3つの夜想曲より:愛の夢   



久し振りにリストを聴いた。
ショパンは我々の中で常に異邦人だったと言ったリストは
ショパンの作品を愛し、ショパンに対し最高の賛辞を惜しまなかった。
「ショパンは魔術的な天才でした。誰とて彼に比肩するものはない」
                          (リストの手紙)



ショパンは肩を怒らせることなく聴ける。
リストは構えて聴いてしまうことがある。
平面アート(絵画など)や立体(彫刻など)と
音楽一般の鑑賞の仕方が私の中では異なる。
イルミネーションなどや3Dアートの世界も異なる。
これらの好みのレベルでの価値観は
特に日本の評価センスとはかなり乖離することが多いかな…?

夜想曲(愛の夢)は詩から入って聴くようになった作品だ。
詩への思い入れの方が強い。
そう言えば『千の風』という詩が重なる。


"O lieb so lang du lieben kannst"
フェルディナント・フライリヒラート/詩人・ドイツ

愛しうるかぎり愛せよ
愛したいとおもうかぎり愛せよ
墓場にたたずみ なげきかなしむ
ときがくる ときがくる

なんびとか 愛のまごころを
あたたかくおまえのためにそそぐとき
おまえは 胸に愛をいだいてあたため
ひたぶるにその炎をもやすがいい

胸を おまえのためにひらくひとを
できるかぎり愛せよ
いかなるときもそのひとを悦ばし
いかなるときも そのひとを嘆かすな

わが舌をよくつつしめよ
あしざまの言葉をふと口にしたら
ああ それは けっして悪意からではなかったのに
けれど そのひとは去り そして悲しむ

愛しうるかぎり愛せよ
愛したいとおもうかぎり愛せよ
墓場にたたずみ なげきかなしむ
ときがくる ときがくる

その時おまえは墓のほとりにひざまづき
うれいに濡れた まなざしを おとす
もはやそのひとの影もない
ほそい しめった 墓場の草ばかり

「あなたの墓に涙をながしている
このわたくしをごらんください
わたくしが あなたをののしったのも
ああ それはけっして悪意からではなかったのです」

が そういってもその人は聞きもしないし見もしない
喜んでおまえをいだきにもこない
しばしばおまえに接吻したその人のくちびるは
ふたたび「とうに許しているよ」とも語らない

あの人は 許したのだ とうにおまえをゆるしているのだ
おまえのおかげで おまえのきたない言葉のために
あつい涙をとめどなく流していたけれど
今は しずかに眠っている もうふたたび目をさましはしない

愛しうるかぎり愛せよ
愛したいとおもうかぎり愛せよ
墓場にたたずみ なげきかなしむ
ときがくる ときがくる





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