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10月 29, 2018の投稿を表示しています

いろはにほへと

小町の歴史に触れたのは銀座で仕事をしていた時。 企画のイメージに使えるだろうかと調べ始め 260 を優に超える小町伝説と 誕生と終焉の地の余りの多さに驚いた。 当時、若過ぎた私には 小町の壮絶な人生を正面から捉えることが出来ず 途中で調べる事をやめたのだけれど 今…、一つひとつ諦めを足す人生のタイミングに 開発の手に見事寂れた鄙の地で、小町伝説に再び出会った。 「門前にあるでんがくのお店に行きましょ」友人からのメール 場所をネット検索していたら、鐘楼の生活圏に 260 余りの物語に漏れることなく、小町伝説が眠るのを見つけた。 目的が「花よりだんご」であってもなぜか懐かしい。 弘法大師により創建されたと云われるお寺の本坊と東院は 500m 程離れていて その東院に小野小町の分身が祀られているらしい。 皮膚病(かさ:今の天然痘)になった小野小町が お寺に篭もり治癒を祈願したところ 夢のお告げで薬水(美濃の国にある霊泉)を授かり完治。 その後、薬水の出るほとりに分身を祀り 東院は「かさ神薬師」と呼ばれるようになった。 傍らには小町の歌が刻まれた碑がある。   人ごとに汲めば薬と岩清水湧きて恵みを松の下蔭 小町は平安時代に活躍した女流歌人で絶世の美女 しかしその一生はけして平安なものではなかった。   花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに 花の色は切ない…、そう思う。 美女つながりにもう一人 大正三美人の 1 人とされる柳原白蓮が 1952 年 かさ神薬師を訪れ歌を詠んでいた事を知った。   やまかげの清水にとへばいにしえの女のおもひかたりいずらく 白蓮がどの様な契機でこの地を訪れたのかはしらない。 歌われている『いにしえの女のおもい』は小野小町の思いだろう…(? その「おもい」を鑑みるに、衰えていく容姿を受け入れて行く切なさを 共有するもののように思えてくる。 白蓮がこの歌を詠んだのは 60 歳代らしい 男の視線を一身に集め、一世風靡した身であれば 小町の皮膚病の悲しみは如何ばかりのものだったのか きっと、察し