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十五夜

    子供の頃、よく月を追いかけた。   けれど、追いかけても追いかけても その距離が縮まることはなくて… いい加減にしてねとあきらめれば、 なぜだか私の後ろをついて来る。 何てあまんじゃくなおっ月さんだろう。   銀座通りから東銀座へ行くまでの途中に路地があった。 間口一間半ほどの通りに、いくつかの飲み屋が軒を連ねていた。 そのうちの一軒の暖簾をくぐると、「いらっしゃい」 白髪交じりの髪を、小奇麗に結いあげた女将が迎えてくれる。 店は飲み屋の賑わしさなどもなく。 たいていは一人、せいぜい二人連れの客がほとんどで、 客たちは背負う荷物を降ろし、ひとときを過ごす。 「男子家を出ずれば七人の敵あり」 男の見栄とか、仕事のプライドとか、競争社会のだまし合いとか…、 そりゃ人の付き合いも難しく苦労も多い時代だった。 もちろん女もね^^   女将は元新橋芸者だった。 着物にたすき掛け、その振る舞いに雰囲気を残していたけれど、 あでやかな張りのある女はとうに姿を消し、 枯れた穏やかさが心地よい空間をもたらしてくれていた。   店の名前は「雨情」といった。 「雨上」あめあがりと書かれていたかも…? でも、どちらも良い店名だ^^   十五夜お月さん母さに もいちど私は会いたいな  野口雨情   雨上の路はぬかるみ、水溜には火影うつる    国木田独歩     あれから、 このようなお店にお目に掛ったことはない。 昨夜、しとしと雨は上がらず、 まんまるおっ月さんにも御目文字かなわず^^

長月の月

  きみが手を添えてくれたらいいのにと 二日満たない長月の月         /あきのの   このご時世 「少しさびしくある…」と呟いた私に 「ヘッセの『霧の中』知ってる?」君は云った。 そうか、 たくさんの星に囲まれていても、月も一三の夜ってあるものだし…。   満ちる日を待つ楽しみなのか、 それとも、 人間には尽きない欲望があるから、   だから、 いつも少し、 満ち足りないままなのか。

気まぐれ美術館       

白洲正子が心酔したというから、いい男だったのか … ? そう思ったのだが、そうでもなさそうだ。 しかし、何故だか女にモテたらしい。   『肉体の門』の著者田村泰次郎から画廊を引き継ぎ奮闘。 文筆家を志していたことも大きかったのだろう、 無名な画家を世に送り出してきた洲之内徹という人。   「君に洲之内さんを会わせてあげたかった」 彼がそう言ったのは昔のことになる。 某社の記者だったころ、 美術雑誌の編集長として引き抜かれたのが縁で 往年の洲之内徹と知り合ったらしい。 既に詳しい話を聞く術など無くなってしまったが、 彼が亡くなった年、 宮城県美術館に残された洲之内のコレクションを鑑賞しようと訪ねた。   彼から聞いてイメージしたほど、洲之内が『佳』とした作品と、 わたしの嗜好とは一致することはなかったが、 コレクションと洲之内の女性遍歴とが重ならないのも奇妙だった。     そんな洲之内氏について、野見山暁治(画家)が批評した文章を A 氏という方がネットで引用したものの一部分だけ、 これまた引用させていただいた^^    どだい使命なんぞというケナゲなものは、このひとにはない。   幼いときから洲之内さんをよく知っている人の記述によると、   女と寝ている洲之内さんのところへ夜中、奥さんが突然やってきて、   ランドセルを背負った二人の子供を置いて立ち去る…。   なるほど、このエピソードは彼から聞いたことがある。 しかし、洲之内自身は自分の女遍歴に何を言われてもいいが、 無名の画家たちをさげすむことは許さなかったようだ。   洲之内が亡くなった葬儀の日、 北池袋の教会から郊外の火葬場に向かうバスの中で、男は私一人だったと、 ネットで A 氏は書いていた。 A 氏は綴る。    並みいる女性たち、   ほとんどが故人の折々の歴史を刻んだひとだと、後で聞かされた。   「本当か…」と著者は付け足しているが、どこかつくられた物語を感じる。 なぜなら A 氏は自分の文体にか、洲之内の自由な生き方にか、 酔いしれているように続けているのだ。    黒い喪服に包まれた女が席を埋めつくし、   いちようにおし黙って、ひたすら車の振動に身をまかせ、   同じ方向を辿ってゆくなんて、   これはシュールレアリズムの世界、   見ごたえのある洲之内コレクションだった。 文筆家が陥る言