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そんなところでふて寝かよ!

イメージ
私達の頭の中に描かれている空間は、既に立体…。 人間の認知は再構築されて意識される。 遠くに楕円に見えているテーブルを円テーブルと理解していても、 頭の中では楕円に認知されている。 平面的情報が入力されても、人間は立体空間を認知する。 子供の頃のほんの短い時期を覗いて、 それは大人の視界認知で不通に処理される。 これを視覚の『恒常性』と言う。 イメージは再構築され認識されることで、 その人の視覚の恒常性が邪魔(?)、 もとい、邪魔じゃなく働いてくれているから^^ 私たちは日常の活動を維持できるということになる。 つまり恒常性は人間に与えられたというか、 多くの生物が獲得した、生きる術だ。 本来はさまざまな環境の変化に対応して、 生存を維持するために備わった能力らしく、 生態的には 主に神経やホルモンによって行われたりするもののようだ。 けれど アートの世界に視覚の恒常性に挑戦したのが ピカソやブラックたちじゃないかって、そう思う。 そんな恒常性は視覚の世界(アート界)だけじゃなく、 人間の生き方にもあると、このごろ思っていて、 例えば、 「それが常識です」という狭い世界のイロハとか、 「これが真実です」とする自分本位の知識とか。 (あなたが無知なんだって言わないでね^^) 「専門家ですから」という確信の正義とか。 「やれることは全てしました」 「あなたのことを、わたしはこんなに心配しています」 と自分で納得する(?) 納得じゃないかな^^、 大衆を錯乱させる絜矩の道みたいなもの…? 近頃、狭い社会の知識の恒常性(?)とも擦れ違うことが多くなったし。 それらは多分、生きる賢さに違いないのだろうけれど… そんな多種多様な恒常性に、なぜだかこころが疲れ気味の人も多いだろうな。 わたしが解さないだけのことかもと、振り返ってみてもね。 今じゃ、多種多様な恒常性にこころも折れ折れだ。 だからと言って、そんなところでふて寝かよ!

一日のはじめ

ソーシャルネットで政治が動く時代 一日の初めは古代バビロニアやエジプトでは日の出。 アラビア、トルコ、ユダヤでは日没が一日の初めだった。 (太陽暦と太陰暦の違いkana) 前2世紀ごろエジプトの天文学者プトレマイオスが 正午から正午を均等に24分割するまで 昼と夜の長さは日々異なり、別々に12等分していた。 この「12」という数値の神秘。 「12」はシュメルの1年を12ヶ月としたところに起源があるらしい。 つまり、1年がだいたい12朔望月からきていて 古代の人々の興味深い数値だったようだ。 1年を360日としたバビロニアの時代 月の満ち欠けが約30日(正確には29.5306…日)であり 12ヶ月で360日を1年として、月が一周することになる。 そして一日は昼と夜でそれぞれ12分割していたけれど、 12×2=24として一日を24時間にする考えにいたっても不思議じゃない。 そして現在使用されている時間の60進法 (1時間=60分)という考につながった。 *でも、一年が360日だと5日程足らないだけど、  このズレのお話は長くなるからここでは省略して(汗   要するに「12」はとても扱いやすい数字。 12は10よりも約数が多く、10が持たない利点を持っているということ。 つまり割り切れる約数の多い数字なのだ。 だから12進法が使用されていったらしい。 そう言えば、 1年を3ヶ月×4分割(春夏秋冬)にもつながる^^ あ~!今宵の、あなたと大切な人とのデート、 それを可能にしてくれていたのは そんな古代の星月夜に生まれたなんて なんだか、、、悠久のドラマだ…❤~ なのだけど!!! 空を見上げてきめたグリニッジ標準時も今じゃ遠く、 1967年から「協定世界時」とやらを使っていてる今日。 協定世界時はセシウム原子時計によって刻まれる国際原子時を基に 国際的に管理されているものらしい。 誤差は3000万年に1秒程度だと言うのだから 1年を360日で暮らしていた古代の5日の誤差(?)に比べたら遥かに凄~い! 凄いのだけど…、 あのドラマチックなロマンはどこへやら。 5日の誤差を知って暮らしていたエジプトの民は ナイルの恵みのサイクルを享受して、 何の問題もなく暮らしを営