小さな靴屋さん        



それは、以前住んでいた町にあった。

板の間の真ん中で四角い座布団に座っているのは
まん丸ロイドメガネのおじいさん。
小柄で、職人気質で、ちょっと偏屈。
けれど、話が弾むと陽気な一面をのぞかせてくれる。
「待っていれば、すぐ直してやるよ」といってくれるから
いつもおじいさんの脇に座って過ごしたものだ。

コンコンとハンマーの音を響かせて修理が終わると
「今どきの靴の修理はなってないよ。
あれじゃますます靴が悪くなるのさ、大切に履きなよ」と
メガネ越しに笑う。

あれから過ぎた時間にいろいろなことがあり
町を去ることになったある夏の夕方
さよならを言おうと、久しぶりに訪ねたのだけれど
ちいさな丸い背中が振り向きもせず呟いた。
「今月で店仕舞いだ、もう直してやれないからね」

こころが何かでいっぱいになるのを覚えても
返す言葉が見つからない。
伝えたいことが言葉にならない。



そうだった、
あの頃、わたしに起きた悲しい出来事に耐えられず
あんな奴らが生きているのも許せなくて
普通の人々の幸せすら、苦々しく思っていた。
胸の中のものをそのままさらけ出したら
吐き気をもよおすほど、きっと心は醜かった。

偶然、ここに来るようになって
小一時間を過ごし、わたしはあなたに救われた。


土砂降りの雨の、夜だった。









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