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豊かさ             

有罪か無罪かの支持をする気はない、 しかし、私には腑に落ちない判決理由だ。 他人のPC使う暗号資産獲得プログラムの利用、最高裁 で逆転無罪 2022年1月20日 asahi  ウェブサイト閲覧者のパソコン機能を無断で使って暗号資産( 仮想通貨 )を得るプログラムが違法かどうかが争われた 刑事裁判 の判決で、 最高裁 第一小法廷(山口厚裁判長)は20日、プログラムについて「 社会的に許容しうるもので不正性は認められない 」と判断した。被告を罰金10万円とした二審・ 東京高裁 判決を破棄し、逆転無罪とした。裁判官5人の全員一致の意見。 分からない事1 「社会的に許容しうるもの」ってなんだろう。 裁判長のいう『社会的』の定義が分からない。 企業や商業主義サイドの社会? 1%の富裕層と取り巻きの社会? 夢に生きるメタバースの社会? 彼らの社会の影で 映え写真の流行る途上国では死者が絶えないし、 イイネの功罪やSNSなどのいじめの増殖もだけど、 モデレータ―の問題も残酷だ。 TikTok (ティックトック)のモデレーターが、生々しい動画による精神的トラウマを理由に、同ソーシャルメディアプラットフォームとその親会社である ByteDance (バイトダンス)を訴えた。(ブルームバーグ) 2018 年、 Facebook(現メタ) に対して 同様の訴訟 (←過去記事)があった。 分からないこと2 園田寿・甲南大名誉教授の弁 コンピューター犯罪に詳しい園田寿・甲南大名誉教授(刑法)は「新しい科学技術は善にも悪にも使える。社会の進展に資する場合もあり、警察は実際に被害が生じるおそれが出たときに介入するのが望ましい。 君が言う被害が生じるおそれが出たときとは、どんな時なの? 学者の正義とは何なのだろう、彼らには不要なことなのかな。 そもそもコインハイブとは 「第三者のパソコンのCPU(中央演算処理装置)を無断で使って行うこと」 何だか判決に至った理論構築って(ニュース記事の知識のみだけど)、 今後ネット社会の競争に勝ち抜くためには、 金額が1円だったら盗んでも犯罪にならないといっているようだ。 一億人に対して1円づつ盗めば一億円になるんだけど…。 つまるところ、被告人は、『塵が積もって山』を狙った行為だ。 分からない事3 ウェブサイトの広告レベルと変わらないから無罪判決というのも変だ。

灯油一缶と帰宅 

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昨年、友人の家で石油ストーブの上にお湯が沸くのを見た。 灯油を燃焼すると大量の水蒸気が放出されるけれど、 そこのとこは室温が上がれば飽和量も増えるから、 どれくらい湿度が適切になってくれるかは分からないものだけれど、 加湿器から放出される水蒸気は味気ないものだなって思った。 我が家の暖房は電気で補っている。 パネルヒーターやオイルヒーターは立ち上がりが悪いし 強風でエアコンも使って、遠赤ヒーターも使う。 乾燥がつらいから加湿器を使って45〜55%を何とかキープ。 誰だか 「銀杏はね雄雌があって、雌は40個に一つしかないんだ。 一妻多夫の世界なんだね」といいながら、 石油ストーブの上で銀杏を焼いていた。 私は思い切って石油ストーブを購入したのだけれど、 肝心の灯油が無いのに気が付いて、 近くのホームセンターに走った。 ホームセンターの前には「早咲きのチューリップ」が芽を出していた。 手が伸びそうになったけれど、 人間のエゴで冷蔵庫に長期閉じ込め、低温処理をして 花を咲かせるのも何故か切なくて、 おやゆび姫を育んだ花はチューリップだったよね。 雪の中じゃおやゆび姫も寒かろう…。 チューリップは諦めて、灯油一缶と帰宅した。 さて、 ストーブの上で銀杏を焼く。  

秋のねざめ           

  この秋は 帰り来なむと    朝鳥の  音づれぬれば    さ牡鹿の  朝臥す野辺の    秋萩の はぎの初花    咲きしより  今か今かと    立ち待てば  雲居に見ゆる    雁がねも いや遠ざかり    行くなへに 山の紅葉は    散りすぎぬ  もみぢは過ぎぬ    今更に 君帰らめや    ふる里の 荒れたる宿に    ひとり我が 有りがてぬれば    玉だすき かけて忍びて    夕星の  か行きかく行き    さす竹の 君もや逢ふと    わけ行きて かへり見すれば    五百重山  千重に雪降り    棚曇り 袖さへひぢて    慰むる 心はなしに    からにしき  立ち帰り来て    草の庵に わびつつぞ居る    逢う由を無み    大愚良寛

不完全な美  

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ゲームの公平な利益分配を考えていて 発見された といわれる三角形がある。 パスカルの名前がついているけれど、 何世紀も前の学者たちも研究していた不思議な三角形だ。 三角形そのものは単純な構成で成り立っている。 一つの数は、その上段両サイドの2つの数の和で導かれる。 例えば中央の縦のライン1・2・6・20を着目すると、 その上段の両サイドの数字、 2ならその上段の1と1、 6ならその上段の3と3、 20ならその上段の10と10 を足した数字になっている。 これを繰り返し、 パスカルの三角形は左右対称のすそ野を広げてゆく。 1 1 1 1 2 1 1  3 3 1 1 4 6 4 1 1 5 10 10 5 1 1 6 15 20 15 6 1 1 7 21 35 35 21 7 1 パスカルの三角形 それだけのことだが、 ここに美しいと言われる数列 [*1] が偶然重なっていた。 空間プランの仕事をしていたころ、 意識的にであれ無意識的にであれ、 お世話になったバランサーたちが パスカルの 三角関係に隠れていたのだ。 美しいバランサーは他に「 白銀比」というものがある。 その一つはルート長方形、 日本では別名「大和比」 と呼ばれているものだ。 この1:√2のバランスはとても日本人好みなのだそうだ。 中国やヨーロッパ文化のバランスから抜け出した 日本独自の美意識に通じるらしい。 そこのとこの想像力や着眼力は 欧米にない日本独自のセンスがあるように思う^^ 日本独自のセンスを例えてみると、 幾何学的左右対称のフランス庭園と異なり、 自然に調和した日本庭園の美や、 左右非対称の阿吽像や京都御所の桜と橘もそうだが、 日本で生まれた左右非対称の伽藍配置だ。 日本陶芸茶碗の形状などに見られる「不完全な美」 と言えば分かりやすいかも。 もっとも価格を釣り上げる骨董趣味の収集家というセンスじゃなく。 この作品は不完全すぎますけれど^^ それはさておき、ふと気が付いたことがある。 学者たちが完ぺきの美を求めた「神の数式」。 数式は 美しさに導かれると 重さがゼロになるという矛盾にぶつかった。 重さがゼロと言うことは、すべての物質が飛び出してしまい、 理論上、この世界の全ては無になり 存在することができないことになるらしい。 それを解決したのが日本の南部陽一郎氏。 彼は「完ぺきの美は壊れ

ゾウの時間  

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去年のテキストのつづきです。 私たちは教育の中で、 時間を絶対的な単位で捉える物理学を学んだ…? 多分。 だから、あなたも私も世界中の人が、各々 生きている時間が どんなに違うかもしれないなんて疑うことなく生きている。 そう、一分、一秒を同じように刻んで生きていると思っている。 そして同じように、そこに存在していると思っている。 ガリレオは邪魔するもの(空気抵抗の力学)が無ければ、 鉄の塊も鳥の羽も同じ速度で落下するといったのだけれど、 何年前だったか、 『 ゾウの時間ネズミの時間 』 という本を読んで、 私はゾウの時間を生きているかもと思ったのだ。 つまりこうだ(理解力が未熟かな^^)。 一分一秒が同じように流れていると思うのは人間が決めた事であって、 他の動物にはそれぞれ違う時間が流れているというのだ。 ゾウもネズミも一生の間に打つ脈の総数はほぼ同じで、 ゾウは70年ほど生きるが、脈拍数はネズミの寿命と同じ15億回。 ゾウもネズミもそれぞれの一拍を時間の単位として捉えれば、 ゾウもネズミも同じ年齢の一生を生きたことになる。 そこから導き出され、理論づけられていたのが、 サイズによって時間の感じ方が違うのではということだ。 ゾウとネズミでは体重が 10 万倍違い、時間は 18 倍違うだろうから、 ゾウはネズミに比べ時間が 18 倍ゆっくり流れているということになるらしい。 時間の流れる速さの感じ方が違うと言うことは、 機敏に動くネズミはゾウにとって目にも止まらない速さに映り、 ゾウはネズミにとって、微動だにしていないように映る。 だから、ゾウとネズミをとても高いところから落とすと、 邪魔するものが無ければ同じ速度で落下することになるから、 ネズミが感じる落ちてゆく時間はゆっくりで、 ゾウが感じる落ちていく時間はあっという間だというのだ。 落ちていくという同じ条件下の時間の中で、 ネズミにはゆっくりと時間が流れる。落ちながらネズミは死を哲学するかもしれない。 しかし、ゾウの時間には考える余裕などない、 落ちていく自分を認識することなくアッという間に落下を終える。 私はゾウよりとても小さいけれど、本当に鈍くて抜けたところがあって、 そうか、ゾウの時間を生きているのだと、 そのとき思った。 さて、母の三つの教えは四六時中こころにあったわけではない。 必ずしも高尚な生命体