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12月, 2020の投稿を表示しています

冬の七夕

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星空を眺め、これっぽっちの溜息をつくと 大きな袋を担いで、きっとあの星空から駆け下りてくる…、はず、 はずだと思った。 雪で煙突もつくっておいたのに… 「なぜ、我が家にサンタは来ないのか?」について 父は、青い目のサンタに、 英語で話しかけられることが不安だったのかも知れない…、と仮説をたてた。 そう言えば子供の頃、プレゼントは英語でお願いするものだと思っていたのだから、 まだ英語を習っていない身としては、当然の推理だったかもしれない。   あ~ぁ、でもねこれで我慢してと言われても、 鼻ちょうちんは要らないし(ノ∀`)  それでも、父と一緒にモミの木を買いに行った数年の記憶がある。 市販のオーナメントが少ないから、幾つか飾り物を手作りして、 なぜだか最後に、願いを書いた短冊を飾るのだ。 何となく思ったものだ、「七夕に似ている」 気分はクリスマスじゃなくて冬の七夕だったのかな^^ 長い休日がつづきます。 お身体大切にお過ごしください。 May all your dreams come true!

Happy holidays

帰宅して 玄関先で見上げた夜空に月がぽっかり。 冬のおっ月さんってとっても綺麗なんだ…^^ 楽しかったことも、悲しかったことも、心折れることもあったけれど Happy holidays ヽ (´ ▽ ` )/

ベトナム研修生とブラジル移民

「娘の荷物に紛れ込んで、僕も一緒に行きたい」 そんな父の寂しげ顔があった。 「いつか、みんな連れていくから」娘はそう応えた。 その言葉に嬉しそうにうなずく父親に笑顔がこぼれる娘。 5人兄弟の末っ子っだと言っていたかな… 美しい28歳の女性だった。 昨年、偶然見たレポートのシーンだ。 貧しいから、兄弟の犠牲になって苦労させてきた。 だから今は、彼女の希望を叶えさせたてやりたいと母親が言う。 それが日本で働くことらしい。 日本で彼女が稼ぐお金を当てにしているのが分かる。 そして彼女も、 1万ほどの月収(タクシー運転手)で 家族を支える父の助けになりたいと願っていた。 そのためには日本の特定技能検定の試験で合格する必要がある。 あの問題の多い制度だ…。 2020年度の外食業特定技能1号技能測定試験は コロナ感染症の拡大で延期になったままだ。 勉強の甲斐なく、感染症の騒動で試験は延期された。 先も見えず、日本に行ける日を待つのは不安に違いない。 しかし日本に来たからといって、未来はバラ色じゃない。 研修生制度とか銘打って、法の裏で多くの非人道的企業が横行している。 確かに、一万円ほどで家族が暮らす家計状態には、 日本で稼ぐ収入は夢のような額だろう。 しかし人手不足解消のため、 悪徳人材派遣業者や悪徳雇い主が野放の状態なのだ。 研修生の置かれた状況は以前から問題があったのに、 一向に改善されない。 国を出るとき搾取された契約金 (規定されている額より多額の契約金が動く)を借金に背負って、 見えない鎖につながれる。まるで奴隷制の匂いさえしてしまう。 その悪の根源の片棒を担ぐ問題の町、その一つが私が住むこの町だった。 当時の問題企業が屯するこの町では 彼らに対してまともな技術研修など一切せず、 安い人材を都合よく手に入れて、 家政婦か雑用係のようにこき使う繊維問屋が軒を連ねていた。 この町に帰省して内情を知った時は驚いた。 けれど市も、地域の企業側を弁護して マスコミからも企業をかばったようだ。 「それって、おかしくくありませんか」という私に返された言葉は、 「一生懸命教え育てても、彼らは技術だけ盗んでさっさと帰国してしまう、  ばからしくてやってられない」との言い分だった。 だからと言って技術も教えず家政婦にしてよいというのだろうか。 そもそも『途上国を援助する技術研修制度』だ

後始末

わたしはそれを、虚ろな頭で読んだ。   「高瀬舟」   いつのころであったか。   これまで類のない、珍しい罪人が高瀬舟にのせられた。   名を喜助といった。・・・ 鴎外は「高瀬舟縁起」の中で、 「高瀬舟」のテーマはユウタナシイ(安楽死)であると明言していた。 明言していたのだが…。 自身の死の現実を了解して彼がいった。 「せめて、一切の延命処置をしないでほしい」と。 「せめて」とは、何を意味したのだろう、あれからずっと考えていた。 そんな私に喜助がぽっんと小さな穴をあけてくれた。 それからのことだ、「せめて」の中に、日本の法律や条例の足枷を見つけたのは。 驚いたことに、自分のことであっても自分の自由にならず、 自分の意思で決められない、ということがあるということだ。 そうか、そういうことだったのかと腑に落ちた。 生きている現実に自由や権利を当たり前として認めるなら、 死ぬ自由や権利があってもいい筈だ。 「神様がくれた命ですから、思し召しのまま…」などと、 神さまの慈悲に委ねる理屈など、わたしに通じやしなかった。 今朝のニュースだった(’20.12.17)。 スペインで安楽死の合法化が下院で可決とテロップが流れた。 あれは今年の2月ごろだっただろうか、 スペイン議会は安楽死合法化の法案の発議を承認していた。 夏、ニュージーランドでも安楽死を合法化することの国民投票が行われ、 合法化される見通しとなっなったはずだ。 そう言えば日本人女性が安楽死を望んで スイスへ渡ったのは数年前のことだっただろうか…。 西部 邁の自死(幇助)は記憶に新しい。 「せめて」といった彼の言葉が引っ掛かったままだ。 何故、自分で自分のことが決められないのだろう。 今の時代、病院で個人の死さえ自然に迎えることが出来ない。 弄繰り回されて、心も体も疲れ果てさせられる。 そんな医者が全てではないと思っても皆人間だ、 医者や看護師が特別(ヒポクラテスやナイチンゲール)だって! 特別な善人なんかいやしない。 彼らは神でも天使でもないし、大切な叡智は全く磨かれちゃいない。 俎板の鯉(患者)は彼らに神頼みをする立場だ、そりゃ涙の感謝もするだろう。 日本の医療業界も偽善医療・診療、偽善看護・介護がある。 私の経験だ、外科医たちは手術を控えた患者からお金や付け届けを受け取る。 今もかなりいるはずだ。 今、そんな

世界最古の物語

世界最古の物語が更新されるかも知れない。 ちょっと古いのだけど去年のNATUREの記事、 「世界最古の物語が、4万年以上も前の壁画に記録されていた」 世界最古となる43,900年前の“物語”が、インドネシアの洞窟で壁画として見つかった。狩猟の様子を描いたとみられるこの壁画は、宗教信仰を示す世界最古の記録であり、既に当時の人々がフィクションの概念をもっていたことを示す可能性がある。 最古の岩絵自体は何年か前に、 7万3000年頃に描かれたとされる壁画が南アフリカで出土した岩に発見された。 ところが今回のインドネシアの洞窟で見つかった壁画は、 ただの絵ではなく物語性があるということらしい。 当時の人々がフィクションの概念を持っていたことを示す可能性があるというのだ。 これまでに、欧州で発見された1万4000年~2万1000年前の岩絵が あきらかな物語性を持った岩絵として最古だという説がでていた。 この辺の世界最古の物語発見はまだ確かなものではないのかも知れない。 古代ローマの詩人ホラティウスによれば「詩は絵のように」であり、 バロックでは「詩は絵のように絵は詩のように」となるのだけど…、 これが最古の物語と決定するには、物語の定義によるだろうなと思う。 P1040425.jpg 何万年も前の人々にとって自然は理屈なく驚異であり、 そりゃ人間なんて小さな存在だったに違いないだろうし、 彼らにとって自然が震えるほどの恐怖の記録であっても、 自然に祈るという意識は、この時代まだ顕在化していない気もする。 しかし、誇張された表現で残されているのは何故だろう? そこにフィクション性があると言うこととは思えないけれど。 物語性が有るか無いかというそこのところの境界は 言葉(文字)を持ったか持たないかが大きな要因だという気がする…。 何れにせよ、学者とか研究調査チームは新説を立て論文にするのが仕事だ。 いろいろな説があっても可笑しくはないのだろうな。 ということで、 文字を持つ世界最古の物語は『ギルガメシュ叙事詩』かとも思う? 物語の原型は紀元前4000年頃に成立した古代オリエントで 幾つもの歴史的変動の時代を前後し、口伝で伝わったギルガメシュの物語は 楔形文字の書板に刻まれ、西アジアの諸遺跡から断片的に見つかっている。 物語の主人公は古来から美男美女が通り相場なのか、 叙事詩の主人

神とあらそいごと

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  世の中は師走を迎えたのだ。 早いものだ、もうじき正月がやってくる。 古代バビロニアやエジプトでは日の出、 アラビア、トルコ、ユダヤでは日没が一日のはじまりだった。 ヒンドゥー暦、イスラム暦、太陰太陽暦、太陽暦によって、 一日のはじまりが違えば、一年のはじまりも違う。 多民族国家は大変だろう。 日本は、旧正月の言葉は残っても、行事は姿を消した(? 太陰暦で正月を祝う習慣は中国をはじめに、アジアに多く残っている。 少し意外なのが、イランの春分の日のお正月や、 ヒンドゥー教の10月下旬から11月頃のディパバリ。 地球上に民族や宗教はかなりの数だし、 未接触の民族って、まだ存在しているのかもしれないし、 調べれば、それぞれの民族や宗教には様々な好日のはじまりがあるのだろう。 思えば世界の片隅で生きる一人ひとりの誕生や人生の機微365日のすべてが、 日々是好日なのだとも思う^^ と、思うのだけれど、 人間の権力や思惑や愚かさというか、プライドや歴史観においても、 世界の宗教や民族の価値観が平和裏に共存するのは、 簡単なことではないようだ。 日本に居住する少数民族の少数宗教のささやかなお正月は、 それぞれちゃんと行われているだろうか。 大和民族の定義によるし、私の知識では何とも言えないけれど、 日本にどれくらいの民族が共存しているのだろう。 下町で民族や宗教の小さないざこざは散見されるけれど、 不思議なことに日本には、世界一宗教が多く共存しているようで驚くのだ。 とりあえずは宗教に寛容な国民性ってことだろう…(? 確かに八百万の神の国だし…、とも思う^^   ▲柱に記された一つの結界。   「ここから先は殺生ならず」という境を記している。   日本建築における襖や障子はもちろん、   衝立なども広義の結界とされる。   不思議だが、現実障子は紙一枚の建具である。   にもかかわらず、障子一枚だが閉められていれば、   障子の向こう側の声は聞こえないとする文化が日本にある。   閉められている以上は「聞かない見ない」という礼儀だ?   そんな日本の精神文化が、   多様な宗教の共存を可能にしているのかも知れない。 けれど、その実態を見たこともないのに神を持った民族は、 目も当てられないほどに神に絶対を置いた。 神がいっぱいなのは、それはそれでいいのだけれど、 問題は民族の数だ

メルケルさんの演説にダブル

ニュースが流れた。  ドイツで9日新型 コロナ ウイルスによる1日当たりの死者数が  過去最多の590人となり、  メルケル 首相が珍しく感情をあらわにして危機感を訴えました 日本の記事の扱いは英雄並みのお母さんとして、 彼女の演説が「心に響きました」と、 感動のまなざしを向ける言葉が幾つか躍った。 彼ら評論家が言うには、「手を上下させて感情を込める」 「国の指導者はこのようでなければならない」 「そうじゃないと国民はついてこない」 確かにそうだね。歴史が語っている。 内容は別にしても、ドイツの指導者ヒトラーの演説もそうだ。 アメリカの指導者トランプ氏もそうだ。 メルケル女史の 手を上下させて感情を込め、熱く語る演説の雰囲気に ナチスドイツの映画に登場した人物、 アドルフ・ヒトラー の姿が強くダブった。 激情型の演説は人を動かすようだ。 運悪く、経済優先が顕著な象徴として コロナ禍で露呈した移民の非道な扱いに 収容所が重なってしまったからかな。。。 情熱的演説が報道され、あちこちの国の大衆を熱狂させる、 何となくナチスドイツの ヒトラー を想起してしまった。 日本では、地味な総理に対して、 「メルケルさんのように感情を表に出して訴えろ」 とアドバイスをする人が続出だ。 世界は昔からおかしいままだけど、 このごろ何だかおかしい、日本・・・

海を飛ぶ夢 

年末になると思い出す。 安楽死を戦う家族の口から出た記録映画の映像が蘇った。 この映画は尊厳死を求めて闘った実在の人物 ラモン・サンペドロの手記/地獄からの手紙( 1996 )をもとに 彼の死後映像化されたものだ。     『海を飛ぶ夢』   原題はスペイン語で『内なる海』   スペイン・フランス・イタリア/伝記映画   「約束しよう自由になった魂で、きっとあなたを抱きしめる」