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倒木更新

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できるだけ自然のままを残しているってね 人の手が入らないその森で数百年も生き続けた檜が倒れた。 檜の倒木は、年月と共に朽ち果て、表面に苔がはえ、 そこに種子が落ちて、檜の子が育ち始める。 これが『倒木更新』だと 道理をわきまえた人は続ける。  「そこは下草に邪魔されないから光がよくあたる。  倒木の豊富な養分と苔による適度な保水力によって、  檜の子はよく育つ。  親は子のために身を横たえる。  年月が過ぎ、檜の子が大きくなり、  倒木はやがて消滅するけれど、そこに倒木の形が残る。  それを『根上がり』と人は呼ぶ。  『親が子を守り、子が親を忘れない』  これこそ自然の本来の姿だ。  私達は、子供達の未来に何を残せますか?」 と結ばれていた。   立派な理論立てが多くの人を感動させる。 だろうけれど、 のだけれどね…、 わたしは悲しい気持ちになった。 「親が子に何を残すか」ですって、 「残すのじゃないkamo…」そんな気がした。 何故そう思ったかの答えを 東田直樹氏がインタビューの記者に送った手紙にみつけた。 NHKスペシャル:自閉症の君が教えてくれたこと             ☝よろしければクリックしてね^^ この手紙が書かれた切っ掛けは、 同じ重度の自閉症の子を持つ親(米国人)が、彼に悩みを打ち明ける、 確か、そんなシーンからだった。 「この子で私の子孫は絶えます。その覚悟をしなければならない…」 それに対して東田直樹氏(彼も自閉症だ)が返した言葉だった。 なんとストレートな遣り取りだろうと思った。 手紙をコピーさせていただいた。    僕は命というものは   大切だからこそ   つなぐものではなく   完結するものだと考えている   命がつなぐものであるなら   つなげなくなった人は   どうなるのだろう   バトンを握りしめて   泣いているのか   途方にくれているのか   それを思うだけで   僕は悲しい気持ちになる   人生を生き切る   残された人はその姿を見て   自分の人生を生き続ける   *NHKのwebページより

世の中ピリピリしてるから、おいしい朝がいい^^

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  朝起きたらお水を200㏄。 必ずね^^ で、今日の朝食(もう11時を回つているし…)。    写真撮るの忘れた~~ 献立表 ・ベビーリーフのサラダ    オリーブオイルと酢、醤油(又は岩塩)を少々かける。 ・スープ    かぼちゃを潰して冷凍しておいたものを豆乳加えてミキサーにかける。 ・ライ麦パン(ライ麦の粒入り^^)    ライ麦率が30~40くらい。田舎だからこれしか手に入らない。    普通ライ麦パンはトーストしないのだろうな…だけど、    でもこのパンは粒が入っていてカリッとトーストすると美味しい。    私は好きだ。    オリーブオイルと岩塩をパラパラ(美味しいから~)。     ・ししゃもの燻製    桜のチップでスモーク。    昔はスモーカーで燻製を作り、アウトドアを楽しんだのだけど、    引っ越しを決めたとき捨ててしまった。    後悔したのだが後の祭り…    で、やや満足ができないけれど、    フライパンで作るようになって久しい。    スモークが(チップが桜だし)ソフトになって物足りないかな…。    でも、わたしはこれくらいでいい、それなりに満足。 簡単燻製のレシピ ●材料 ししゃも…6匹 ローリエ…2~3枚 ・アルミフォイル ・スモークチップ ・クッキングシート *ししゃもは干物だからそのままでOK  水っぽいものをスモークする時は水分を飛ばして(干す等)から調理。 ●作り方^^! ①フライパンにアルミフォイルを敷く。 ②チップを敷き詰める(チップはDIYなどで)。 ③チップの上にクッキングシートを敷く。 ④クッキングシートの上にししゃも、上にローリエを置く。 ⑤中火にかけて煙が出てきたら蓋をする。 ⑥弱火にして10分ほど(大きさや、好みで調節してください)加熱。 *燻製の匂いが少々つくかもだから、調理後はフライパンと蓋を洗ってね。 *プライパンは深さがあるといいのだけど、私はいつものを使う^^

月もたのまじ

今日が最後の雪になればいい。 寒い冬にはそう思っていたものだ。 暑ければ暑いで、もう夏などいらないと言う。 寒ければ寒いで、もう冬などいらないと言う。 何故かとてもひ弱。 思えば近年、 冬が穏やかになっていた…、それも去年までは^^ 確か、子供の頃はかなり雪が積もったものだった。 陽はのぼるものだし夜は明けるものだけれど 冬の寒い日は、遠くの山から冷たい朝が降りてくる、そんな感覚があった。 日本海側から冬の季節風が 伊吹山の麓(関ケ原)につながる回廊を通って吹き下ろす。 この地域で伊吹おろしと呼ばれるこの風に乗って 真白の雪に覆われた底冷えの朝がやって来る。 それが、冬の朝にある記憶だった。 もう、二度と見ることもなくなったものの 実家の、西窓の枠に切り取られた 寒々とした伊吹山を肘をついて眺めていたものだ。 その四角い領域に全てが畳み込まれ 毎週のように続く寒い朝を思い出した。 歌は秋の伊吹山 前詞:「戸を開けば西に山あり、伊吹といふ。    花にもよらず、雪にもよらず、ただこれ孤山の徳あり」    そのままよ月もたのまじ伊吹山    芭蕉 凛と伊吹山のごとくありたいもの。

恋の辻うら

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  居を移して1~2年頃だった。 法被姿の地下足袋という出で立ちで リヤカーを引くお豆腐屋さんを見かけたことがある。 一度っきりだ^^  銀座で仕事をしていたころは 秋は石焼き芋、夏はアイスキャンディー屋がやって来た。 塔屋階(ペントハウス)にあった会社の窓を開けて、 引き売りのおじさんを呼び止めたものだ。 「待ってて!」と手を振ると、 おじさんも見上げて手を振ってくれた。 大抵は決まった時間にやって来るから、 その頃になるとソワソワだ。 オペラント条件づけかも^^ 今、都会の引き売りは、欧米に真似て洒落たキッチンカーが走る。 移り住んだこの町外れは、竿やスイカをのっけて軽トラが走る^^ 昔は引き売りの掛け声に季節や一日のリズムがあった。 お豆腐屋さんの引き売りの声は 記憶の中で、早朝にあってそれは一日の始まりで、 夕暮れにあってそれは一日の終わりだった。     のだけれど… 好景気に沸いからと無計画に開発された町は、 公園の子供の声を嫌い、年末の除夜の鐘を嫌い、引き売りの声を嫌った。 私が移り住んだころは既に、 土曜の夕方をお豆腐屋さんのラッパ(?)の音が 申しわけなさそに小さく響くだけだった。 暮らしの時を刻んだ音も、今じゃ騒音以外の何ものでもないのだね。 昔、おみくじを売る辻占文化が夕方の街角にあって、 縁起を担いだり恋の成就を楽しむ、それは粋な文化だった。 江戸時代には、おみくじを引き売りする姿に引き継がれ、 明治・大正時代には 「淡路島通う千鳥の恋の辻うら」と幼い掛け声が響いたらしい。 けれど、 今じゃフワフワの皮に恋のみくじを入れて 金沢のお正月限定のあそび菓子になって残る。 この「辻占」結構お値段が高い。 失くした文化への郷愁は高くつくものなのかも^^ たかが引き売りだけど、目まぐるしく変貌した歴史の片隅に 喜怒哀楽を生きた時代の涙や笑が詰まっているんだ。 「恋の辻うら」のおみくじを楽しんむ人々に流れた時間のように 目覚めることのない記憶をねぐらに。

コロナ禍の自粛、暇な君から☎

「…。 ところで、アリスは鏡の国で全てが逆さまの体験をするじゃない。 だけど鏡を覗き込むと、反転しているのは左右だけでしょ。 でも左右だけで、なぜ上下は反転していないのかって不思議」だって。 手足もぬくぬく、よい塩梅にお目目も平和協定を結ぼうとした矢先、電話だ。 いったい何時だと思ってるの‼‼‼(⚓ ☜ これ怒りのつもりです^^) それにしても、 このままじゃ、眠れない!!! 私の小さな脳みそがコロコロと音をたてる。 いい加減にしてよ…といいながら… なんだかんだと鏡をいじる。 どっと背もたれに身を投げ、鏡を天井に差し出して覗く…、 と、、、 そこにぶら下がっているような私は、 左右と上下が両方反転しているように見える? 床に垂直に鏡を置くと、奥と手前とが「反転」している! つまり、左右だけ反転しているのではなく 鏡に対し垂直な空間全体が、くるっとひっくり返ってる...(汗 そうゆうことなんだと…、分かったつもりになる^^ 鏡の面に対してその垂直な空間がゴロンと反転している! まるで袋をひっくり返したようにね。 きっと左右だけ反転しているように感じるのは、 目が左右に二つあることに関係するような気がする。 なぜって、壁に立って、といっても、 壁に立つなんて忍者じゃないから出来るはずないから、横になる。 例えば右肩を床側にして鏡をの覗き込むと、 鏡の向こうでは天井と床(天井側の左肩と床に付く右肩)が反転して、 左右の壁、つまり横になった状態の頭の壁と足元の壁は反転していない。 頭を上(天井)としたら足元は下(床)のままってことなのだ。                うんうんと、一人納得する^^ さてこれで眠れるかなと思ったのだけれど お陰で暖房をセットしておくことを忘れていた。 ひんやりとした寝室のベッドに、まあるくなって潜り込むのだけど、 既に眠気は何処へやら飛んでいた。 駄目だ、ますます眠れなくなる。 そう言えば去年のイブの夜、妹からLINE。 「良い子は早く眠るものです。 サンタさんは良い子のところにしか来ないそうです」ってね。 そう、眠らなくちゃって、 少し遅れたけれど、アリスはちゃんと眠れた良い子だったのだけど… でもあの日、プレゼントは届かなかったし…(´;ω;`) 

朝々日は東より出で、夜々月は西に沈む

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「日々是好日」改めて正月もなく^^ 古代バビロニアやエジプトでは日の出、 アラビア、トルコ、ユダヤでは日没が、一日のはじまりでした。 ヒンドゥー暦、イスラム暦、太陰太陽暦、太陽暦によって、 一日のはじまりが違えば、一年のはじまりも違うようです。 太陰暦で正月を祝う習慣は中国をはじめに、アジアに多く残ります。 日本は、旧正月の言葉は残っても、行事は姿を消しました。 けれど日本に居住する少数民族の、宗教や文化の違いによるささやかなお正月は、 それぞれ行われているのでしょう。 多民族・多宗教国家のマレーシアやシンガポールなどは、 既にお正月が、年に4回認知されているようです。 移民社会の、一つの側面を見るようですね。 少し意外な、イランの春分の日のお正月。 ヒンドゥー教の10月下旬から11月頃のディパバリ。 きっと調べれば、年中様々な好日のはじまりがあるのでしょう。 思えばこの片隅の一人ひとりの誕生や人生の機微365日のすべてが、 日々是好日になのかも知れません。 いつか、文化において国単位のアイデンティティと言うスタンスは薄れ、 あらゆる国で多くの文化が混在する時代になるのかも知れません。 既に悠々と時が過ぎ、 何一つとして戻りはしないということ。 私事ですが、 本棚の子引き出しに懐かしい水茎を見つけ、 個人的価値観の構築を意識した数年に 坦々と時を過ごす、それしかないと結論の年です。 「行雲流水」、 特別な日もそうでない日も、生きてる間は 欲しい! う~n、間違えているし…^^ 「朝々日は東より出で、夜々月は西に沈む」のだと、ただ納得。 どんなに恋しくても太陽はつまむと火傷しそうですし、 おっ月さんはあまりに冷たくて… 恋こいて摘まんとするか寒の月  あきのの