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不動の価値観

舗装される前には、移動に便利な整備された道路を欲し、 そのどろどろの道に貧しさを感じながら、 しかし、日本中の道路がアスファルトに固められまくると、 ほんのわずかに残った未舗装の道路に 貴重な文化財を見つけたかのように、 豊かな時間と郷愁を感じるというのもいかがなものか…            司馬遼太郎 価値観の曖昧さが分かる言葉だ。 価値観にこれが絶対だなどと言うものは無いのかもと思う。 いつだっただろうか、最近の事。 「ピカソ初期の作品“花かごを持つ少女”125億円で落札」 それから何日も過ぎない日の夕方 「某有名大学、学生食堂の壁画“きずな”が リフォームの為、廃棄処分されていた」 という二つのニュースが流れた。 この対処の差(作品の価値や値段)を比較する気は無い…。 ただ、ピカソと面識はない(当たり前かな^^)、 「きずな」の画家とは面識があった。 だからそれがどうしたのと言うものでは全くない。 ピカソの“花かごを持つ少女”125憶という価値観は分からない。 これはアートの価値観による値段というより 投資家の目による値段なのだろうとは思う。 ただ、ピカソの若かりし頃の作品「花かごを持つ少女」と 学生食堂の「きずな」の作品の差。 その価値観の無意味さは 良くも悪くも戦後、価値観がひっく反された日本社会に根ざしているのかな? それとも、不動の価値観などはじめからなくて、 飽きっぽく流行りものが好きな江戸人になりたかった人達 彼らにリードされてきた日本人らしい出来事かもと、思ってしまう。 私は「花かごを持つ少女」も「きずな」も 同じくらい興味はない^^ 絵画の一点もオークションで落札など、夢にもありえなく 何の力もない私が騒ぐことでもないけれど(ノ∀`)・゚・。 と、何だかいろいろ言ってみても あれもこれもどれも、私の中にぐったり潜む 価値観という残骸との褥(しとね)にゆらゆら揺れ 不甲斐なく生きる^^

堪忍袋(?)の独り言

ダラダラと書いて推敲なくUP ( ´艸`) 大衆はしばしば案山子をも礼讃する。 ソクラテスは処刑された。 アテネの民主制の中、不当な理由で訴えられ 煽動された大衆の多数決により死刑が決行。 プラトンはソクラテスの死を嘆き 「愚かな大衆によって政治が動かされるよりも 少数の思慮深い人の指導によって国は治められるほうがよいのだ」と 衆愚政治を批判した。 もちろん、自由・民主をそのまま 現代のグローバリズムの中で単純に比較はするのは出来ないことだろうな… 古代ギリシャという都市、つまり鐘楼のパトリオティズムでの話なのだし。 そして今グローバリズムの中で 民衆が夢見た民主主義 自由はどのような軌跡を辿っているのだろう? グローバリズムは多くの問題を噴出させ 「大衆はしばしば案山子をも礼讃する」という危うさに手渡されたSNSは 問題噴出を加速させていることは否めないようだし。 民衆の権利と自由は二律背反を並走し フェイクニュースは十数%を超えたと言われる。 裏付けのない情報を含めば十数じゃなくて、数十%越えだよね^^ 「自由」という誰も反対することのできない言葉を御旗に グローバル化の中、タックス・ヘイヴンなどの既得権益を操り たったの62人(世界人口は約73億なのに)の大富豪が 全世界の半分の富を所有するという格差社会を生み出してもいる。 これらが民主主義の自由と平等だと言われても、俄に納得できやしない。 神の時代からつづく争いの歴史も終焉などなく。 それぞれの自由を重んじる現在、そんな程度のこと と、思ってしまう価値観の差で、争いが起きるようだし。 確かに煽動された大衆に揺れる国も悲しい奇跡を辿るし 自由のない情報規制をされて、反対勢力は逮捕とか死刑だなんて 思想統制された国やリーダの下で暮らすのも、当然だけど拒否したい。 けれど「少数の思慮深い人の指導によって国は治められるほうがよい…」 プラトンのこの部分は、良い意味でブータン王国にみることができるのかな(? 過酷な自然環境に適応した暮らしと、伝統文化に培われたおおらかな国民性が ありのままを「受け入れる」という彼らの生き方を形創ってっ