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なんだかなぁー

なんだかなぁ… 智に働けば角が立つ情に棹させば流される意地を通せば窮屈だ…(草枕)   住みにくくてなのか、そうして事を荒立てず まずまずで生きるようになると…。 確かにほとんどのことはまずまずで、どうでも良いことなのだけれど。 肝心なものも、まずまずと言いながらどこかに置いてきたらしい。 「なんだかなぁ…」と呟く。 日本人も意識が欧米化して自意識過剰と言うのか まずは自分が一番と考えることがおおくなった。 …… そんな生き方も一刀両断に否定はしないけれど。 相手を貶すだけの(欠点を探すだけの)自称評論家の類もいっぱい。 世界(欧米、アジア、アラブetc)のニュースもどこの国も一緒で、 大衆の動揺を煽る報道が多いしな~~~ おばさんレベルの、おじさんレベルの、子どもレベルの論理にとても疲れる。 「あんたはそうじゃないのか!」と問われたら、返事に困る私も居て、、、 だけど、ネットの交戦に生き残りをかけるTV(バラエティー番組)は問題外、 報道番組もレベルが低くなって、 あのコメンテーターや専門家ですと言う有識者がやっぱお粗末だ。 私レベルの人間がそう思うのだから、 ちゃんとした知識人はどう思っているのだろう。 某新聞の体たらく事件からだと思うけれど…? 昔から学者だってジャーナリストだって、 自分の名声をあげたいのは古今東西変わることもなく連綿とある人間の性。 加えて、アメリカやEUの個人主義や訴訟文化の影響だろうな、 「人類、みな平等」だなんて、妄想は持たないけれど、 君たちのスローガン「自由と平等」の裏、 根深い人種や宗教の優劣意識は何なのさ。 そう言えば、昔、アメリカで出会った黒人が言う事にゃ、 黄色人種は自分たち黒人より劣るのだそうで、 黒人は「black is beautiful」だと自慢げだに語っていたことを思い出す。 彼らは白人に差別されることは甘んじて受け、 そのはけ口にアジア人を差別するんだから困ったものだ。 でもね、黄色人種に対する黒人の差別意識は 「自分よりも劣っている存在を見つけて安堵する」という空しいもかもね。 ここんとこが、人間の人間たる所以だね…。 何処かの誰かが世界的流行語にした「フェイクニュース」。 ほんと、日本の報道機関も、 調査もせずネットで見つけた知ったかぶりの学者に代弁させる。 いろんなことがその場限りの「喉元過ぎれば...

忍耐          

  待つ忍耐… 月一で俳句の会に参加している。 空間プランニングの企画を生業としていたことがあり(クライエントの心を掴む必要性が絡むキャッチコピーを書いた)そんな乗りで一句…。という調子だから、ちょい異邦人メンバーかも知れない。   若くて詩など書いても始まらぬ。本当は待つべきものなのだ。 一生涯かかって、しかもできたら年老いるまでの長い時間をかけ、 やっと、 10 行ぐらいのいい詩が書けることになるかもしれぬ。 詩は感情ではなくて経験である。 さまざまな思い出を持たなければならない。 だが、思い出を持つだけでは十分ではない。 思い出が多い時には、それらを忘れることが出来なければならぬ。 ふたたびそれが甦ってくるのを待つ。 待つだけの大きな忍耐が必要なのだ。                          (マルテの手記) 「芸術上の作品は無限に孤独なもの。 批評によってはとうていこれに達することはできない。 ただ愛のみがこれを捉え引きとめることが出来、公平である…」 自分自身を信じ続ければ、あなたの過ちを、 あなたの内面生活の自然な成長が、徐々に他の認識へ導いてくれる。 芸術家であると言うことは、計算したり数えたりしないことだ。 それは樹木のような成長なのだ」 ってねリルケは言う。 AIを友とする輩には「何と滑稽に映ることだろう…」 でもさ、これって芸術だけではなく、生きることそのものだと私は思うのだ…、だけど…。 まあ何れにせよ、そこんとこの輩に解りはしないだろう。 そうだね。 一生をかけて、たった 10 行の詩が書ける…。 そんな時間を過ごせたら…。 晩年のリルケが友人に書き送った書簡には、 仏訳された上島鬼貫の句が記されていた。  咲くからに見るからに花の散るからに  上島 鬼貫 リルケは 「ただ、それだけです。まったくすばらしい!」   と感動する。 我が家から 15 mほどの距離に、 夕暮れの わずかに汗ばむ夜、 近くの水路に蛍が飛ぶ。 差し出す指先に蛍がとまった。  こいこいといえど蛍がとんでゆく  上島 鬼貫 忍耐のリルケに、リルケが魅了された上島の句に、頬杖ついて思う。 わたしの現状は、待つことも、とうの昔に忘れた時間を生きていて、 ふたたび甦るのを待つ大きな忍耐しかり、 たった1~2時間待つだけの忍耐すら、ない。 それでも...

自分のcocoroくらい

会えなくなった人がいる。 触れていた手を力なく握り返し 「さようなら」だなんて 顔色一つ変えず言ってくれちゃって。 まあ、それはそれで、いいではないか… だから暗い夜は灯りをつけて眠る。 そうして自分のcocoroくらい自分で守る。 暗いと眠れないことが増えたからと言って ずっとそうだったのではないし 今も、ずっとそうなのでもない。 ただ、そんな時があるということ。 ただ、それだけのことだ。
小さな真理はグラスの中の水、透明であきらかな言葉をもち、 大きな真理は海の中の水、暗く神秘的で、偉大な沈黙をもつ。                         TAGORE

認知革命(ブログから移転)

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「神様」というのはある意味の「虚構」なのです。 「神様」の存在を信じることはできます。 でも、実際に神様に会った人は おそらくほとんどいないわけです。 ユヴァル・ノア・ハラリ 私たちは、実際に存在しないモノについて、話ができ、実際に存在しないモノについて、認識することができる。 つまり、まったく存在しないものについての情報を伝達する能力。 五感では感じたことのないありとあらゆる種類の存在について話すことが出来るのはサピエンスだけなのだ。 こうしたサピエンスが持ち得た能力を「認知革命」と云う。 そして、良くも悪くも、この能力の結果、伝説・神話・神々・宗教が生まれ。伝説を共有する人々の間で協力し合う力が生まれることになったとハラリしは分析する。 そうだね、けれど、人間は動物的直感だけで生きる狭い暮らしが物足りなくて、もっと勢力範囲を広げ、世界を支配したくて、意思の疎通を図る「ことば」を発見してからというもの、言葉を駆使して思考し、そして他者に伝えようとした。やがて神様や伝説を共有することで多くを束ねることを覚えた。   …、のだけれど…。 そこに生まれた現在は、グローバル化が進み、今やほとんどの国が一国だけでは経済が成り立たなくなり(確かに)、国際関係が緊密になった結果として、国家の独立性が弱まってきている。 そうした現状を鑑み、ハラリ氏は云うのだ。やがて、世界の「統一」が進んでいくってね。 ネアンデルタール人たちはせいぜい20〜30人くらいでしか協力できなかった。 ハグや肉体的交流だけでは、せいぜい200人くらいまでしか協力し合えないそうだ。 しかしホモ・サピエンスは言葉を使い認知革命を起こし、そして「神話」「宗教」を共有する術を手にした。 それにより、より大きな集団での協力を可能としたと云う。そしてそこに、イデオロギーの共有に重なる側面があるとハラリ氏は云う。 良い事か悪い事かは私には分からない。 ただ根本に、欧米の「個人主義的合理主義が生んだ自由」 がうごめいているってね、そんな思いが脳裏をよぎる?。 ハラリ氏が考える個人主義的合理主義の自由とゴータマ(釈迦)の自由とはかなり違う。 そのハラリ氏が、仏教の可能性を語っているのだ。 彼も感じるところがあったのかなと、そう思う。 仏教はおそらく、 人間の奉じる他のどんな信条と比べても、 幸福の問題を重要視していると考え...

ジレンマ

人生には転機があるものだ。  一体何をやっているのだろうと、空虚感が大きすぎるこの頃。  往々に、人生とはそんなものかもしれない。  もちろん私事の人生であって、「広義の人生」を論じるものではない。   けれど幾らかの人も何らかの空虚を抱えていたり、抱えた記憶があり、 そうした空虚感を癒そうと代替を何かに求めることもあるだろう。 色々な意味で思い上がりが全てが台無しになる事態を目の当たりにし、やっと見つけた代替との 距離感も気づけば埋まることもなく、 内面の空しさは存在し続けるのだ。   恋人との関係に例えれば、心理的距離が近くなればなるほど 愛と憎しみの相反する葛藤がつのる「ヤマアラシのジレンマ」のように。   そう、フロイトが恋人の心理状況を比喩した 『随感録/ショーペンハウアー』に収録されている逸話だ。 ※   やまあらしの一群が、冷たい冬のある日 お互いの体温で凍えることを防ぐためにぴったりくっつきあった。 だが、まもなくお互いに刺の痛いのが感じられて、また別れた。 温まる必要からまた寄りそうと、第二の禍がくりかえされる。 やまあらし達は近づいたり離れたりを繰り返し  やっと、ちょうど良い距離を見つける…  こうして彼らがついにあみだした中くらいの そして共同生活がそれで成り立ちうるほどの隔たりというのが  節度ある上品な風習(社会でのお付き合いのあり方)だ。   この隔たり(距離感)のおかげで、 おたがいに温めあおうという欲求は 不完全にしか満たされないけれど、 かわりに刺でさされる痛さは感じないで済むのだ。   面白い例えだ。 実は長い間、逸話はこれで終わりだと思っていた。 しかし改めて本を手にすると、話には続きがあった。   …、しかし心のなかにたくさんの量の温か味をもっている人は  面倒をかけたりかけられたりしたくないために  むしろ社交界から遠ざかっているのである。   なるほどね、もちろん私にとって物質的に 社交界は遠い世界のことだが、 逸話の最後に社交界を離れ、孤独を受け入れたヤマアラシがいたのだ。   昔、銀座から東銀座への地下通路に、 シャッターが下りるころやって来る幾人かの...

ちょい欠けの望月 

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意思疎通が難しいだなんて子供じゃあるまいしだね。 仕事帰りによく食べた 銀座のおでん。 …とまではいかないけれど 冬の大根が美味しくなる季節だ。 なのだけど…、 満月の日付がずれてか テーブルの名月は 満ち足りない欠け模様の大根だ。  ちょい欠けのだいこん炊いたん霧の中 欠けた月は寂しいもの 「そう、さびしいね」と呟いたら 「ヘッセの『霧の中』だよね」 「ああ、ちょい欠け名月」は誰にもあるのかな。 満つるを待つのならいいけど 人間には尽きない欲望があるし、 君がいなくなってからずっと 満ち足りないまま。 君のため    ちょい欠けの 大根たいたん 秋の月