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恋の辻うら

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  居を移して1~2年頃だった。 法被姿の地下足袋という出で立ちで リヤカーを引くお豆腐屋さんを見かけたことがある。 一度っきりだ^^  銀座で仕事をしていたころは 秋は石焼き芋、夏はアイスキャンディー屋がやって来た。 塔屋階(ペントハウス)にあった会社の窓を開けて、 引き売りのおじさんを呼び止めたものだ。 「待ってて!」と手を振ると、 おじさんも見上げて手を振ってくれた。 大抵は決まった時間にやって来るから、 その頃になるとソワソワだ。 オペラント条件づけかも^^ 今、都会の引き売りは、欧米に真似て洒落たキッチンカーが走る。 移り住んだこの町外れは、竿やスイカをのっけて軽トラが走る^^ 昔は引き売りの掛け声に季節や一日のリズムがあった。 お豆腐屋さんの引き売りの声は 記憶の中で、早朝にあってそれは一日の始まりで、 夕暮れにあってそれは一日の終わりだった。     のだけれど… 好景気に沸いからと無計画に開発された町は、 公園の子供の声を嫌い、年末の除夜の鐘を嫌い、引き売りの声を嫌った。 私が移り住んだころは既に、 土曜の夕方をお豆腐屋さんのラッパ(?)の音が 申しわけなさそに小さく響くだけだった。 暮らしの時を刻んだ音も、今じゃ騒音以外の何ものでもないのだね。 昔、おみくじを売る辻占文化が夕方の街角にあって、 縁起を担いだり恋の成就を楽しむ、それは粋な文化だった。 江戸時代には、おみくじを引き売りする姿に引き継がれ、 明治・大正時代には 「淡路島通う千鳥の恋の辻うら」と幼い掛け声が響いたらしい。 けれど、 今じゃフワフワの皮に恋のみくじを入れて 金沢のお正月限定のあそび菓子になって残る。 この「辻占」結構お値段が高い。 失くした文化への郷愁は高くつくものなのかも^^ たかが引き売りだけど、目まぐるしく変貌した歴史の片隅に 喜怒哀楽を生きた時代の涙や笑が詰まっているんだ。 「恋の辻うら」のおみくじを楽しんむ人々に流れた時間のように 目覚めることのない記憶をねぐらに。