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時に人生はカップ一杯の コーヒーがもたらす暖かさの問題

差し込む朝の光を手の甲に受け豆をカリカリ、珈琲を淹れる。 色々あっても、この時間帯にホッとする私がいる。 時に人生はカップ一杯のコーヒーがもたらす暖かさの問題  どこかで読んだコピーに 分かったような癒し心をくすぐられ時を過ごす。 昨日までのことを全てクールダウンしてこんがりチーズを焼いて コーヒーをカップにそそぐ。 TVのスイッチを入れ、 BSの海外ニュースを見た。 フランスのTV局が日本の刑務所をレポ。 どこの局でもよくある、ニュースが無い時の充て記事なのだろうな…、 くらいに思ったのだけど。    世界有数な安全な国、日本。   日本の囚人は5万、フランスは7万だが、   囚人の高齢者の比率は日本が高い。   多くが凶悪な犯罪者ではなく   万引きとか些細な犯罪で入所している高齢者だ。   そして彼らの再犯率は高い。      生活が成り立たたず困窮の末、軽犯罪で入所。   出所してからの再犯率が高いのは   刑務所での暮らしは病気がちだった日々から解放されるものであり、   三食の食事や寝る場所を心配しなくてもよいかららしい。   刑務所側も監視員を置くのではなく、介護員を増やしているとのことだ。      アカデミー賞で日本の『万引き家族』がノミネートされていたから 話題として過去に取材したのを放映したのかもしれない。 囚人たちの服装は夏だった。 何年前だったか、刑務所の老人ホーム化が話題になっていた記憶がある。 女性の方が長生きだからだろうか、 国の社会制度や法制度の問題、家族関係の希薄など、 夫に先立たれた女性の暮らしは厳しいものがあり そんな女性の比率が高いといっていた。 背中をまあるく屈ませて、背丈と横幅が3対1だ。 曲がった足が身体を右左に傾かせ、ドアの向こうに消えて行く。 達観したような生き方かも知れないけれど 彼女たちがここで見つけた安堵はギリギリの選択だったのだろう。 後ろ姿がゆらゆら揺らいで残る。 「カップ一杯のコーヒー」など、何の役にも立ちはしない。

久しぶりを肴に

それが当時の父親像の全てではないとは思うが、 男の当然なのか漏れることなく女に弱く^^v 男の代名詞のような無口な父(ひと)だった。 少なくとも子供の前では… 父と一緒に過ごしたという記憶はとぎれとぎれに短かいもので まして独り暮らしを始めた娘に距離を置いてからは 伝えたいことの何一つ言葉にできずにいた父だったと思う。 ごったに映る日々の記憶はいまだ整理されないままなのだが 母親が留守がちな男の子を数日預かっていた短い秋のことだった。 「ひろ君のお父さん入院してるの、一緒にお祭りに連れて行ってあげてもいい?」 父から良い返事がもらえるという期待もなかったのだが 私の横で見上げる小さな瞳に両手を差し出すと、父はひょいと彼を抱き上げ肩車をした。 それは思いもかけないことだった。 はじめて父の背中を誇らしく意識した15の秋だった。 ある時はありのすさびに語らはで… 祭りの記憶から幾年を過ぎ グラスの淵に危なげに横たわり続けた記憶を貪りながら 暖かい日差しを受け、あの日と同じ鳥居を潜る。 久しぶりを肴に、目頭も熱い^^