投稿

10月 25, 2022の投稿を表示しています

小さな靴屋さん        

それは、以前住んでいた町にあった。 板の間の真ん中で四角い座布団に座っているのは まん丸ロイドメガネのおじいさん。 小柄で、職人気質で、ちょっと偏屈。 けれど、話が弾むと陽気な一面をのぞかせてくれる。 「待っていれば、すぐ直してやるよ」といってくれるから いつもおじいさんの脇に座って過ごしたものだ。 コンコンとハンマーの音を響かせて修理が終わると 「今どきの靴の修理はなってないよ。 あれじゃますます靴が悪くなるのさ、大切に履きなよ」と メガネ越しに笑う。 あれから過ぎた時間にいろいろなことがあり 町を去ることになったある夏の夕方 さよならを言おうと、久しぶりに訪ねたのだけれど ちいさな丸い背中が振り向きもせず呟いた。 「今月で店仕舞いだ、もう直してやれないからね」 こころが何かでいっぱいになるのを覚えても 返す言葉が見つからない。 伝えたいことが言葉にならない。 そうだった、 あの頃、わたしに起きた悲しい出来事に耐えられず あんな奴らが生きているのも許せなくて 普通の人々の幸せすら、苦々しく思っていた。 胸の中のものをそのままさらけ出したら 吐き気をもよおすほど、きっと心は醜かった。 偶然、ここに来るようになって 小一時間を過ごし、わたしはあなたに救われた。 土砂降りの雨の、夜だった。