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恋の辻占

ここに居を移して1~2年頃でした。 法被姿の地下足袋という出で立ちで リヤカーを引くお豆腐屋さんを見かけたことがあります。 一度っきりです^^ 先週の土曜のお昼のこと こころもち遠慮気味なお豆腐屋さんの笛が聞こえました。 もしや…、と思ったのですが姿はありませんでした。 お味噌汁が朝餉のメニューに登る回数も減り、 お豆腐はマーケットで買うものになったこの頃、 この町においても引き売りの音は珍しくなりました。 多くの地方都市においての開発がそうであったように、 ドーナツ現象に拡散された暮らしの機能はやがてほころびを見せ、 20~30年の時の流れに日中の騒めきが影を潜めても、 今だ共働きの町はシャッター通りさながらです。 一度、「ロバのパン屋さん」の音楽が 右から左へ通り過ぎていきました。 豊かさって何だろと、ふと思うのです。 走馬灯に思い出すのは子供の頃。 竿にスイカ、金魚に紙芝居などなど、 色々な音が聞こえた気がします。 中でもお豆腐屋さんの辻売りの声は 早朝にあってそれは一日の始まり、 夕暮れにあってそれは一日の終わり。 そこにあったのは家族の暮らしでした。 そう言えばお正月限定の おみくじ入りの辻占(つじうら)と言うお菓子、 子供の頃おみやげによく頂きました。 今は届く当てもなく、私も買いそびれたままですが 辻占とはその昔、夕方の辻に立ち占うというものらしく 夕占(ゆうけ)ともいっていたようです。 辻占そのものはかなり古い歴史を持ち 縁起を担いだり、恋の成就を楽しむ粋な文化だったのですね。 江戸時代には、おみくじを引き売りする姿に引き継がれ、 明治・大正時代には「淡路島通う千鳥の恋の辻うら」と 幼い掛け声も聞かれたようです。 目まぐるしく変貌した歴史の片隅に 喜怒哀楽を生きた人々の涙や笑は 防虫剤 の臭い が沁みる博物館に鎮座し、 「恋の辻占」の御籤を楽しんだ私の時間は 目覚めることのない記憶をねぐらにしたようです。

プレゼントに選んだ二冊の本

いつごろの事だったのか 「大きくなったらお嫁さんにしてくれる?」と聞いたら 首を傾けて「うん、いいよ」と頷いた きっと、困り果てていただろう君へ (*^ ー ^*) お別れのプレゼントに選んだ二冊の本。   『 数学は世界を変える 』 リリアン・ R ・リーバー著 トーテム・ポールの最上階には 現代芸術家と純粋数学者が 屋根裏部屋をシェアーしながら住んでいるらしい。                     科学は非道徳的ではなく 私たちに哲学を与えてくれる。 数学は私たち人間が生きていく上で 良きバイブルだっていっているようだけど… 宇宙科学の某 TV 番組で ダークマターを研究してる教授が言っていた。 「私たちの研究が今すぐ人類に有効かと言えば、そうではないでしょう。 しかしそれは、私たち人間が生きていくのに大切な哲学なのです」          考えれば 数学の世界と哲学の世界は、お友達として古い歴史があった。 だから…、頷ける^^ アメリカでは 1942 年に刊行されていた。 とても短くて詩的な言葉で書いてあるから 数学嫌いでもさらっと読めてしまう^^    だからと言う訳じゃないけれど    今日の朝ごぱんはさらっさらっとお茶漬け^^ 『 フラットランド 多次元の冒険 』 エドウィン・アボット・アボット著 今住んでいるこの空間のあれこれも 私たちの頭の中では立体の筈なのだけど 人間の認知は再構築されて意識されるから厄介? 君がパステルで描いた世界も、驚きのキュビズムだったね^^   池の鯉が横なって泳いだり 楕円に見えてるはずのテーブルも あれは円テーブルだと君の頭は認知して、再構築して描いてた。 本来、イメージが再構築される時 視覚の恒常性が邪魔…、じゃなくて働いてくれているから 私たちは日常活動を維持できているのだけどね。 そして、やがて君の伸びやかな画は 恒常性を「知」として受け入れていくだろう。 ちょっぴり残念だけど。。。 だからというのでもないけれど 君の中に棲んでいて、居眠りを始めたピカソやブ

西洋菩提樹とオーク

久し振りだねTV。 意図することなくチャンネルを選んだ。 お互い一人だけど、長生きしましょ… と語るゲストへ、司会者は答えた。 「…一人で長生きはさみしいものですよ」だった。 数日前のことだ。 キッチンに立ち、 スパゲティーを茹でながら電話をしていた。 …なのに、つけっ放しのTVの会話に聴き耳が立つ。 これって神業だ…、と思いながら。 (ノ∀`)・゚・。神業なんてことないよね…。 カクテルパーティー効果かな、きっとね。 ず~っと長く、気に掛かることだったのかも。 あの時、わたしは父に言った。 「ママの分まで長生きしてね」 その後いろいろな時間を過ごし、 時おり気になって思い出す言葉だった。 同じ言葉をわたしも受け取ったんだよね。 「彼の分まで、頑張って長生きしなくちゃね」 「○○さんの分まで長生きしてください」 同じような筋書きのドラマのラストシーン、 メインキャストのセリフにも定番みたいに聞いたっけ。 一人ひとり、いなくなることの意味は、わたしに分からない。 けれど、建ち並ぶ墓碑の下、 冷たく寂しい場所に命がねむるとは思っていないし、 あなたの命を代わって生きようなんて思いもない。 一緒に丘に立つ二本の木でありたいという思いが、 カクテルパーティー効果をもたらしたのかもしれない。 プリュギュアの丘の沼のほとりに立つ 大きな菩提樹と樫の木。 私達は 老いました。 なんの望みもありません。 けれどこの世を去る時、できる事なら手を携え、 二人一緒であれたら、こんなうれしい事はありません。                    ΜΥΘΟΛΟΓΊΑ ΕΛΛΗΝΙΚΉ 世界が二分され、 グローバル化も深い傷を負ったかもって時代に 紀元前10~15世紀(?をさかのぼって わたしは何を考えているのだろう。。。 夫婦は他人、いろいろあるものだしね。 だけど、多くの人が辿り着きたいところ。 そんな本音が語られていると思いたい^^

誰そ彼時

イメージ
長電話をしていた。  陽もすこしづつ長くなりはじめたからでもないのに たそかれどき(誰そ彼時)の電話は長くなるらしい。 ねえ、君は知っていたのだろうか? ももいろの金平糖の花が満開になって そこにとっておきの時間が眠るからって 焦って時間を使っていたころが一番輝いていたってこと。 けれど毎年まいとし、誰かを待たせて金平糖の花が咲くものだから わたしはとても思い違いをしていたようだ。 外はたそかれどきでその続きを覚えちゃいないけれど、 もうじき会いたいと、 …蛍も飛ぶ。

好き家

方丈は1丈四方の面積を一単位とし一方丈は四畳半程度。 長明が要職を捨て京都の洛北大原山に隠棲。 その後、日野の外山に結んだのが一方丈の庵。 庵の様子は 方丈の広さに、高さは七尺、約2mほど 分解すれば大八車に積める量になり、移動可能。 東に三尺あまりの庇、 南には竹のスノコが敷かれ、西には花や仏具をのせる棚。 北には障子をへだてて阿弥陀の絵が掛けられ 東の際にワラビのほどろ(穂の伸びてほどけたもの)を敷いて床とし。 西南に竹の吊棚、皮籠を置いて書き物の収納場所を設け その傍らに、琴と琵琶がたてかけてあった。 この庵、数奇屋の意匠の始まりとも言われる。 そこに、無常「束の間のもの」を重ねるらしい。 数寄屋(好き家)は個人の好き(趣味)の欲求に創造された 素朴な素材と空間だった。 その後、茶室(わび茶)の空間で、 利休が完成させたと言われている…、らしいけれど (政治手腕はかなりの人物だったらしい) 岡倉天心著「茶の本」 岡倉天心は「茶の本」に    茶室(数寄屋=すきや)は単なる小家で    それ以外のものをてらうものではない、いわゆる茅屋(ぼうおく)に過ぎない。    その建築に用いられている材料は、清貧を思わせるようにできている。 と、解説。 しかし、思わせるようにできているだけで実体は清貧ではない。 その空間はかなり瀟洒で格調高いもののようだ。    これはすべて深遠な芸術的思慮の結果であって、細部に至るまで    立派な宮殿寺院を建てるに費やす以上の周到な注意をもって    細工が施されているということを忘れてはならない。 つまり、     よい茶室は普通の邸宅以上に費用がかかる というのだ。 暗示されようとされまいと、そんな豪華な茶室に 茅屋や清貧とイコールなど見つけられやしないんじゃないのかな…? 続けて     その細工はもちろんその材料の選択に多大の注意と綿密を要するから。    実際茶人に用いられる大工は、職人の中でも特殊な、非常に立派な部類を成している。    彼らの仕事は漆器家具匠の仕事にも劣らぬ精巧なものであるから。 しかし…、    禅は仏教の有為転変(ういてんぺん)の説と    精神が物質を支配すべきであるというその要求によって    家は身体を入れるだけの仮りの宿であり    その身とてもただ荒野にたてた仮りの小屋なのだ。    まわり