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待つ時間

携帯のテロップにニュースが流れた。 『大罪を犯した死刑囚3人が、 絞首刑による死刑執行は 憲法や国際人権規約に違反するとして、 国に対し刑の執行の差し止めや、 死刑が執行される日を待ち続けることの 苦痛に対する慰謝料など求め訴えを起こした』 昭和時代、死刑の告知は数日前だった。 この数日を待つ死刑囚の精神状態は容易く想像がつくものではない。 死刑執行に立ち会ったという刑務官が 「私が担当した死刑囚は本当に落ち着いていました。 こういう言い方も変ですが、とても立派な態度だったと思います」 とコメントをしていた。 今は、死刑執行を告げられた死刑囚の自殺があったことで、 当日の朝に死刑執行の告知がされているようだ。 どちらにしても執行の日を待つという心理状態の重さを、 容易く想像出来やしない。 以前、些細な犯罪で刑務所暮しを始めた受刑者にしても、 出所の許可が下りる日を 楽しみに待つ者だけではないのではと思ったことがある。 仏蘭西のTV局が日本の刑務所をレポしたドキュメンタリーを見た時だった。 アカデミー賞で日本の『万引き家族』がノミネートされていた頃だ。 老婆の後ろ姿がゆらゆら揺らいで残像がひび割れをおこす。 あれから数年の時が過ぎたが私の脳裏には 今だ老婆の残像がゆらゆら揺らいだままだ。 少し古いデータだが、 高齢受刑者の70歳以上の第1位窃盗が半数以上を占め、 第2位の覚せい剤取締法違反10%弱を大きく上回っているらしい。 しかも窃盗の中身は万引がほとんどのようだ。 しかも白書によれば、65歳以上の万引検挙者数は 未成年者の3~4倍に増えているらしい。 しかし万引きに至る経緯はかなり異なるはずだ。 そこに刑務所の施設の在り方や、 行政側の緒問題があるのではないかと思わずにはいられない。 彼らの待つ時間は軽減されるだろうか? 受刑者たち自身、社会から疎まれている事を充分わかっている。 例え彼らが認知症であっても。

刑務所の時間

携帯のテロップにニュースが流れた。 『大罪を犯した死刑囚3人が、絞首刑による死刑執行は憲法や国際人権規約に違反するとして、国に対し刑の執行の差し止めや、死刑が執行される日を待ち続けることの苦痛に対する慰謝料など求め訴えを起こした』 昭和時代、死刑の告知は数日前だった。 この数日を待つ死刑囚の精神状態は容易く想像がつくものではない。 死刑執行に立ち会ったという刑務官が 「私が担当した死刑囚は本当に落ち着いていました。 こういう言い方も変ですが、とても立派な態度だったと思います」 とコメントをしていた。 今は、死刑執行を告げられた死刑囚の自殺があったことで、 当日の朝に死刑執行の告知がされているようだ。 どちらにしても執行の日を待つという心理状態の重さを、 容易く想像出来やしない。 譬え些細な犯罪で刑務所暮しを始めた受刑者にしても、 出所の許可が下りる日が必ずしも喜ばしい事だと云い切れないのでは、 とも思ったことがある。 仏蘭西のTV局が日本の刑務所をレポしたドキュメンタリーを見た時だった。 アカデミー賞で日本の『万引き家族』がノミネートされていた頃だ。 後ろ姿がゆらゆら揺らいで残像がひび割れをおこす。 あれから数年の時が過ぎたが私の脳裏には 老婆の残像がゆらゆら揺らいだままだ。 少し古いデータだが高齢受刑者の70歳以上の第1位窃盗が半数以上を占め、 第2位の覚せい剤取締法違反10%弱を大きく上回っているらしい。 しかも窃盗の中身は万引がほとんどのようだ。 しかも白書によれば、65歳以上の万引検挙者数は 未成年者の3~4倍に増えているらしい。 しかし万引きに至る経緯がかなり異なるはずだ。 そこに刑務所の施設の在り方や、 行政側の緒問題があるのではないかと思わずにはいられない。 三人の死刑囚の訴えにどのような判決が下されるのだろうが…?

なんて寂しい動物だ      

久し振りにランニングマシーンで走ってきた。 10分も経たないのに息が上がるから最悪の体力だ 。 昨年の初夏から特訓を受け、筋トレのサポーターを始めた。 きっと、筋トレと、ランニングは異なる運動ということかな。 取り敢えずの結論。 ダイエットを考える人においては、 ランニングなどの有酸素運動は効率が悪い。 個人的には痩せる必要を感じていないので、 ランニングだけでも良いのだけれど… ランニングをやりに来る人は自立心が強いようだ。 筋トレはワイワイガヤガヤになる。 そんなメンバーとのコミュニケーションで気になったことがある。 「年末のお食事会」の話が出たときだ。 この時世だから少人数で…、となったその場に男性が一人。 「女性ばかりで男は僕だけですか‥」と言った矢先、 一人の女性が答えて 「大丈夫、貴方を男だなんて思ってないから…」 冗談でもなんだかな~、その言方はいただけないし。。。 男性はちょっぴり絶句しながら返した。 「僕もあんたを女だと思っちゃいない!」ってね。 そう言えば、町内の役員をやらされた時だ。 「今日、○○さんお休みしますとのことです」と伝えると、 「ああ、あのばばあか‥‥」ってね言葉が返ってきた。 何て失礼な言葉だろう。 男も女も、歳と共に粗野で下品 になる人って多いのかな…? 田舎だから許される…? なんてことあり得ない。 文化・教養レベルが低いからと許されることでもないと思うし。 親しいからと言い訳してもTPOがあるし、私には通じないんだから。 その男性がハンサムで権力もお金も持っていたなら、 同じ言葉を吐き捨てるように言えただろうか? 畏まって、年を返上し出来る限りいい女を振舞う だろう。 その女性が美人なら「あのばばあ…」だなんて、 土にまみれた手をしていても、 絶対言わないはずだ。 年を積み重ねていようと 貧相な身なりであろうと、 美人であろうと美人で なかろうと 、 お金持ちであろうとお金持ちでなかろうと、 人として払うべき敬意を忘れてしまったところに、 平等で健全な精神など育つはずなどないのだから。 SDGsやPC(ポリティカル・コレクトネス)などなど いっぱい言葉が生まれ、 いつものように知的レベルを自負するあなた達の間で 体よくかまびすしくなるだけの標語など何の意味もないし。 第一、性・民族・宗教などによる差別や偏見、 それに関連する

時が過ぎるということ     

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時が過ぎるって、こういうことかな。 そう、やっと分かることもあるってね。 こころ おかあさまは おとなで大きいけれど お母様の こころは小さい だってお母様はいいました 小さい私でいっぱいだって 私は子供で小さいけれど 小さい私の心は大きい だって大きいお母様で まだいっぱいにならないで いろんなことを思うから          (金子みすず)

3つの夜想曲より:愛の夢   

久し振りにリストを聴いた。 ショパンは我々の中で常に異邦人だったと言ったリストは ショパンの作品を愛し、ショパンに対し最高の賛辞を惜しまなかった。 「ショパンは魔術的な天才でした。誰とて彼に比肩するものはない」                           (リストの手紙)

・・・、  

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色々あった。

迷える小鳥          

タゴールとアインシュタインの対談(1930/07/14) 「あなたは神を、この世界から遊離・超越したものとして 信じていますか?」 アインシュタインの問いかけに 「私は神を信じています。 けれど神は世界から遊離・超越してはいません。 人間の無限のパーソナリティーは宇宙を包含しているのです」 とタゴールは答えている。 「この地上に人間が一人もいなくても宇宙は存在する」 と主張するアインシュタインに対し 「神も含めあらゆる真理は人間が存在してこそ成り立つ」 とタゴールは言うのだ。 「宇宙の存在を感じているのは人間に他ならない」 ということらしい。 物理学者アインシュタインは 「宇宙の実在がなければ科学というものも成り立たちません」 う~ん、なるほどです!!! インドの詩人タゴールは 「科学も人間が生んだもの、実在を感じるのも人間。 人間というものがこの世の中に存在しなければ、 この世界そのものが無なのです」 これもね、う~ん、なるほどです!!! タゴールを知ったのは キューブラー=ロスの著書『死ぬ瞬間』の 章の扉に挿入されていた詩との出会いだ。 あれは二十年前の事。     タゴール詩選/迷える小鳥     176    瓶の水は光っている、海の水は暗い、    小さい真理は明らかな言葉を持ち、    偉大な真理は偉大な沈黙をもつ。

あきしぐれ 

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男と女 魅力的な男と女の関係というのがある。 そこに一つの哲理を思う。 拾い読みの、ページをめくる手が止まった。 女性の死に際し、おくる言葉が綴られていた。 そこからヘルダーリンの三篇の詩をピックアップ、 たった三編の詩だけれど…。 しばらく、何も考えないで綴るから、 傍で聞いていてください。

カリカリ  

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このミルと、何十年を一緒にすごした。 泣いたり笑ったり、忙しい人生だったne^^

俺の人生           

眠れない夜だった。 「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」                  藤原新也著    コスモスの影に隠れている十四の人生が綴られる。 写真家としてのイメージが強いから 視覚情報のリヤリティで読み始めてしまった。 だからかな、写真のインパクトから言えば物足りない。 それでも、年の所為か目頭がチクチク。 随分時間が経ったようで 気が付くと、とうの昔に三丁目は過ぎ、 わたしは次のページをめくっていた。 どこに行こうとしていたのか… 名残惜しい 時間と空間が抜け落ち、 季節の狭間を雨が降る。 外は冬の気配。 ノイズ交じりのドーナツ盤が、 もうひとつ、私の人生をプラスして、 十五の人生を追走する。 彼は本当にいい声だ。   俺の人生 ジャン・ギャバン 僕は子供の頃 大人の振りをして 声高にはなしたものだ おいらは知っている おいらは知っているんだ…と それが最初だった それは人生の春だった そして18になった時 僕は言った 分かっている これでいい、分かっているよ…と   そして今 過ごした日々を振り返り 歩き回った足跡が残る大地をみつめながら 私は何も分かっちゃいない 分かっちゃいなかった、と繰り返す …………………………

しゃぼん玉          

そう、サタンは対する敵などではなく、 あなた自身。 彼らは未だ「天動説」を信じている人も多い。 取り敢えず138億光年の距離が「宇宙の果て」としても、 それ以上先を見ることもできな し、解明されていない。 だから地動説も天動説もないのかもだけど。 針の先より小さな視野で事象を見れば、天動説になる。 人間が思考する器量とはそう言うもの。 トマトスープ投げつけ「絵と地球と、どちらが重要か」 そんなの決まってるじゃない 「絵の方が重要だ」 と言いたいくらい愚かな比較をするのは意味などない。 地球は生まれて46億光年だ。 人間の理解を超えた時間と変動を経過しているんだから。 絵と地球を比較する脳みそじゃ何も分かりはしないだろうな。 そもそも君たちこそ 温暖化の経済成長を牽引してきた人種の脛をかじって、 ぬくぬく恩恵を受けて生きてきたでしょ。 今の豊かさを全て捨てられるのかってね、聞きたいくらい。 智慧の浅い、目立ちたがりやのパフォーマーがとても 増えたのだね。 それにね、妊娠中絶は女性の権利とか権利じゃないとかって。 これって法律で定める類のものではないと思うのだけど。 「悪法も法なり」ではなくて、そもそも法は全て悪法なんだ。 そう、手に負えない人類統治の枷なのだ 。 ソクラテスも人間を分かっちゃいなかった。 SDGsもひっくるめて言えること、ただ頭でっかちの ポリティカル・コレクトネスが我が物顔に闊歩して、 中絶の権利を法律化するだなんて異常。 子孫を残す目的をもたない性交渉がほとんどだと言うこと。 今のところほぼ人間だけの行動だ。 デリケートなY染色体は弱体の危機らしく、 このままじゃ消える運命を辿るかもらしい。 夫婦であってもセクシャルハラスメントで訴えられる。 だったら結婚制度など無くしたらいいと思うのだけど。 男も女もどこかで甘えているんだね。 女も生活力を持って自立すればいい。 子供は私設かベビーシッター雇って、 調理も掃除も便利屋さんに出前を頼めばいいし。 私はついてゆけないけれど、 あれもこれも欲しいなんて近頃の人は何考えてるのだろう。 そんな暮らしのための法律なんだろうと、思うこのごろ。 LGBTもね。色々つけ足されてLGBTQIA+なのかな? 人間は悲しいかな、 言葉にするとそれが分かった気分になって安心する。 解決もつかないのに言葉だけが闊歩する。 挙

11月の蝶  

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疲れきった翅も 一生懸命生きていた命の証。

大賢は愚なるが如し      

  『ゴータムの賢人』という逸話がある。 Wise Men of Gothamといえば馬鹿な人をさす。 ヤギ(goat)が馬鹿な動物とみなされていたことから ネーミングされたとも言われるのだけど…。 逸話の内容は 村の近くに国道を建設しようとしたイングランド国王が 村の支援を要求するために使者を送ってきた。 費用を負担したくなかった村人は、 全員で物事が理解できない馬鹿のふりをして難を逃れた。 実際には馬鹿ではなく 馬鹿なふりをしていただけだという話のようだ。 19世紀の作家ワシントン・アーヴィング(米国作家)は、 「マザーグース」にもなった「ゴータムの賢人」から、 風刺新聞『サルマガンディ』1807年11月11日号で ニューヨーク市のことを「ゴッサム」と呼んだ。 ここから、バットマンが住む架空の街が 「ゴッサム・シティ」にもつながるらしい。 マザーグースで歌われるゴッサムの三賢者     ☟ ゴッサム村の三賢者 (マザーグース) M017 Three wise man of Gotham Three wise man of Gotham Went to sea in a bowl; And if the bowl had been stronger My song would have been longer. 「大賢は愚なるが如し」と言うことだろうか? 何だかな… 今日、一日の反省を込めて^^

左手の記憶 

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廃屋の裏木戸を開けると、 細長く伸びた土間の奥、 釜戸が目に飛び込んできた。 時間の痕跡に四角四面の思い入れはないからか、 こころに積み上げるのも無意味な閑さが胸を衝く。 それでも小枝を拾い集め焚口にくべると、 パチパチと赤い火の粉が纏わりつくようで… 払おうと伸ばした左手が空をつかむ。

てがみ            

煙草の包み紙と一緒に、 懐かしい手紙がアルバムに挟まったままだった。 窮屈な場所で二~三十年余りの時間を過ごした手紙だ。 人間には、なかなか気付けないこともある。 なんと哀しいことかと、今思う。 出会ったのは君が十二の頃だったんだね あれから随分の時が過ぎてしまい 僕の髪がぱらぱら白くなり始めた夏だった 消息を風のたよりに聞いて、僕は東京へ君を訪ねた 「少し年を取りすぎたかな」と、口にする僕に 「私も同じ数だけ年を取りました」と君は笑ったね 僕は妻に「小さな恋人に会ってくる」といって出かけたのだけど 僕の気がかりをよそに、自然体で生きる君に驚いた 当たり前のことだけど、君は大人だった 君と会えるのもこれが最後かもしれない ややへこたれ、この手紙を書いている けれど胸の奥から、どうしようもない悲哀と一緒に 熱いものがこみあげてきたんだよ 妻は髪をくしけずる僕を横に 「まだまだ捨てたものじゃないですよ」といってくれた 僕は精一杯、男前でありたいと思った  見舞いにきてくれてありがとう  君に会えて、ほんとうによかった 色々ね、なんて勘違いして生きてきたのかってね。 きっと先生のこころを痛め、手を焼かせた どんなに多くの、小さな恋人がいたことだろう。 やっと戻ってこられたのだけど…。 開け放たれた土間を通り抜け、 手紙のインクを舐めるように風が吹く。 こんな閑かな時間が他にあるだろうか。

マッチ売りの少女       

ニルマル・ヒルダイ(死を待つ人々の家)という施設がある。 (NIRMAL HRIDAY) *ニルマル・ヒルダイの意味は「清らかな心」。     ああ、清らかな心ってなんだったのだろう。  久しく御目文字あずかってないし…。 『死を待つ人々の家』は、 1952年マザーテレサによってカルカッタに設立された施設だ。 施設がカーリー寺院の隣接して建てられていることから カーリーガート(死を待つ人の家)とよばれている。 『死を待つ人の家』は重篤な人々を対象に、 信仰をもとに尊厳死を重んじたホスピスである。 日本で云えば「緩和ケア―病棟」かもしれないが、 そもそも緩和ケア―などに入れる余裕などない貧しい人々の最後を 静かに看取る施設だ。 もちろんここでの死は高齢者だけのものではないし、 まして悟った賢者らが辿り着く、 「生かされている」「生かされてきた」の心情でもないように思う。 ここには、黙して語らず「受け入れていく」無言の命がある。 「生かされている」と悟る賢さなどないわたしにも、 全てを受け入れることが出来る静かな生き方がしたい。 友人宅で原書に忠実に訳したという 絵本『マッチ売りの少女』を手にした。 絵本のイラストはとても味わい深いものがあり、 そこには、今どきの漫画的かわいいキャラクターがいない。 子供の様なバランスを持つ、かわいいお爺さんお婆さんもいない。 そして書き換えられていない物語は、 男女を問わず、全ての年代に扉を開く。 そうだね、わたしが記憶している『マッチ売りの少女』には 死の結末があった。 当時は理解の外の 文脈もあったりしたものだけど、 「これって何?」「どうしてなの!」ってね。 マッチ売りの少女の死に場所が 凍える町の片隅だったことに、 小さなこころは説明のつかない痛みを覚えながら、 当時はマッチ売りの少女がわたしの隣にいるような気がして、 わたしがここで泣いちゃいけない、 少女は泣いてなんかいないのだから…。 そう思った記憶がある。 アメリカに最初に渡った『マッチ売りの少女』は、 結末にお金持ち のおじさん が登場して、  (何故お金持ちのおじさんを設定したのだろう、   成金のアメリカ人らしいと云えば言えなくもないかな。   何れにせよ、幸せは裕福なおじさんがもたらすだなんて、   あまりにも安易な構想だ) 幸せな未来を予感させるエンディングに

君の誕生日だね^^       

一羽来て啼かない鳥である              山頭火 鳴かないすずめも淋しかろう              あきのの

小さな靴屋さん        

それは、以前住んでいた町にあった。 板の間の真ん中で四角い座布団に座っているのは まん丸ロイドメガネのおじいさん。 小柄で、職人気質で、ちょっと偏屈。 けれど、話が弾むと陽気な一面をのぞかせてくれる。 「待っていれば、すぐ直してやるよ」といってくれるから いつもおじいさんの脇に座って過ごしたものだ。 コンコンとハンマーの音を響かせて修理が終わると 「今どきの靴の修理はなってないよ。 あれじゃますます靴が悪くなるのさ、大切に履きなよ」と メガネ越しに笑う。 あれから過ぎた時間にいろいろなことがあり 町を去ることになったある夏の夕方 さよならを言おうと、久しぶりに訪ねたのだけれど ちいさな丸い背中が振り向きもせず呟いた。 「今月で店仕舞いだ、もう直してやれないからね」 こころが何かでいっぱいになるのを覚えても 返す言葉が見つからない。 伝えたいことが言葉にならない。 そうだった、 あの頃、わたしに起きた悲しい出来事に耐えられず あんな奴らが生きているのも許せなくて 普通の人々の幸せすら、苦々しく思っていた。 胸の中のものをそのままさらけ出したら 吐き気をもよおすほど、きっと心は醜かった。 偶然、ここに来るようになって 小一時間を過ごし、わたしはあなたに救われた。 土砂降りの雨の、夜だった。

事実は小説より奇なり③

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そもそも、宗教を特別視する必要などないのだから。 宗教の自由は職業選択の自由と同じ時限で捉えて良いものだ。 宗教は人間の欲望の上に立つからこそ、 怖ろしいほど人間を支配する。 この欲望の神髄は、 生理的本能的なレベルから、社会的愛他的なレベルを含み、 心の働きや行動の全てを支配統括する。 よって野放しでは収拾がつかなくなることぐらいわかりそうなものだ。 まして税制の優遇処置など不要で、法律を変える必要は100%ある! 大切なことは、教育だ…。 生きていれば色々あるものだもの。 もちろんABCや123ばかりが教育じゃないし、 メタバースの時代、商機を左右する欲望の資本主義社会で 生き残る力だけが必要なのでもない。 全員がアクト、アクトレスで 自己顕示欲はSNSで十分すぎるほど育ったけれど、 自省する力が育っていないことが問題だし、 思いやりの心が全く無いとは言わないけれど、 それは自己中心的で軽薄短小(なんだか大昔はやった言葉)だ。 良くも悪くも自分勝手な個人主義だから、 マインドコントロールもされ易いのだね。 そして、ボランティアは決して献身な人の集まり などではないしね。 思いやりの心の基軸が共感にあるなんてことは絶対ない。 統一教会に賛同している人たちは当事者だから別にして、 ボランティアに参 加する側にも受ける側にも、 悲しいかな注意が必要だということ。 そもそも共感などでは悲しみの淵に沈む人を理解など出来やしないし、心の開放だってあるはずもない。 近頃、行政も市民団体もボランティアの世界に偽善を見る。 知らぬ素振りで 冷ややかに調子を合わせるようになった私がいる。 なんて悲しい世界だろう。 そうだね、ボランティアなんて枠にまとめなくても、 社会の中で譲り合いや思いやりの範囲で出来ることをするで十分だ。 何でもかんでも政府や行政は市民の誠意を利用し過ぎ。 そこにぶら下がって利益や利権を貪る団体もあるってこと。 世界の、一向落ち着かない諍いも然り、 一面だけだろうが、安部氏の銃撃事件から見えてきたものもある。 勿体なくも大切な時間を使ってしまったけれど、 経験と知識をプラスして、 裏切りにも強くなったし、 紛いもの(者)への対処にも賢くもなった。 ほんとうに色々学んだ。 「事実は小説より奇なり」 なんだか異常で奇妙な人間社会の中でね。 バイロンの名言が大当たりだ

事実は小説より奇なり②     

  コロナ禍に始めた手話だが、 発起人が曖昧なままLINEグループが立ち上がっていた。 そしてそこに、統一 教会の組織が網の目のように繋がっていたのだ。 資源を枯渇させるIUU( 沖アミ)漁法で、 根こそぎ献金奴隷(日本人)を捕獲ということことだろうか。 我が町にも○○協議会が牛耳るボランティアセンターたるものがある。 もしわたしが大学で原理研究会に参加し社会 活動をしていたら、 真っ先に○○協議会のボランティアセンターに繋がりを持つだろう。 そう考えると、この成り行きも 推して知るべしかな。 統一教会は 「原理研究会」という大学の学生サークルがあって、 地域に溶け込んだボランティアの活動を行っていたのだから、 至る所で接点、 ないしは統一教会が発起人のボランティアが そこいらにあっても 可笑しくは無いのだ。 本当に物腰が柔らかく、思えば猜疑心を抱くほどやさしい。 まだコミュニケーションも進んでないのに、 古き友人のように接触してくる。 サークルのLINEで積極的な誘いが繰り返された。 コロナ禍でイベント回数は多くなかったことと、 今思えば(幸いなことに)、どれも日程が合わずだったのだが。 以前記事にUPした イベント勧誘チラシのポスティングも奇妙ものだったが、 その手話サークルのLINEに流れたのが 「あなたの人生、無料で占います」というものだった。 手話と人生占いがどのようにマッチングするのだろう。 疑問がわいて調べてみた。 日本の女性を勧誘する 教会の 常套手段だと分かった。 このころ教会側は、 醜悪老夫婦の夢を実現する資金集めに翻弄していたのだ。 「老夫婦の歳を合わせて一人○○○万円の献金」の件だと思う。   若い男は、自身の頭脳明晰さに溺れやすい弱点を刺激され、 理解不能に設計された教義を解くことに夢中になるらしい、 そして、マインド・コントロールの泥沼に入る。 そして女は占いで釣られる(?)、 占いに弱い日本の女は無料占いに釣られて、 アダムとイヴの教義を聴き、 マインドコントロールの坩堝…? 日本の女は随分軽く見られているのだね。 何れにせよ、 それら宗教紛いのものに熱狂する信者の深層心理は 他者が持っていてずっとほしかったものを見つけ、 やっと購入した時の到達感が付随する満足感だ。 試合で勝った勝者の自己満足的高揚感や、 自分は救われるという身勝手な

事実は小説より奇なり①     

何がどうなってるの? わたしは女だけれど彼女たちの気持ちが理解できない。 ●●党を指示する女性は、党首を「あこがれの人なの」と 真顔で云う。 ■■党の運動員の女性も、やはり党首の大ファンなのだと云う。 二つの党は犬猿の仲らしい。 「思想信条の価値観に、あこがれ(ファン)って変じゃない」 と云うと、 二人からニュアンスはやや違うが 似たような返事が戻ってきた。 「そんなレベルのことではない。特別な人なのだ」 そんなレベルとどう違うというの!特別ってなんなの? 二人とも所謂「優しくまじめで、いい人」で括られる。 しかし、その心理はどうなっているのかと思うと、 有名人などの追っかけをする類の集団と変わらない。 盲目的心理状態であり、 コンサートに参加したら、 幾つ曲を購入したら…、 ・・さんと握手できますとか、サインがもらえますとか、 これもマインドコントロールの手法だ。 脅しか鞭か飴玉かの違いに過ぎない。 ただ、人間は多かれ少なかれ、大小や歪さはあっても、 何かにマインドコントロールされ、生きているのも確かかもだが…。 それにしても、統一教会の信者があの飛んでも八分の 老夫婦をして 「真のお父様・真のお母さま」と呼ぶのを呆れていた二人だけど、 彼女たちに統一教会の信者を 笑うことは出来ない 。 そこに気づかないのがマインドコントロールたる所以なのだからね。

月がある

こうしてわたしは、月をみている。 だからだね、ここに月がある。      万物は満ちたりずとも十五の夜の月  あきのの

認知革命            

「神様」というのは ある意味の「虚構」なのです。 「神様」の存在を信じることは できます。 でも、実際に「神様」に会った人は おそらくほとんどいないわけです。         ユヴァル・ノア・ハラリ 私たちは、 実際に存在しないモノについて、 話ができ。 実際に存在しないモノについて、認識することができる。 つまり、まったく存在しないものについての情報を伝達する能力。 五感では感じたことのないありとあらゆる種類の存在について 話すことが出来るのはサピエンスだけなのだ。 こうしたサピエンスが持ち得た能力を、 「認知革命」だと、ハラリ氏は云う。 そして、良くも悪くも、この能力の 結果、 伝説・神話・神々・宗教が生まれ。 伝説を共有する人々の間で、 「協力し合う」 力が生まれることになったと分析する。 そうだね、けれど、人間は 動物的直感だけで生きる狭い暮らしが物足りなくて、 もっと勢力範囲を広げ、世界を支配したくて、 意思の疎通を図る「ことば」を発見してからというもの 言葉を駆使して思考する、そして他者に伝えようとした。 やがて神様や伝説を共有することで多くを束ねることを覚えた。   …、のだけれど…。 そこに生まれた現在は、グローバル化が進み、 今やほとんどの国が、 一国だけでは経済が成り立たなくなり(ほんとかな?)、 国際関係が緊密になった結果として、 国家の独立性が弱まってきている。 そうした現状を鑑み、ハラリ氏は云うのだ。 やがて、世界の「統一」が進んでいくってね。 ネアンデルタール人たちがせいぜい 20〜30人くらいでしか 協力できなかったのに対し、 ハグや肉体的交流だけでは せいぜい200人くらいまでしか協力し合えないそうだ。 しかしホモ・サピエンスは言葉を使い認知革命を起こし、 「神話」「宗教」を共有する術を手にし、 より大きな集団での協力を可能としたと云うことだ。 そしてそこに、 イデオロギーの共有に重なる側面があるとハラリ氏は云う。 良い事か悪い事かは私には分からない。 ただ根本に、 欧米の個人主義的合理主義が生んだ自由がうごめいているってね、 そんな思いが脳裏をよぎる?。 ハラリ氏が考える個人主義的合理主義の自由と ゴータマ(釈迦)の自由とかなり違うのだけど、 けれどハラリ氏は、仏教の可能性を語っているんだね。 何か感じるところがあったのかなってね、

水の争奪戦  

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数年ぶりに空の乗り合いバスに搭乗した友から 「ボジョレーヌーヴォ2022予約承りますですって!」とLINE。 今年2022年の解禁は11月17日とのこと。 そこへ今朝のニュースが重なる。 フランスの環境活動家たちが、 カーボンニュートラルとやらで、 駐車している車のタイヤのリムバルブ保護キャップを外したり、 「干ばつによる水不足で、農業用水に使用制限が出されたのに、 ゴルフ場の芝生は『給水禁止除外』なんておかしい」と、 ゴルフ場に無断で入り込み、 ホールカップをセメントで埋めた。 これで芝生にまかれる水はブドウ畑に回されるだろうか…? フランスのブドウ畑に、 「霜対策で火がたかれた」とニュースが届いたのは 今年の春だ。 去年の霜ではかなりブドウやられてしまったけれど、 今年は何とか収穫が戻ると思われた矢先、 この夏の深刻な干ばつの影響が懸念されていた。 「ボージョレー・ヌーヴォお安くなって解禁」 だなんて時代は遠くなったのかな… もっとも、ヌーヴォなのかヴィラージュなのか、 わたしは 買ったことなど一度もないのだからどちらでもいい。 それに、今じゃボルドーのシャトーにはためくのは中国国旗。 ワインの生産者(ドメーヌ)のオーナーも 中国人投資家に虫食い状態なのだ。 何だかな… 昔、ヌーボが解禁になると 「今日はワインを買って…」という日本人が多かった。 きっと気分は「フランス人」だったのだろう。 だから今じゃ「気分は中国人」なのかも…? 「中国は5000年前からワインを飲んでいた。世界が注目」 だなんて大風呂敷で中国寄のコピーが躍っても…、 ワインはエジプトからヨーロッパへ、 ヨーロッパから、かの絹の道を通って中国に伝わったのだし、 そもそもエジプトでは紀元前8000年ごろ、 諄いのですが紀元前8000年ごろから 飲まれていたのだし。 そう、古代エジプトでは、ワインはファラオと神の飲み物で、 一般に普及したのは新王朝時代ごろからだ。 当時の庶民はと言えばビール。 この時代にビールもすごいけれど…! 大衆はピラミッド建設に携わることで パンやビールの振る舞いを受けていたようだ? でも、きっとぬるいビールだっただろうな…と思う。 そもそもビールを冷たくするのは日本の飲み方らしい。 どちらにしても、そんな特別感があったワインだけど、 当初は野生のブドウをつぼに詰めて発酵させ

さよならの夏が過ぎる 

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父と母の墓を訪ねた。 兄の家は天井までの広い窓に、外断熱。 屋根にパネルを設置、蓄電池を設備して、 メンテが高くつきそうなオール電化になっていた。 SDGsなのだそうだ…。 当たり前だけど時代は変わり、 実家は遠くなるものだと気が付いた 。 それにしてもパネルのランニングとイニシャルコストの 環境負荷はリアルに計算すると、どれくらいなんだろう。 中国製造じゃ商品が安そうでもその後に問題ありそうだ。。。 中国が儲かるだけの太陽光など要らないし。。。 2012年に固定価格買取制度が導入、太陽光は加速度的に増えた。 太陽光パネルは、製品寿命が約25~30年。メンテもままならない。 そこから太陽光発電事業は2040年頃には終了とされる。 その際、太陽光発電設備の太陽光パネルを含む廃棄物が出る。 問題山積みのカーボンニュートラルってことだ。 太陽光パネルの廃棄に関する懸念をダラダラと書き連ねると、 障壁が低いから、誰でも参入しやすい事業だったことがある。 しかも統一教会じゃないけれど、 事業の途中で事業主体や社名がコロコロ変わる、 問題が起きた時の責任が不明瞭になりがちだ。 そして、パネルも蓄電池も 様々な有害物質が含まれているということ。 中国の製品がほとんどだから、 これって耐用年数が来て破棄されるとき、 問題発覚だろうな。 昔、某大学院(中退しちゃいましたが) 建築工学に籍を置いていた頃は、 太陽光発電に日本も土俵際の片足を残していたように思う… 何れにしても、私が院を中退したころには、 中国が世界を制覇していた。 結局は中国に技術を取られ市場を取られた。 日本は製品が良くてもコスト高で撤退やむなしだったのね。 だから、太陽光発電設備の大量廃棄の問題が解決されないまま、 太陽光パネルの大廃棄時代の暗雲が垂れこめている。 当時から問題視されていた使用済み太陽光パネルの廃棄だ。 これって、ままならないだろうな。 まるで誰でももうかる商売のような触れ込みで 事業者をつのった太陽光電気事業。 素人の彼らがコストのかかる廃棄処理を行わずに、 有価物だとしてあちこちにパネル放置するときがやってくる。 世の常だ、不法投棄も増えるだろう。 そもそも太陽パネルに蓄電池は本来必修アイテムだ。 家庭用蓄電池の「法定耐用年数」はエコキュートと同じ6年。 すれば、蓄電池10年~15年の使用年数が

豚に翼    

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誰かが言っていた『幸福には翼がある』ってね。 私は幸福だった時、翼を見たわけじゃないし… ほんとうのことは分らない。 でも、豚には翼があった^^

これほど嫌悪感を感じた事は無い 

なにを言うのだ どんな風にも落ちないで 梢には小鳥の巣がある それでいい いいではないか       山村 暮鳥 ご主人は80歳ぐらいかな、、、 奥さんは77歳だとおっしゃっていた。 危なげにだが確かにここに生きている。 「うちはクーラーないのよ。 ずっとそれで暮らしてきたから全然平気なの」 ってね、そういって笑った。 バブルの頃だ、田舎の貧しい農家が、 耕すこともできない土地を笑える高値で販売。 ここは県の造成地だ。 田舎の浅い知識で都会ではバブルがはじけていたのに、 地方には遅れてやって来たお零れに、 「今売らなきゃ!」と慌てて開発された企画だ。 だから両手に余るほどの多くの問題をこの町は抱えている。 そう、県と農家の欲望の残骸がこの町にある。 冒頭のお二人がどのような人生を歩まれ、 この町に住宅を購入し、定住されたのかはわからない。 田舎にしては高額の分譲だったことは確かだ。 事情も異なるのだが、 大野市の火葬場で発見の遺体は近くの老夫婦 ~日記に記されていた「妻とともに逝く」~               2005年11月8日 の惨事を思い出した。 政治は何をしているのだろう。 カルト集団の力を借りて 国会議員になって、市会・県会議員になって、 君たちは何をしてきたのだ。 この町にもしっかりカルト集団が入り込んでいる。 売春の町の汚名を温存させ、遊戯の賭博を見逃している。 阿部氏殺害の事件の少し前、 名称を変更した統一教会のチラシが大々的に配られていた。 日本人の有名人を表に立て、公的機関の賛助が記されていた。 民族主義者ではないけれど、 韓国人や朝鮮人にこんなに嫌悪感を感じた事は無い。 この町にも日本国籍を持ち日本名を名乗る おおくの韓国、朝鮮の人が住んでいる。 この町選出の国会議員は暴力団(今も?)で韓国人の夫を持ち、 統一教会とお付き合いが深い。 彼らの権利を守って保護し、 青い空に浮かぶのは白く透き通る白夜月。 青い空から降ってきたのは忘れられた日本人の時間だ。

夏が来た   

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衣替えの季節が来ると 御簾や障子、衝立の設えがかわる。 じゃなくて変わったものだ。 部屋の中は飴色になって夏になる。 蚊取り線香とうちわをあおぐ影が 縁側のまどろみにゆらいだ。もう昔のこと… 沓脱石からつっかけが消えた。 蚊取り線香の匂いが消えた。 うちわのゆらぎも消えた。 御簾を通過してくる飴色の夏が消えた。 あれもこれも時代のごみ箱に捨てられた。 人の手が遠く、実家の庭は夏草が忙しく茂る 。 あれもこれも…、そう、あれもこれも。 草むしりをする背中は振り向くこともない。 今朝、洗濯機に放り込んだ優れもののカーテンを 再びレールに戻しながら…。 遠くで時を刻む音がチクチク、目頭もチクチク。 繰り返す季節がしんどい時がある。  

古い斧    

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(Grandfather's old axe) それぞれ部分的に修理 されつづけた挙句 、 斧の全てが見る影なく交換され、 明らかに新しくなってしまった斧を 「おじいさんの古い斧」だという話。 そう、おじいさんの斧だと言われても、 本来のおじいさんの古い斧の姿はその影も ないんだから。 EUの ロシアの天然ガス禁輸の対露制裁は まるで『おじいさんの古い斧』のようだ。 クーリエジャポン 2022.5.21より 欧州連合(EU)はロシアへの制裁として、 今年の夏からのロシア産の石炭の禁輸を決めたほか、 石油も禁輸する方針を表明していた。 だが、約40%を依存している「天然ガス」については明言を避け、 慎重な姿勢をみせてきた。 化石燃料の脱ロシア依存を説くなど、 EUは対露制裁を強める意向を示しているが、 石油の禁輸方針を表明した5月4日の翌週には、 イタリアの首相マリオ・ドラギ氏が、 EU諸国の多くはロシア(プーチン)が提案した 「ルーブル口座を開設するやり方で、 ロシアの天然ガスの輸入を続けている」と、 アメリカで開かれた会見で発言した。 ☝続きは有料になっています。 独裁政権の露骨な食指が伸びる ソロモン諸島やアフリカなどの国々や トルコとクルドの問題。 アフガンもそうだけど、 ISと戦ったクルドを使い捨てにしたのはアメリカだし。 台湾も日本も米国の『おじいさんの古い斧』を 本物だって信じてるわけじゃないだろうな。 どうやらどの国も権力の座に魅了された権力者は 独裁政権の中国やロシアと何らかわりゃしない。 これが人間なんだね。 歴史を紐解くと自己嫌悪にも陥る… 地域社会の付き合いも縮小版に過ぎないし、 皆が持ってる『おじいさんの古い斧』da。 銀座の地下鉄の階段を駆け上がったあの十字路の二階。 良く待ち合わせしたものだね。 もう一度、温かい珈琲が飲みたい。