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11月 23, 2020の投稿を表示しています

やまとごころ

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いろいろ思うことはあっても… 思うだけじゃどうにもならないけれど^^ 武漢からウイルスがやって来たときは 例年のインフルくらいにしか思っていなかった。 そんな軽い情報提供だった ましてパンデミックを起こすなんて想定外。 ウィールスの正体を検証できなかったのは大きい問題だ。 某国とWHOの、初期のミスリード、 彼らも思惑と保身がもたらした事の大きさに気づいているだろうな。 それでも謝罪しないのはお国柄だろう。 特に某国の隠ぺい体質は今始まった事じゃないけれど、 特に今の指導者がそうなのかな~~~ 各国に多大な損害をもたらしたことに正面から向き合う必要もありかな(? そしてそこから波及した諸々のデモや暴動、 EUも黒人も白人も、すこしクールダウンが必要だしね。 「何言ってんだ、イエス/ノーもはっきり言えない国のくせに!」 確かにそうかもしれないとは思う。 でもそこには、日本語言語に培われた日本の精神文化っていうものもある。 人は使用言語によって構築される社会の中で、精神的価値観を形成していくものだ。 シャルルマーニュの「第2の言語を持つのは 第2の魂を持つことである」だね。 その長い(言語の起源の合意は見ていないけれど)歴史の中で 日本人の多くが「何言ってんだ、イエス/ノーもはっきり言えない国のくせに」 という体質が形成されたのだと思う。   日本には「嫌よ嫌よもスキのうち」って言葉がある。 口先では嫌いだといっても実は好きだったりする、と解釈するのだけれど、 「嫌い」の語彙に「好き」が同居するわけだ。 この解釈は特別なことじゃなく、日常にあって、 心に全く反対の本音が潜んでいることもあるってことを了解するから、 「嫌い」というの言葉に執行猶予を与えるという、 ちょっぴり面倒な恋のやり取りがあったりする。 そんな日本人のはっきりしない揺れる恋心の機微は お暇なときにでも『源氏物語』を読んでみてね^^ そしてもう一つあげてみると、 フランスで起こったイスラムのテロに対して 「私たちは表現の自由を守る」というときの「自由」 もちろんテロの非道は許されるものじゃない。 しかし大統領が一つ覚えのように言う「表現の自由」とは、 いったい誰の為のものなんだろうとふっと思った。 よく考えると…、じゃなく、よく考えなくたっ