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自由・民主主義の終焉に

1960年代後半は、公害や環境破壊の問題が深刻化した時代だ。 豊かさを求めて若い世代は都会へ移動、定住。 企業がサービスを拡充していくことで、 家庭を築く必然性は低下していったのだろう。 女性の時代という言葉のお墨付きは 個食の時代を生み、家庭の機能低下、 生活文化の喪失という時を刻んできた。 この小さな田舎町も、 独身貴族の増大に比例してコンビニや便利屋が増えた。 企業活動の基本として、 際限のない人々のニーズやウオンツは事業化される。 経済とは社会的な分業の枠組みなのだから、 家事の多くが外部へ分業されるようになっていったのも 必然なんだろう。 お金があればすべてが買える。 空腹も、介護も、あらゆるジャンルの飢餓状態を満たせるのだ。 お金に換算されないと思い、高を括っていたあなた、 そう、あなたの「おふくろの味」も今はコンビニの目玉商品なのだ^^v 「三つ子の魂百まで」は真実かもしれない、 けれど家族というものに幻想は持っことはもう古い。 何が良いのか何が悪いのかに、人類すべてに通じる共通項はなく、 多様性の時代なのだ。 最低、人が守らなければならない法規制を逸脱しない限りにおいて、 全ては自由。 大衆の多くは自由に豊かさを求め、 文化は大きく変貌を遂げてきた。 きっとどこかに置き去りにされたというか、 追いついてゆけないというのか、 民族や宗教の権利や自由も枠をはみ出て 郷に入れば郷に従えではなく、 そこに住む権利を要求すれば鬱憤が噴出する。 白人が移民の数の勢いに決起するのも理解できるけれど…。 それが、世界を悩ますポピリズムの台頭を促したのだろうな。 さて自由・民主主義の終盤は足音たかく闊歩するようだ。