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9月 10, 2021の投稿を表示しています

気まぐれ美術館       

白洲正子が心酔したというから、いい男だったのか … ? そう思ったのだが、そうでもなさそうだ。 しかし、何故だか女にモテたらしい。   『肉体の門』の著者田村泰次郎から画廊を引き継ぎ奮闘。 文筆家を志していたことも大きかったのだろう、 無名な画家を世に送り出してきた洲之内徹という人。   「君に洲之内さんを会わせてあげたかった」 彼がそう言ったのは昔のことになる。 某社の記者だったころ、 美術雑誌の編集長として引き抜かれたのが縁で 往年の洲之内徹と知り合ったらしい。 既に詳しい話を聞く術など無くなってしまったが、 彼が亡くなった年、 宮城県美術館に残された洲之内のコレクションを鑑賞しようと訪ねた。   彼から聞いてイメージしたほど、洲之内が『佳』とした作品と、 わたしの嗜好とは一致することはなかったが、 コレクションと洲之内の女性遍歴とが重ならないのも奇妙だった。     そんな洲之内氏について、野見山暁治(画家)が批評した文章を A 氏という方がネットで引用したものの一部分だけ、 これまた引用させていただいた^^    どだい使命なんぞというケナゲなものは、このひとにはない。   幼いときから洲之内さんをよく知っている人の記述によると、   女と寝ている洲之内さんのところへ夜中、奥さんが突然やってきて、   ランドセルを背負った二人の子供を置いて立ち去る…。   なるほど、このエピソードは彼から聞いたことがある。 しかし、洲之内自身は自分の女遍歴に何を言われてもいいが、 無名の画家たちをさげすむことは許さなかったようだ。   洲之内が亡くなった葬儀の日、 北池袋の教会から郊外の火葬場に向かうバスの中で、男は私一人だったと、 ネットで A 氏は書いていた。 A 氏は綴る。    並みいる女性たち、   ほとんどが故人の折々の歴史を刻んだひとだと、後で聞かされた。   「本当か…」と著者は付け足しているが、どこかつくられた物語を感じる。 なぜなら A 氏は自分の文体にか、洲之内の自由な生き方にか、 酔いしれているように続けているのだ。    黒い喪服に包まれた女が席を埋めつくし、   いちようにおし黙って、ひたすら車の振動に身をまかせ、   同じ方向を辿ってゆくなんて、   これはシュールレアリズムの世界、   見ごたえのある洲之内コレクションだった。 文筆家が陥る言