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不動の価値観

舗装される前には、移動に便利な整備された道路を欲し、 そのどろどろの道に貧しさを感じながら、 しかし、日本中の道路がアスファルトに固められまくると、 ほんのわずかに残った未舗装の道路に 貴重な文化財を見つけたかのように、 豊かな時間と郷愁を感じるというのもいかがなものか…            司馬遼太郎 価値観の曖昧さが分かる言葉だ。 価値観にこれが絶対だなどと言うものは無いのかもと思う。 いつだっただろうか、最近の事。 「ピカソ初期の作品“花かごを持つ少女”125億円で落札」 それから何日も過ぎない日の夕方 「某有名大学、学生食堂の壁画“きずな”が リフォームの為、廃棄処分されていた」 という二つのニュースが流れた。 この対処の差(作品の価値や値段)を比較する気は無い…。 ただ、ピカソと面識はない(当たり前かな^^)、 「きずな」の画家とは面識があった。 だからそれがどうしたのと言うものでは全くない。 ピカソの“花かごを持つ少女”125憶という価値観は分からない。 これはアートの価値観による値段というより 投資家の目による値段なのだろうとは思う。 ただ、ピカソの若かりし頃の作品「花かごを持つ少女」と 学生食堂の「きずな」の作品の差。 その価値観の無意味さは 良くも悪くも戦後、価値観がひっく反された日本社会に根ざしているのかな? それとも、不動の価値観などはじめからなくて、 飽きっぽく流行りものが好きな江戸人になりたかった人達 彼らにリードされてきた日本人らしい出来事かもと、思ってしまう。 私は「花かごを持つ少女」も「きずな」も 同じくらい興味はない^^ 絵画の一点もオークションで落札など、夢にもありえなく 何の力もない私が騒ぐことでもないけれど(ノ∀`)・゚・。 と、何だかいろいろ言ってみても あれもこれもどれも、私の中にぐったり潜む 価値観という残骸との褥(しとね)にゆらゆら揺れ 不甲斐なく生きる^^