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10月, 2018の投稿を表示しています

論語と算盤

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野球は知らなくて興味もあまりない。 とくれば、ドラフトなんて尚更だ。 でも、私の耳に飛び込んできたのが ドラフトで話題になっていた青年の読書歴。 (もう、青年でいいよね^^、名前は敢えて明記しないから) 『論語と算盤』を愛読‼ しかも高校生であることにかなり驚いた。 私がちゃんと読んだと言えるのは(恥ずかしいけど)30歳の頃だ。 学業、スポーツ(野球)と忙しく、目移りだってする年頃に 自ら手に取る類の本ではないと思うのだけど、 その本をすすめたのはご両親だろうか? 環境に恵まれていたんだなと思う。 実はつい最近だ、クライエントと仕事の打ち合わせをしていた時、 なんと非情で愚かな考え方をするのかと驚いたことがある。 その人を少しは知っていたこともあり、それはかなりショックだった。 その時、偶然にも私は渋沢栄一の話をその人にしていたのだけれど、 「そんな話は誰でも知っている!」と、その人は突っぱねてきた。 慈善事業じゃない、社会には表と裏があるのだ…、ということらしい。 この仕事したくないな、そう思いながら、 悶々とした日々を過ごしていた時だった。 誰でも知ってる…、きっとそうだろう。 知っている人は多いだろうし、読んだ人も多いだろう。 でも、未来のどこかで同じような場面に君が立ったら 「そんなの高校時代に読んだし、誰でも知ってることだ!」 とは、言わないでほしい^^

いろはにほへと

小町の歴史に触れたのは銀座で仕事をしていた時。 企画のイメージに使えるだろうかと調べ始め 260 を優に超える小町伝説と 誕生と終焉の地の余りの多さに驚いた。 当時、若過ぎた私には 小町の壮絶な人生を正面から捉えることが出来ず 途中で調べる事をやめたのだけれど 今…、一つひとつ諦めを足す人生のタイミングに 開発の手に見事寂れた鄙の地で、小町伝説に再び出会った。 「門前にあるでんがくのお店に行きましょ」友人からのメール 場所をネット検索していたら、鐘楼の生活圏に 260 余りの物語に漏れることなく、小町伝説が眠るのを見つけた。 目的が「花よりだんご」であってもなぜか懐かしい。 弘法大師により創建されたと云われるお寺の本坊と東院は 500m 程離れていて その東院に小野小町の分身が祀られているらしい。 皮膚病(かさ:今の天然痘)になった小野小町が お寺に篭もり治癒を祈願したところ 夢のお告げで薬水(美濃の国にある霊泉)を授かり完治。 その後、薬水の出るほとりに分身を祀り 東院は「かさ神薬師」と呼ばれるようになった。 傍らには小町の歌が刻まれた碑がある。   人ごとに汲めば薬と岩清水湧きて恵みを松の下蔭 小町は平安時代に活躍した女流歌人で絶世の美女 しかしその一生はけして平安なものではなかった。   花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに 花の色は切ない…、そう思う。 美女つながりにもう一人 大正三美人の 1 人とされる柳原白蓮が 1952 年 かさ神薬師を訪れ歌を詠んでいた事を知った。   やまかげの清水にとへばいにしえの女のおもひかたりいずらく 白蓮がどの様な契機でこの地を訪れたのかはしらない。 歌われている『いにしえの女のおもい』は小野小町の思いだろう…(? その「おもい」を鑑みるに、衰えていく容姿を受け入れて行く切なさを 共有するもののように思えてくる。 白蓮がこの歌を詠んだのは 60 歳代らしい 男の視線を一身に集め、一世風靡した身であれば 小町の皮膚病の悲しみは如何ばかりのものだったのか きっと、察し

思いを重ねて^^

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あれは菜種梅雨の頃でした。 急に降りだした雨、 父親を迎えに来たのでしょう。 少年の手には背丈にあまる大きな傘がありました。 すこし持て余し気味に揺れて、肩を濡らすのですが その小さな手は、しっかり傘をつかんでいました。 その光景は、ときどき見る夢の こころに掛かるものに重なって映ります。 伝えることが出来なかった思いがある。 伝えられない思いがある。 キラキラ思いを重ね、日々は過ぎるようです^^ *image:るりしじみ♂      我が家のちいさな庭を訪れてくれたのは数年前。      雨上がりの滴が涙のように置かれていました^^

大きくなったら

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大きくなったら       僕のお嫁さんにしてあげる。 たわいのない記憶の重さは 小首を傾げた足取り以上 はみ出しそうなランドセル未満 ラジオから流れる”恋のフーガ” ちょいおませな君が、好きだった曲だ♪~ なんだか懐かしく蘇る^^

おかえり

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「子どもの頃、田舎は水道が整備されていなくてね。 毎朝、バケツで水を汲みに行くのが僕の日課だった。 底冷えのする冬は堪えたな…」 いつだったか、 君がそんな昔の話をしてくれた。 小さな手にバケツの水は重かっただろうな。 懐かしい影がゆれて   小走りに足音が近づいてくる  ピカピカのほっぺに  ひからびた涙  おかえり^^

SNSのモデレーター

It'sはとても考えさせられてUPしました。 まとまらない長文のうえ、興味ない話題かも知れません…、 その時はスルーしてください^^ PC歴は35年になるかな、 それでも基本SNS は興味がなくて というより、ユーザー数が爆発的に増えはじめてから 道徳性、フェイク・ニュースの氾濫、自己中的お祭り騒ぎに 地味な私は、ただついていけなくなっただけなんだろうな…。 (近頃は年の所為もあるかも^^ だから、FBやYouTube(昔はこんなに広告が入り込んでなったし、 ユーチューバーなんて儲かるものでもなかった) は随分昔にドロップアウトした。 もちろん、だからSNSのビジュアル版インスタやティックトックはやらない。 ただ、地味にPinterest(マーケティングに活用)は細々と続けている。 Twitter、こちらは某新聞社の体たらくに、偏る報道社会の怖さを覚えた時から 幅広い情報収集だけかな使用している。 TwitterのCEOはヘイトスピーチの問題で数年前来日した時、 「TwitterはSNSではない」と語っていた。 真相は定かではないが、FBのCEOよりは理解できる。 それともこれも気休めかもだけど…。 そのSNSの公害が見過ごせないのだ。 今回の世界のドキュメンタリーの中に、 SNSの大衆化が生んだ光と影、 その影(コンテンツ・モデレーターの焼け石に水状態の世界)の怖さと、 捨て石(私はそう思ったのだけど)として雇われた掃除屋の途上国の青年達、 そこに彼らの心を蝕んて行く現実が映し出されていた。  『 ソーシャルメディアの掃除屋たち 』   原題 Cleaners   制作 国際共同制作 このドキュメントは 報道写真「戦争の恐怖(The Terror of War) *1 」が FacebookやYouTubeの検閲規制により 『ソーシャルメディアの掃除屋たち』に削除されたことに 「ポルノ写真と戦争を象徴する写真を区別できていない」 と非難の声が上がっていたことで、注目されたのだろうと思う。 そこには メガ資本力をもった一企業(FB)が 途上国の貧しい若者をネット社会の掃除屋 (掃除屋=Cleaners=コンテンツ・モデレーター)に雇い、 彼らの健全な心を蝕んでいる。

今夜は十三夜。

  きみが手を添えてくれたらいいのにと   二日満たない長月の月                              It's 色々あって 「少し、さびしくもあるかな」と呟いた私に 「ヘッセの『霧の中』って知ってる?」と君は云った。 そうか、大勢に囲まれていても、十三夜ってあるのかも…。 満ちる日を待つ楽しみなのか、 それとも、 人間には尽きない欲望があるから だから、 いつも少し、 満ち足りないままなのか… 今夜は十三夜。

こころの贅肉 vs.目頭チクチク

行ってみなければ分からない、と思い 日曜日の午後、市民コンサートに足を運んだ。 演奏者も来場者もその80~90%が高齢者。 残りは0~6歳の子供を連れた夫婦が数組。 進行をメンバーでこなし たどたどしく語りかける司会者の可愛さは 今どきの20~30代のかまととぶりに見劣りしない。 そう言えば研究論文に、 今日、幼少・少年期の早熟さに比べ、 大人になれない青年が増えたという議論がある。 世界的傾向らしい。 ならば、今どき高齢者はその延長なのか。 ここに集う高齢者は「…矩を踰えず」の足枷は無縁で、 「煮ても焼いても喰えぬ」頑固さなども昔の話のようだ。 そもそも矩など声高に口にぜずも、いたって常識人で、 甘えたようなぶりっ子口調には馴染めないが、 (正直、我が姉もぶりっ子なのだが^^) 何となく摩擦を避けて賢く生きる術とも思える。 しかし驚くのはその若さかも。 アンチエージングの施術やサプリは当たり前の今日。 少しでも若くあることは必須のようだ。 わたし事でいえば、 若々しく可愛い文化人の条件(?)には追い付けないが、 最初の結婚相手が音楽業界では名のある人だったこと。 本場の音やミュージシャンに囲まれた時を過ごしたこと。 再婚の相手は起業家で、某美術雑誌編集長の経歴があったこと。 だから美術館は内外をこれまたそれなりに^^訪ね歩いたこと。 私自身は、それなりに、それなりに…(汗 ということで、引っ越して不足を感じるのが、 触れる文化が少なくなったということ。 それでも引っ越した頃は、 地域の歴史を歩き、東京、京都に出かけ、 窯元を沖縄から東北へ訪ねたりもした。 しかし、このごろ活動的じゃなくなり、 ダラダラ感にどっぷり浸かっている。 このままじゃと思い、地域のイベントに顔を出したのだけど、 こころに贅肉がつきだしたのか、何だかしっくりこない。 こうして時が過ぎ、次第に感性も鈍くなる。 表情筋もゆるゆるになってゆくのかな。 それでも、 文化からも芸術からも遠い話だが、 一行の言葉のかけらに感動し。 本当にわずかな人が見せてくれる、 これまた気付く人も少なくなった皺皺の人間臭さに 思わずクスッと笑みが漏れる。 そして一人、目頭をチクチクさせるのだ。 この頃思う、

よその牛蒡

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昨日の事、オンボロ愛車と深夜をドライブ。 事故とは無縁でゴールドなんだけれど 考え事をしていると、ついついピードが出る。 田舎道の深夜は、高速道路なのだ。 高速道路と言えば 免許取り立ての頃だった。 はじめての高速を走っていた時 突然、けたたましいサイレンの音。 「何かあったのかな」と思い、車線を左に変更。 まあ、人並みの常套手段だ。 吾ながらプロっぽく判断してるじゃない…、 などと、新米ドライバーはいい気になっていた^^v ところが、 「前の○○の車、停車しなさい!」と声がかかった。 ご指名は夜の世界だけだと思っていたのだから困ったものだ。 えっ!私がおまわりさんに指名を受けた…? そんな覚えなど全くなくて、 経験したことのない空白の時間が頭の中を泳いだ。 それでも、取り敢えず路肩に車を止めた。 後ろにピッタリついたパトカーから男の人が降りてきて 「ごぼう抜きしましたね」 他人の畑の作物を盗んだなんて、 そんなこと言われる筋合いなどないし、上から目線にプッチン。 「私、ごぼうなど盗んだことありません」と 真顔で答えていた。 ・・・おまわりさんの目が点だった。

月を見守る

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無駄な事ばかりに手を焼いて 焦って時間を使っていたりする。 ちょい疲れの騒めきが寝静まり そろそろ、暖など欲しいところだ。          まだ、早いのかな? 未熟そのものを抱え 同じ言葉を話しているとは思えないほど コミュニケーションがうまくいかなくなくて このごろ、黙ってしまうことが増えた。 私自身の状態が問題かもしれないと思う。      月を見守る空気が、おいしく透き通り 秋が駆け足でやってきた夜。 気温の激しい変動に、つめたくなった膝を抱え 乙女心の秋は、ややセンチになるようだ。 あ~っ! 乙女って何歳だと思っているかと、天の声 ( ノ∀` ) ・゚・。 気を取り直しちょい脱線のお話! 先日、もう10月も半ばになるというのに 残暑のようなジトジト感に食欲もなく 涼を求め(?)飛び込んだうどん屋さん。 ちょい遅いお昼を注文。 「冷たいうどんくださ~ぃ」 「ころうどんですね」 「いいえ、冷たいうどんです」 「ころうどんが冷たいうどんです」 「じゃあ、それ一つ^^」 で、”ころうどん”とやらを口にした。 「”ころ”って何の意味ですか?語源は何ですか」 とお店の方に矢継ぎ早に質問。 その謂れをお店の人は誰一人知らなかった、お客さんも ( @ _ @; 地域文化の中で、 いつの間にか固有名詞として定着、日常にあったようだ。 多分、アメリカという固有名詞を なぜアメリカと呼ぶのなどと 普段では気にしないみたいに^^ 因みにアメリカ の由来はこちら →  由来メモ で、さっそくころを調べた。 ころ= 香露     ↑ wikipediaにアクセス ”ころころ”って可愛いい響きもあるし、 漢字からくるイメージもいいかも^^

人は三度死ぬ^^

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カリカリと豆を挽いて 熱い珈琲を淹れた。 さて、 こころに一番掛かるものを一つ片づける。 幾度も引っ越しを経験して あれこれ廃棄するのは慣れている。 しかし、今回は少し大変だ。 この秋から一年を掛け、 最後の引っ越しになる準備を始めたのだ。 今まではその都度、廃棄するものをフルイにかけた。 粗目のフルイから始め、徐々に条件を厳しくするのだが そのフルイが女々しくて私には問題なのだ。 結局、かなりの残骸を引き連れながらの引っ越しだった。 大切なものを残して後回しにするということは 結局あれにもこれにも執着を残すようだ。 必要ないものからじゃなくて 水茎の跡が滲む手紙。 最初に、それを捨てることにする。 大丈夫、生きている間は忘れない。 人は二度じゃなくて三度死ぬのかも^^