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好き家

方丈は1丈四方の面積を一単位とし一方丈は四畳半程度。 長明が要職を捨て京都の洛北大原山に隠棲。 その後、日野の外山に結んだのが一方丈の庵。 庵の様子は 方丈の広さに、高さは七尺、約2mほど 分解すれば大八車に積める量になり、移動可能。 東に三尺あまりの庇、 南には竹のスノコが敷かれ、西には花や仏具をのせる棚。 北には障子をへだてて阿弥陀の絵が掛けられ 東の際にワラビのほどろ(穂の伸びてほどけたもの)を敷いて床とし。 西南に竹の吊棚、皮籠を置いて書き物の収納場所を設け その傍らに、琴と琵琶がたてかけてあった。 この庵、数奇屋の意匠の始まりとも言われる。 そこに、無常「束の間のもの」を重ねるらしい。 数寄屋(好き家)は個人の好き(趣味)の欲求に創造された 素朴な素材と空間だった。 その後、茶室(わび茶)の空間で、 利休が完成させたと言われている…、らしいけれど (政治手腕はかなりの人物だったらしい) 岡倉天心著「茶の本」 岡倉天心は「茶の本」に    茶室(数寄屋=すきや)は単なる小家で    それ以外のものをてらうものではない、いわゆる茅屋(ぼうおく)に過ぎない。    その建築に用いられている材料は、清貧を思わせるようにできている。 と、解説。 しかし、思わせるようにできているだけで実体は清貧ではない。 その空間はかなり瀟洒で格調高いもののようだ。    これはすべて深遠な芸術的思慮の結果であって、細部に至るまで    立派な宮殿寺院を建てるに費やす以上の周到な注意をもって    細工が施されているということを忘れてはならない。 つまり、     よい茶室は普通の邸宅以上に費用がかかる というのだ。 暗示されようとされまいと、そんな豪華な茶室に 茅屋や清貧とイコールなど見つけられやしないんじゃないのかな…? 続けて     その細工はもちろんその材料の選択に多大の注意と綿密を要するから。    実際茶人に用いられる大工は、職人の中でも特殊な、非常に立派な部類を成している。    彼らの仕事は漆器家具匠の仕事にも劣らぬ精巧なものであるから。 しかし…、    禅は仏教の有為転変(ういてんぺん)の説と    精神が物質を支配すべきであるというその要求によって    家は身体を入れるだけの仮りの宿であり    その身とてもただ荒野にたてた仮りの小屋なのだ。    まわり