忍耐
待つ忍耐… 月一で俳句の会に参加している。 空間プランニングの企画を生業としていたことがあり(クライエントの心を掴む必要性が絡むキャッチコピーを書いた)そんな乗りで一句…。という調子だから、ちょい異邦人メンバーかも知れない。 若くて詩など書いても始まらぬ。本当は待つべきものなのだ。 一生涯かかって、しかもできたら年老いるまでの長い時間をかけ、 やっと、 10 行ぐらいのいい詩が書けることになるかもしれぬ。 詩は感情ではなくて経験である。 さまざまな思い出を持たなければならない。 だが、思い出を持つだけでは十分ではない。 思い出が多い時には、それらを忘れることが出来なければならぬ。 ふたたびそれが甦ってくるのを待つ。 待つだけの大きな忍耐が必要なのだ。 (マルテの手記) 「芸術上の作品は無限に孤独なもの。 批評によってはとうていこれに達することはできない。 ただ愛のみがこれを捉え引きとめることが出来、公平である…」 自分自身を信じ続ければ、あなたの過ちを、 あなたの内面生活の自然な成長が、徐々に他の認識へ導いてくれる。 芸術家であると言うことは、計算したり数えたりしないことだ。 それは樹木のような成長なのだ」 ってねリルケは言う。 AIを友とする輩には「何と滑稽に映ることだろう…」 でもさ、これって芸術だけではなく、生きることそのものだと私は思うのだ…、けど…。 まあ何れにせよ、そこ輩には解りはしないのだろうな。 そうだね。 一生をかけて、たった 10 行の詩が書ける…。 そんな時間を過ごせたら…。 晩年のリルケが友人に書き送った書簡には、 仏訳された上島鬼貫の句が記されていた。 咲くからに見るからに花の散るからに 上島 鬼貫 リルケは 「ただ、それだけです。まったくすばらしい!」 と感動する。 家から 15 mほどの距離に、 夕暮れの わずかに汗ばむ夜、 近くの水路に蛍が飛ぶ。 差し出す指先に蛍がとまった。 こいこいといえど蛍がとんでゆく 上島 鬼貫 忍耐のリルケに、リルケが魅了された上島の句に、頬杖ついて思う。 わたしの現状は、待つことも、とうの昔に忘れた時間を生きていて、 ふたたび甦るのを待つ大きな忍耐しかり、 たった1~2時間待つだけの忍耐すら、ない。 それでも、そのま...