なるほどの、女の影
そう言えばしばしば机の上に、彼のおすすめの本が置かれたものだった。
「面白そうね」と言いつつ、パラパラ指先が活字を追うのだが、そのまま本棚の片隅に追いやられ、何冊かの本は長い眠りを余儀なくされたのだった。
それも『三年ねたろう』どころではなく、随分長い年月の眠りを貪り、そうして、三十年が過ぎ、目を覚ました一冊が『おんなの歴史』もろさわようこ著」だった。
興味を惹いたのは紹介されたていた『萬葉集/巻十三の歌』だ。
旅あきうど (旅商人)の妻
つぎねふ 山城路(やましろぢ)を
他夫(ひとせ)の 馬より行くに
己夫(おのせ)の 歩(かち)より行けば
見るごとに ねのみし泣かゆ
そこ思ふに 心し痛し
たらちねの 母が形見と
吾(あ)が持たるまそみ鏡に
あきつひれ負(お)ひ並め持ち手
馬替えわが夫(せ)
夫の応(こた)へてよめる
馬買はば 妹(いも)かちならむ
よしゑやし
石(いわ)は履(ふ)むとも我(あ)は二人行かむ
どうやら、
難儀な山城道を他人の夫は馬でゆくのに、私の夫は歩いてゆくので、どんなにつらいことだろうと思えば胸が痛く思わず泣けてしまいます。
「ここに母の形見の鏡と肩掛けの布があります。どうぞこれを馬と替えてください」
切ない思いの妻の歌に反して夫は応える。
「馬と替えてしまったらお前が困るだろう。困難な道でもいいではないか、私はお前と一緒に歩くことにするよ」
もろさわは、万葉相聞歌にある「馬替え わが夫(背)」と歌う妻と、かの有名な『一豊の妻』戦国乱世に「馬買い給え」と持参金を用立てた妻と比較して二人の女の違いを問う。
それは「馬替え」という動機の相違と、それに対する夫の態度にあると言う。
『萬葉集/巻十三の歌』描かれた万葉の女は、前後のみさかいのない、ただひたすらな夫への愛の一念であるとし、一豊の妻と比べる。
戦国乱世に於いて一豊の妻は、功利を見極めたまことに智恵深い行為で当時の立身出世に必要な、確かにみごとな「内助の功」であると評価しながらも、一豊の妻の功は愛の深さへの評価ではなく、「内助の功」であることを、いささかさみしく思うと言うのだ。
比べて万葉の女とその夫の人情豊かなやり取りは、功利とは無縁であるが互いをいたわり合う。ここには『愛情の故郷』があるのではないだろうかと、深い女心を吐露している。
今の時代、万葉の女は顕微鏡で探しても見つからないだろう…。
それにしても、歴史の男たちに、なるほどの女の影がある。
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