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ユタとベル

手話を学び半年。 先週末、ろう劇団による「ユタとふしぎな仲間たち」を観劇した。 ろう者と健聴者に向けて創作されるゆえの困難さを 少しずつ改良しながら試行錯誤の舞台回しだった。 そこには彼らが社会から差別され、 隔離された歴史を背負っていたことなど、いささかも感じさせるものでなく ユタと仲間たちのエネルギーは舞台からあふれ出すほど逞しかった。 半年間、まあまあ続いたかなの入門編^^v その入門編の終わりに観劇した舞台だった。 あふれるユタ達(ろう者)の逞しさは、どこから生まれるのか気になった…。 サリヴァンにヘレン・ケラーを会わせたのが 電話を発明したグラハム・ベルだと講義ではじめて知ったのだけど、 それだけなら、さほどユタ達の逞しさも気に留めることも無かったと思う。 何故気に留めたかと言えば、 講義中、講師のグラハム・ベルに対する嫌悪を感じたからだった。 一言二言の話の中に、鈍い私にも引っ掛かるものがあった。 もちろん内情を知らないままで話を受け入れるつもりはないし、 どんな賢者であっても、人間は勘違いをするものだし、 …と思い、少しだけ調べてみることにした。 ベル自身は障害の母と妻を持ち、 父は人間の発するあらゆる声を一連の記号に体系化した 「視話法」の考案者。 ただし、視話法は現在使われていない。 ベルは父と共にろう者の教育や研究に心血を注いでいて その研究の副産物に電話が考案されたらしい。 そして講師に感じた嫌悪の要因は、多分、 1880年、 『第2回国際ろう教育国際会議(ミラノ会議)』において採択された 「手話を禁じ、口話を奨励(口話は優れ、手話は劣る)」 とした決議に端を発するもののようだ。 この決議が聴覚障害/聾者とその家族の、言語と尊厳を傷つけ、 多くの悲劇を生んだということらしい。 日本のろう者もだが、世界的に彼らの人権はかなり差別的で悲惨な状況下にあった。 当時、ベルは悪評高いミラノ決議の「手話を否定、口話を奨励」を支持し、 大きく関与していた。 そうして、ろう者の歴史に伝え継がれたベルの教育方針は、 ろう者とその家族の心へ、深く嫌悪の根を張っていったのだろう。 ユタ達の悲劇が手当されるのは、 ミラノ決議が誤りであると訂正されるまでに、 130年と