投稿

4月, 2022の投稿を表示しています

星に生まれて 

イメージ
ウクライナ侵攻の前、コロナ騒動の前のまえの そのずっとむかしのこと。 「私たち人間は星の子供なのです」といっていたのに… 科学的に説明すると(そんな知識本当はないけれど)、 物質の根源となる粒子を元素、 現在約120程度の元素が知られていて、 星たちも、もちろん地球や人間の体も、 諸々すべてがその元素からで出来ているってことだ。 宇宙が誕生したとき(ビックバーン)元素は水素しかなくて、  その水素があつまり原始星(恒星)が生まれた。 そして恒星の進化(融合と分裂の繰り返し)に伴って、 他の元素が作られていった…。 簡単に説明するとそう言うことだ。 つまり元素は、 衝突や爆発などを繰り返して他の元素に変化。 (昔、元素は普遍であると思われていたのだけど…)。 そして人間の体は4つの元素、 H:水素、C:炭素、N:窒素、O:酸素と、 そしてP:リンのわずか5つの元素からなっている。 つまり人間も含めて、身の回りのすべてのものが、 こうした恒星の進化の途中で生まれた、 夜空に輝く星屑を受け継いでいるっていうこと。 ミトコンドリア・イブも問題にならないほどずっとずっと昔のことだ。 だから、 「私たち人間は星の子供なのです」ってこと。 こうして悠久の時を辿れば、 みんな命が繋がっているというのに…、

友と敵    

イメージ
お世辞は友をつくるが、真実の言葉は敵をつくる スペインのことわざにこんなのがある。 いろんなことに、そろそろ慣れても良い頃だ。 しばしば遭遇する日常のプロパガンダがあって、 近頃、かなり疲れている。 どうしてこんなにズレていくのかな。

ゼロ     

イメージ
古来からゼロ(0)は不思議な世界だった。 ゼロの発見の痕跡は 60進法を使用していた古代バビロニアに見ることができる。 けれど実際の数としての発見はインド(紀元550年頃の天文学書) という説が有名だ。 インドの数字「0~9」を使った記数法はイスラム文化圏へ伝わり、 十字軍の頃、西ヨーロッパに伝わっていった。 算用数字をアラビア数字とも呼ぶのだけれど、生まれはインドと言うことだ。 「数」の概念は不思議で「個数」と異なる。 つまり、テーブルに1個のリンゴ、 それを取り除くとテーブルには何もなくなる。 無いものには意味がないので、個数として数えることはできない。 つまり個数に縛られない概念と言うこと。 しかし、足し算や掛け算をする時、ゼロが無いと不便だし… だから「数」のゼロは演算の対象としての意味をもつといえる。 (但し、ゼロの割り算は禁止されてる^^v)。 当時インドでは「0~9」の数字で全ての数を表していた。 しかしエジプト、ギリシャ、メソポタミア、マヤは、 数が大きくなれば記号を増やしていく手法がとられていた。 日本の漢数字でも同じことが言える。 つまり、一~九に加えて十、百、千、万、億、兆、京…となる。 数が大きくなればそれだけ多くの記号(日本は漢字)が必要になるということ。 けれどアラビア数字は「0~9」に10個の数字で全て足るのだから凄い。 アラビア数字による「位取り記数法」は、 演算を容易にさせてくれるというメリットを持っているのだ。 古代文明で計算は、算盤や算木、そろばんなどが用いられたけれど、 記録されるものに過ぎなかったようだ。 つまりゼロ(0)は何もなく空いているを示す記号でしかなかった。 つまり、ゼロは数じゃなくて何もないと捉えられていたと言うことだ。 ここに「数」と「個数」を同一視してしまうというトリックがあるといえる。 それは人間が言葉で考えてしまう点にある。 メソポタミアやマヤ文明において、ゼロ(0)の概念があって、 起算法を考え出していたものの、 演算にゼロを使用するまでにいたってなかったということなのね。 ところがインドではゼロ(0)を数としてみなし、加減乗除の対象にしたのだ。 数としてのゼロがみられるのが550年頃で、 それ以前は「・」の記号を使っていた。 しかし当時、彼らもゼロの割り算にはてこずったようだ^^ ゼロの概念を考えると