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なんて寂しい動物だ      

久し振りにランニングマシーンで走ってきた。 10分も経たないのに息が上がるから最悪の体力だ 。 夏の初めごろから特訓を受け、筋トレのサポーターを始めた。 きっと、筋トレと、ランニングは異なる運動ということかな。 取り敢えずの結論。 ダイエットを考える人においては、 ランニングなどの有酸素運動は効率が悪い。 個人的には痩せる必要を感じていないので、 ランニングだけでも良いのだけれど… ランニングをやりに来る人は自立心が強いようだ。 筋トレはワイワイガヤガヤになる。 そんなメンバーとのコミュニケーションで気になったことがある。 「年末のお食事会」の話が出たときだ。 この時世だから少人数で…、となったその場に男性が一人。 「女性ばかりで男は僕だけですか‥」と言った矢先、 一人の女性が答えて 「大丈夫、貴方を男だなんて思ってないから…」 冗談でもなんだかな~、その言方はいただけないし。。。 男性はちょっぴり絶句しながら返した。 「僕もあんたを女だと思っちゃいない!」ってね。 そう言えば、町内の役員をやらされた時だ。 「今日、○○さんお休みしますとのことです」と伝えると、 「ああ、あのばばあか‥‥」ってね言葉が返ってきた。 何て失礼な言葉だろう。 男も女も、歳と共に粗野で下品 になる人って多いのかな…? 田舎だから許される…? なんてことあり得ない。 文化・教養レベルが低いからと許されることでもないと思うし。 親しいからと言い訳してもTPOがあるし、私には通じないんだから。 その男性がハンサムで権力もお金も持っていたなら、 同じ言葉を吐き捨てるように言えただろうか? 畏まって、年を返上し出来る限りいい女を振舞う だろう。 その女性が美人なら「あのばばあ…」だなんて、 土にまみれた手をしていても、 絶対言わないはずだ。 年を積み重ねていようと 貧相な身なりであろうと、 美人であろうと美人で なかろうと 、 お金持ちであろうとお金持ちでなかろうと、 人として払うべき敬意を忘れてしまったところに、 平等で健全な精神など育つはずなどないのだから。 SDGsやPC(ポリティカル・コレクトネス)などなど いっぱい言葉が生まれ、 いつものように知的レベルを自負するあなた達の間で 体よくかまびすしくなるだけの標語など何の意味もないし。 第一、性・民族・宗教などによる差別や偏見、 それに関連す

3つの夜想曲より:愛の夢   

久し振りにリストを聴いた。 ショパンは我々の中で常に異邦人だったと言ったリストは ショパンの作品を愛し、ショパンに対し最高の賛辞を惜しまなかった。 「ショパンは魔術的な天才でした。誰とて彼に比肩するものはない」                           (リストの手紙)

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色々あった。

迷える小鳥          

タゴールとアインシュタインの対談(1930/07/14) 「あなたは神を、この世界から遊離・超越したものとして 信じていますか?」 アインシュタインの問いかけに 「私は神を信じています。 けれど神は世界から遊離・超越してはいません。 人間の無限のパーソナリティーは宇宙を包含しているのです」 とタゴールは答えている。 「この地上に人間が一人もいなくても宇宙は存在する」 と主張するアインシュタインに対し 「神も含めあらゆる真理は人間が存在してこそ成り立つ」 とタゴールは言うのだ。 「宇宙の存在を感じているのは人間に他ならない」 ということらしい。 物理学者アインシュタインは 「宇宙の実在がなければ科学というものも成り立たちません」 う~ん、なるほどです!!! インドの詩人タゴールは 「科学も人間が生んだもの、実在を感じるのも人間。 人間というものがこの世の中に存在しなければ、 この世界そのものが無なのです」 これもね、う~ん、なるほどです!!! タゴールを知ったのは キューブラー=ロスの著書『死ぬ瞬間』の 章の扉に挿入されていた詩との出会いだ。 あれは二十年前の事。     タゴール詩選/迷える小鳥     176    瓶の水は光っている、海の水は暗い、    小さい真理は明らかな言葉を持ち、    偉大な真理は偉大な沈黙をもつ。

あきしぐれ 

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男と女 魅力的な男と女の関係というのがある。 そこに一つの哲理を思う。 拾い読みの、ページをめくる手が止まった。 女性の死に際し、おくる言葉が綴られていた。 そこからヘルダーリンの三篇の詩をピックアップ、 たった三編の詩だけれど…。 しばらく、何も考えないで綴るから、 傍で聞いていてください。

カリカリ  

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このミルと、何十年を一緒にすごした。 泣いたり笑ったり、忙しい人生だったne^^

俺の人生           

眠れない夜だった。 「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」                  藤原新也著    コスモスの影に隠れている十四の人生が綴られる。 写真家としてのイメージが強いから 視覚情報のリヤリティで読み始めてしまった。 だからかな、写真のインパクトから言えば物足りない。 それでも、年の所為か目頭がチクチク。 随分時間が経ったようで 気が付くと、とうの昔に三丁目は過ぎ、 わたしは次のページをめくっていた。 どこに行こうとしていたのか… 名残惜しい 時間と空間が抜け落ち、 季節の狭間を雨が降る。 外は冬の気配。 ノイズ交じりのドーナツ盤が、 もうひとつ、私の人生をプラスして、 十五の人生を追走する。 彼は本当にいい声だ。   俺の人生 ジャン・ギャバン 僕は子供の頃 大人の振りをして 声高にはなしたものだ おいらは知っている おいらは知っているんだ…と それが最初だった それは人生の春だった そして18になった時 僕は言った 分かっている これでいい、分かっているよ…と   そして今 過ごした日々を振り返り 歩き回った足跡が残る大地をみつめながら 私は何も分かっちゃいない 分かっちゃいなかった、と繰り返す …………………………