにアメリカ の由来はこちら →  由来メモ で、さっそくころを調べた。 ころ= 香露     ↑ wikipediaにアクセス ”ころころ”って可愛いい響きもあるし、 漢字からくるイメージもいいかも^^

人は三度死ぬ^^

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カリカリと豆を挽いて 熱い珈琲を淹れた。 さて、 こころに一番掛かるものを一つ片づける。 幾度も引っ越しを経験して あれこれ廃棄するのは慣れている。 しかし、今回は少し大変だ。 この秋から一年を掛け、 最後の引っ越しになる準備を始めたのだ。 今まではその都度、廃棄するものをフルイにかけた。 粗目のフルイから始め、徐々に条件を厳しくするのだが そのフルイが女々しくて私には問題なのだ。 結局、かなりの残骸を引き連れながらの引っ越しだった。 大切なものを残して後回しにするということは 結局あれにもこれにも執着を残すようだ。 必要ないものからじゃなくて 水茎の跡が滲む手紙。 最初に、それを捨てることにする。 大丈夫、生きている間は忘れない。 人は二度じゃなくて三度死ぬのかも^^

ちょい欠け名月

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一日早い名月だ ! 芋名月ならぬ大根名月^^ 我が家の名月だ。 …名月にしては形が今一(今二? 満月の日付がずれて 満ち足りないちょい(×2)欠け模様。   今年の満月の瞬間は、9月25日11時52分らしい。   大根名月の写真(下の大根のたいたん)をクリックすると   「 国立天文台暦計算室の暦wiki 」にアクセス。   満ち足らぬ名月のWhy?が知的な言い訳をしているページ  (  ´艸` )    ちょい欠けの大根たいたん秋の月   It's 欠けた夜は寂しくある。 大根のたいたん、 君は美味しいと言ってくれただろう^^ 過ぎて行くのは靜かに夕餉の時間。

美味しい朝

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自家製酵母を育て、フランスパンを焼いてみた。 ここ数日、6㎝の角食パンをmy酵母で焼くのだけど3度の失敗。 スイーツはよく作った、もち、自前のレシピだ<(`^´)>  しかしパンはちょい難しい、しかもmy酵母から作りたくて奮闘した。 酵母も初めての我が子だし、 モルトやタンパク質の事、発酵温度管理等々、 基礎もないのだから無謀と言えば無謀かな。 そんなこんなに、夏はパン作りに向いてないらしい…? そんなことも分かってきた^^ バタバタ奮闘記の4回目のパン作り。 今回は、気分を変えてフランスパンにした。 二次発酵まで辿り着き冷蔵庫へ。 ホットして窓の外に視線をなげると 風に巻き上げられた簾の向こう、フェンスに絡んでいたはずの薔薇の姿もなく。 見通しの良くなった庭では、コニファーが80度傾いている。 思わず土砂振りの庭に飛び出した。 横殴りの雨にあられもない姿で、飛んできた板を除き、 やっとの思いで傾きを戻したコニファーに、可能な限りの支えを施す。 ずぶ濡れになって、取り敢えず大丈夫と家の中に戻ったら 今度は停電(午後4時頃)!!! 冷蔵庫で二次発酵をしていたmy酵母のパンも諦めモード。 激しい雨音に心配で眠れそうもない夜かなと思ったが、 なんてことない、ぐっすり眠っていたようだ   (* ´ v ゚ *) ゞ  目覚めたら、いつの間にかライフラインも復旧。 点けっ放しだったあちこちのスイッチをオフにして フランスパンをオーブンに投入。 シャワーを浴びる。 できた! 完璧じゃないけれど、まあまあかな。 置き土産もウンザリするほど盛り沢山に 足早に通り過ぎた嵐の朝を、焼き立てのパンで迎えた。 災害に対処する気は、今更ない。 一人残され、ダラダラ生きている現実は重い。 それでも、ホッとして、おいしいと思う朝だった。 ・・・、~ 。

そらのいろ

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ゲーテはイタリアを訪れたとき 色彩の豊かさと光に感動して「色彩論」を著している。 ドイツはイタリアに比べると光が乏しいからのようだ。 つまり地域によって、昼の自然光で映える色相の基調が異なり 育まれる色彩に特徴がみられる。 だから日本にも日本の色というのがあるってことかな… そんな恋歌に織り込まれた日本の宙の色を4つ。 色の呼び名も美しく、たおやかで微妙なこころを想う^^ ちぐさいろ(chigusairo) 月草(露草)の別称。 つき草に衣色どり摺らめども移ろふ色というが苦しさ あなたの申し出を受け入れたいのだけれど 移り気にためらう心が詠まれる露草の色。 しおんいろ(shioniro) 紫苑色 野分(台風)の後の紫苑色の夕焼け。 吹き来る追い風は 紫苑ことごとに匂う空も… 中宮を見舞った夕霧が胸をときめかせた紫苑の花の香も届くような。 まそほのいろ(masoonoiro) 真朱の色 真金吹く丹生の真朱の色に出て言わなくのみそ吾が恋ふらくは あなたを恋する心は表立って色に出すのではなく 内に秘めて言わないだけです…と詠まれた、しのぶ恋の色^^ べにばなのいろ(benibanairo) 遠くエチオピアからシルクロードを旅して来た紅花。 紅の花にしあらば衣手に染めつけ持ちて行くべく思ほゆ あなたが紅の花なら、袖に染めつけて持ってゆきたい…と詠まれた恋の色。 平安時代、禁色の濃い紅色に対し、一般に使用を許された淡い紅色を 聴し色(ゆるしいろ)と呼んでいた。

夏もみじ

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この暑さの中、素焼きをした。 汗だくの、麗しさ(?)から随分遠のいた顔が洗面台に映るから ちょっと弱気な女がそこにいて これまた、うだる夏に弱気なもみじが、 窓の向こうで汗を拭いているのがわかる。 それでも、君と暮らし始めて6年目の夏。 どこからか飛んできて根が付いたのを 手塩にかけて(?)育てた^^ 背丈も随分のびたよね、1mは超えたかな…。 もみじだって花が咲く、目立たない小さな花だけど。 かわいい種がそろって飛び始めるのは秋の終わりかな ちいさな二枚の羽をつけてクルクルってね。 けれど、なかなか根つかないし 根ついてもほとんど育たないらしい。 なのに君は、頼りなげにも、よく育った^^ あなたは愛の種まきをしなくてはいけない、たえず、できるかぎり多く。 それが教育期間を経たのちの、あなたの生涯の仕事である。 どれもこれもみな芽をふくとはかぎらない。 その覚悟はしていなければいけない。 けれども、みなひどい石の地に落ちた種というわけでもない。 なぜなら、世界はひじょうに愛を必要としているから。                             Hilty

A Midsummer Night's Dream 

“下手の考え休むに似たり” にふさわしいわたしなのに… 盛りだくさんの考え事(?)に翻弄され 知恵熱だったかも…と、思いながら (* ´Д` *) ここ数日つづいた微熱に たっぷりの眠りを貪った。                   そんな、微熱のまどろみに見た夢です^^ 夕涼みをかねたドライブの途中でした。 ペルセウス座流星群が見ごろを迎えはじめたころ 流星を遮って落ちるように舞い降りてきたのは夜鷹でした。 山道の真ん中にしゃがみこんだまま動かないから 車を停めライトを消して、飛び立つまで待つことにしたのです。 6,500ケルビンの青白い光が斜めに差し込んで 対向車のヘッドライトに目が覚めるまでの短い時間 どこか捨て置けない物語に吸い込まれてゆく ほんとうに不思議な夢…、でした。 太陽に袖にされ、星座の仲間にもなれず どちらに属することもできずに 青い美しい光となって空に昇ったよだか     静かに燃えた小さな星   きっと、この広い夜空のどこがで   ポツンとひとつ   今も輝いているのだと、そう思うのです…            kenji /よだかの星より きっと、十年以上前のことです。 寝苦しい真夏の夜のことです。 ペルセウス座流星群が美しい そんな夜の夢でした。

ビューティフル・マインド

昼下がりの寝物語だ^^ 変わり映えのしないTVがつけっぱなしにされた休日だった。 「愛の方程式にこそ解がある…」 ノーベル経済学賞を受賞したジョン・ナッシュの言葉が 眠りを貪る前頭葉を駆け抜けていった。 映画『 ビューティフル・マインド 』は、 天才数学者の偉業と 統合失調症 に苦しんだ人生を描いた作品だ。 史実は人間の本性にリアルな出来事を含むものだし それは人間故の自然な葛藤だと思うから嫌悪はないものの、 映画の賛否はあるだろう。 ただ・・・、 「愛の方程式」には幾つになってもロマンを掻き立てられる^^ そう言えば2018年の春(?)亡くなったホーキング博士。 難しそうな数式が詰まってるだけかと持ってた脳みそはホロリと魅力的だった。 「自分の子どもたちに伝えたいことは?」との記者の質問に答え 「もし幸運にも愛を見つけることができたら それは稀なことであることを忘れず、安易に捨ててはいけない」 そうだね 愛は時間をかけ、ゆっくり育てるものだ。 数学や経済学者の頭の中は わたしは再び、うつらうつらと眠りに落ちた。 2018 07 16

ロボットっぽさと人間ぽさ

ロビと開発者の高橋智隆氏(?)が並ぶCM 後ろ姿のモノトーンの映像は 人間ぽさを感じさせて何となくほのぼの。 う~ん、ロビ、買(飼いたい?)いたいな、そう思わせるような。 後まで看取ってあげる体力に自信無いから動物は飼えそうにないし… それを理由にロビならば…、と思う私は ロビの人間ぽさを期待しながら 相手がロボットであるということに 無責任な飼い主であっても許されると ロボットぽさに安堵を求めている。 なんだか人間は勝手なものだね。 昔し観た映画 人工知能を持ったロボット、アンドリュー 『アンドリューNDR114 (1999年)』 人間になりたいと願うロボット(アンドリュー)が 長い年月を掛け人間の女性ポーシャと愛を育み結ばれるお話。 ミソというかそこが醤油、ポーシャは寿命を持つ生命体(人間)なのだ。 命に限りがある生命体とメンテナンスがされれば 永遠の命を持つことができるアンドリューとは 価値観にも基本的な違いがある。 物語のクライマックス 延命治療を拒否し人間の尊厳をもって死ぬことを選ぶ人間のポーシャと それを理解することが出来ない人工知能のアンドリュー。 しかし苦悩の末、愛するポーシャの死を受け入れいれてゆく葛藤が描かれる。 「あなたにもうすぐ会えますね(天国で)」とささやくポーシャの言葉に アンドリュー自身も、人間としての寿命を受け入れていく。 このごろ人工知能の進歩がクローズアップされている。 人間の複雑な認知活動をどこまで人工知能に反映できるのか疑問があるものの もし認知心理学の理論が全てを包括するなら 人工知能が人間のこころを持つことは理論的には可能(?)のようだ。 対して、IPS細胞がどこまで進化するのか分からないけれど 人の肉体もコントロールされるようになるとすれば 人間が長い歴史に哲学してきた『生と死』の問題は どのような結末を迎えるのだろう。 ただ…、 ポーシャがアンドリューを待つ天国 そんな世界が存在するかわからないけれど いつまでも生きられるという条件のなかでは 人が人として繊細なこころを持つことはなかったのではないか 人を愛することのゆたかな心も生まれなかったのではないか なんとなくそんな気がする。

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エアコンなどないころのこと 蚊取り線香とうちわをあおぐ影が縁側のまどろみにゆらいでいた。 慌ただしく過ぎた日々に姿を現すことなく ほんとうに長く、忘れていた夏だ。 満たされた時間だったのだろうか? 忘れた夏と一緒に一つひとつ記憶から毀れた四季の設えとも、 遥か遠くに暮らしているようだ。 なんてことない、オールシーズンOKですという 優れもののカーテンを洗濯機に放り込んで、 少し気だるい午後の日差に くすんだ日々も、一緒に放り込む。 けれども君が傍にあるころは 透き通る季節を暮らしていたような… あれは、わずかに汗ばむ夜のことだっだ。

眠られぬ夜

忘れていた本を何冊か注文 その中の一冊が『朽ちていった命』 ベッドに潜り込んで一気に読み終えたのは半年ほど前。 気が付けば深夜を回っていて 一杯の温かい珈琲を淹れて、そのまま朝を迎えた記憶がある。 朽ちていった命 NHK「東海村臨界事故」取材班(著) 新潮社  平成23/4/31 11刷 豊かな経済への希求に目隠しされ 社会の雑踏に忙殺されていったもの その一つひとつはこころが痛いと知覚されることなく 日々の喜怒哀楽に過ぎていく。 人間に忘却が許されていて どのような惨事であろうとも 距離を置いた対岸の火事は風化していくいくものだ…。 そう思っていたのだが 先日、被爆事故のニュースが流れ 本を手にした時のショックがフラッシュバックする。

ポリフェノール

珍しく健康志向のお話^^ 先日、本屋さんに併設されたカフェコーナーで 北海道黒豆のスナックを見つけました。 黒豆そのものの甘みが自然でとても美味しい。 普通の大豆より黒豆は美味だし栄養価も高いらしいのですが ただ、お値段も高いのが                      「豆に傷」… ( ノ∀` ) ・゚・。 北海道の黒豆のお菓子です 大豆にも含まれるポリフェノールは、ほとんどの植物に存在する成分で 自然界に 5,000 種類以上あるようです。 coffee にも、緑茶・紅茶にもね^^ 種類別に独自の効果があり、比較的短時間で作用しますが 効果は長期間持続しないので、こまめな摂取が必要とのことです。 身近な種類とその効果を取り上げてみると ①血圧を下げてくれるカカオポリフェノール(チョコやココア) ②脂肪を消費してくれるコーヒーポリフェノール( coffee ) ③美容作用が期待されるフェルラ酸^^(玄米) ④減塩にはイソフラボン(大豆、毎日お味噌汁ですね) ⑤血糖の上昇を抑えるカテキンは抗酸化作用もあります(お茶)  他にも色々働き者のポリフェノールのようです。 日常の中に自然な形で取り入れられるものが多いから 身体に気配り、しましょ^^           なのですが… ただ、こころの感動も健康や美容に作用する気がするのです^^ この記事を書きながら、 TV をつけっぱなしでいました( 3 月 1 日)。 1997 年に打ち上げられ土星を調べ続けた探査機「カッシーニ」が 2017 年 9 月 15 日に「土星突入」という最後のミッションを迎えた記録映像が放映。 なんだか繋がる命を感じました。 人間も含めて、身の回りのすべてのものは 恒星の進化の途中で生まれ、今宵の夜空に輝く星屑を受け継いでいるのだそうです。 数年前に聞いた「私たち人間は星の子供なのです」という言葉を思い出します。 BS プレミアム ☆NEXT「土星最接近 カッシーニのグランドフィナーレ」  2018 年 3 月 7 日(水)午後 11 時 45 分、 BS プレミアムで再再々(?)放送されます。  

しゃぼんだま

ふわふわ実体もない 貧血気味にまあるく まあるく閉じられて漂う

ソルトトレイ

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年明けの一つっきりだ!!! △画像をクリックで「すさび」にアクセスします。よろしければ^^