気まぐれ美術館       


白洲正子が心酔したというから、いい男だったのか
そう思ったのだが、そうでもなさそうだ。
しかし、何故だか女にモテたらしい。
 
『肉体の門』の著者田村泰次郎から画廊を引き継ぎ奮闘。
文筆家を志していたことも大きかったのだろう、
無名な画家を世に送り出してきた洲之内徹という人。
 
「君に洲之内さんを会わせてあげたかった」
彼がそう言ったのは昔のことになる。
某社の記者だったころ、
美術雑誌の編集長として引き抜かれたのが縁で
往年の洲之内徹と知り合ったらしい。
既に詳しい話を聞く術など無くなってしまったが、
彼が亡くなった年、
宮城県美術館に残された洲之内のコレクションを鑑賞しようと訪ねた。
 
彼から聞いてイメージしたほど、洲之内が『佳』とした作品と、
わたしの嗜好とは一致することはなかったが、
コレクションと洲之内の女性遍歴とが重ならないのも奇妙だった。
 
 
そんな洲之内氏について、野見山暁治(画家)が批評した文章を
A氏という方がネットで引用したものの一部分だけ、
これまた引用させていただいた^^
  どだい使命なんぞというケナゲなものは、このひとにはない。
  幼いときから洲之内さんをよく知っている人の記述によると、
  女と寝ている洲之内さんのところへ夜中、奥さんが突然やってきて、
  ランドセルを背負った二人の子供を置いて立ち去る…。
 
なるほど、このエピソードは彼から聞いたことがある。
しかし、洲之内自身は自分の女遍歴に何を言われてもいいが、
無名の画家たちをさげすむことは許さなかったようだ。
 
洲之内が亡くなった葬儀の日、
北池袋の教会から郊外の火葬場に向かうバスの中で、男は私一人だったと、
ネットでA氏は書いていた。
A氏は綴る。
  並みいる女性たち、
  ほとんどが故人の折々の歴史を刻んだひとだと、後で聞かされた。

 
「本当か…」と著者は付け足しているが、どこかつくられた物語を感じる。
なぜならA氏は自分の文体にか、洲之内の自由な生き方にか、
酔いしれているように続けているのだ。
  黒い喪服に包まれた女が席を埋めつくし、
  いちようにおし黙って、ひたすら車の振動に身をまかせ、
  同じ方向を辿ってゆくなんて、
  これはシュールレアリズムの世界、
  見ごたえのある洲之内コレクションだった。


文筆家が陥る言葉の怖さかもしれない。
 
わたしが愛した彼が好んだのは、
無名作家を見つめる洲之内の人間臭さだったような気がする。
洲之内は自身の感性の目で、多くの無名画家に個展の場を提供したり、
無名のまま亡くなった作家の遺作展などの準備には、
中古のライトバンを自分で運転し、交渉、出品を依頼し、
展覧会の地方巡業も節約のために自身で奔走している。
これらの事実だ。
そうした画家を紹介し、その作品を求めての旅をエッセイに書いたのが
「気まぐれ美術館」だ。
 
気まぐれ美術館シリーズ
「気まぐれ美術館」
「絵のなかの散歩」
「帰りたい風景」
「セザンヌの塗り残し」
「人魚を見た人」
「さらば気まぐれ美術館」

なぜだか、この中で「人魚を見た人」だけ私の手元にない。
文頭で、「やはり文筆家を志していたことも大きかった」と書いたが、
洲之内も言葉の力で商売をしたのも嘘ではないだろう。
そしてその彼の魅力的な文体が、無名作家のデビューを支えただろうし、
ステップの契機を与えたのは確かだ。
私自身、言葉が怖いと思う日々だが、
言葉は文化を、社会を、そして人の心を左右する力を持つのも事実なのだから。
ことに美の価値観という、あいまいなものは、ことのほか確かなものなどなく、
有名人や評論家の色眼鏡を通してしかその価値を判断できないのが、
大衆の現実かもしれないという中で、

「買えなければ盗んでも自分のものにしたくなるような絵」
洲之内が書き残した言葉に、人の心を動かす言葉のマジックが読み取れる。





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