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6月 24, 2019の投稿を表示しています

男と女

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茶館で知らない人が声を掛けてきた。 残念だけど…、女性だった(*´v゚*)ゞ 月に一度、仕事の合間に町までお茶をしに来るのだそう。 「私ミーハーなの、後藤久美子が好きでマタ・ハリが好きで、ゾルゲが好きなの」 確かにミーハーと言うか、脈絡がないところがミーハーと言うか、 そうじゃなくて、ミーハーどころか個性的。 そんな彼女の話に頷きながら、私の脳みそはその場を飛んでいた。 あれはちょい前のこと、、、 某TV局のドキュメンタリー。 さほど興味もなく見るつもりはなかったのだけれど 何気にTVのスイッチを入れたとき 偶然流れてきた言葉に前頭前野のスイッチが入った。 「彼女は男と女の友情が必要な年代になっていた…」 男と女の友情が必要な年代って何を意味するの? 何だかとても引っ掛かる言葉だ。 そのドキュメンタリー、主人公は美貌のスパイ、マタ・ハリ。 引っ掛かった言葉を個人的に理解すれば <font color="gray">  時は残酷だ、美貌の衰えに従って女を卒業し、   男へのアプローチを変えなければ男友達すら(この“すら”って気になる助詞だ~)失う。   マタ・ハリは、年を重ねた女の惨めさギリギリの年齢になっていた…。 </font> ということらしい。 伝記研究者(?)の弁は追い打ちをかける。   <font color="gray">彼女はまだ若いと言われる年代で死んでよかったのだ。   死刑が決行された時、マタ・ハリが60歳になっていたとしたら   女のプライド惨めに砕かれ、まして後世に語られることなどもなかった。</font> 言ってくれるじゃない。 そりゃ高い比率で、男は若い女しか興味ないのも事実かもだけど。 当時、若いマタ・ハリを持て囃し遊んだ男たち、 美貌の時を過ぎようとしている彼女の苦境に手を差し伸べないなんて…。 マタ・ハリ自身、美貌の衰えを受け入れることが困難だったのだろうとも思うけれど。 とは言え、一度は愛した(仮に遊びでも)女一人さえ 誰も引き受けなかったことに、男の無情と度量の狭さを感じるのは私だけだろうか…(? そんな男しか見極められなかった