投稿

2023の投稿を表示しています

結構な風  

イメージ
先週だ、6人の女がやって来た。 田舎じゃ忙しい盆暮れに、 一家の主婦が 気ままに飲み会…と、言う訳にはいかない。 だから我が家でランチを兼ねたお茶会みたいなものが始まった。 持ち寄った手料理やお菓子がテーブルに並ぶと 「美味しそう!」 「美味しそうじゃなくて、美味しいのよ」に始まって それぞれが腕自慢の解説に世話しなくなる。 空いた器を片付ける人が 私の前を右往左往と行き来する。 ひとしきり落ち着くと 「ブラジルでいい」だなんて言いながら 棚に鎮座する一番右のキャニスターを指さした。 この飾り瓶にブラジルが入ってるだなんて、何で知ってるの…? 勝手知ったる他人の…ではないのだが、 なんだかな~。 いつの間にかお湯が沸いて 、あっ~!食後の珈琲までもが… 「それはちょっと待て、珈琲は私が淹れるんだから!」 私は思わず声を上げた。 「この茶会、女主人は私だ。 なのに、何一つ私に出番がないなんて」 しかし、私の声は届かない。 気がつけば既に、カップは琥珀色を満たしていて、 ただ女たちはうるさく賑わしい。 何てこと…! とは言え、この賑わい、今までと違う美味しい風が吹いている。 食べるために忙しい時代があった。 あれは、よくある業界のゴタゴタに疲れ、 本業と副業が逆転したころだ。 人に会わずに暮らしたいと思った。 そんな私をふるさとは、何も聞かず迎えてくれた。 しかし、実家に父や母の姿が消え、わたしは客になる。 竹馬の友も、互いの暮らしの中で価値観がズレ、 馴れ馴れしく前の道路も渡れやしない。 そんな、どうすることもできない行き違いが起こるものらしい 。 そうしてふるさとは、時を境に知らない風が吹く。 あれもこれも嘘のように、時間も流されてしまった。   ふるさとは遠きにありて思ふもの   そして悲しくうたふもの   よしや   うらぶれて異土の乞食となるとても   帰るところにあるまじや・・・               /犀星 あの時を境に吹き始めた風は 「もう何もないよ…」と言っても勢いを落とすこともなかった。 まして 流された時間は戻ることもない。 けれど、 うるさく賑わしい6人の女が持ち込んだもの。 ふるさとにはこんな風もあるのだってこと。 そう、このごろ、少し心が緩んで、やっと気付いたということ。 そりゃね、毎日はしんどいけれど、こうした田舎の付き合いって なん

ヒジャブは着用したくない 

ヒジャブは着用したくないけれど… 私がパレスチナ人として生を享けていたら 市民不服従運動に加わっていただろうな… 『ハイファに戻って/太陽の男たち   』 ガッサーン カナファーニー 著/ 河出文庫(2017年6月) 訳者(黒田壽郎)がイスラム教徒だからと言うわけでもないが、私の知識不足が否めないからやや理解が難しい。PCを前にして検索サイトに首ったけで本を読む夜が明けた。 「ハイファに戻って」 は、イギリス軍により突如強制的に逐われたパレスチナの夫婦が、イスラエルの兵士となっていた愛しい我が子との再会の物語だ。 19世紀のシオニストは、そこへの「帰還」を切望していたパレスチナを「土地なき民のための民なき土地」と表した。 ゴールド・メイア(イスラエルの政治家、第5代首相)は、「パレスチナ人とはいったい誰の事か?」「そんなものは存在しないのだ」と嘯いた。そう、ネタニヤフが口にした「そもそもパレスチナ人などいない」と同じだ。 これこそ民族浄化を推進したナチス、君たちユダヤ人を迫害した時のナチスの言い分と同じなのだ。 1948年、連続で起きたシオニストたちによるパレスチナ人虐殺。 デイルヤーシン、アイン・エル ザイトゥーン、サラ・エル・デインの虐殺事件を検索しながら吐き気を覚えた。 デイルヤーシン村の虐殺事件は 「悲しいオレンジの実る土地」 として収録されている。そして、これらパレスチナ人虐殺事件の一か月後、イスラエルは国家樹立を宣言したのだ。 イギリスの二枚舌外交、シオニストから見返りに権益を保護するという約束を取り付けさっさと撤退。中東問題の火種にイギリスの責任は問われていないままでいいのだろうか。西側自由主義社会への幻想が浮き彫りにされる。 ましてドイツの体たらくは酷いもので、ナチズムの亡霊にがんじがらめで、正しい判断さえ出来やしない。ヒトラーの悪行の歴史は忘れていいものではないけれど、だからと言って、今リアルに起きているシオニストの悪行に対し、何も言えない現実をどのように考えているのだろう。そこに聡明な判断があるとは到底思えない。 また、イスラエルに自衛権があるなら、虐殺され土地(国)を追い出されたパレスチナの人々にも自衛権があることを知るべきだ。 著者であるガッサーン カナファーニーは、1972年7月、自動車に仕掛けられた爆弾で36の短い生涯を終えた。

ブッダとタゴール 

「人々は残酷だが 人は優しい」 / R abindranath・タゴール そうだね、「人々は残酷だが 人は優しい」 昔はね「うんうん」ってね、納得したものだ。 だけどこの頃、残酷さを示すのは人々ではなく、 ブッダの言う通り、そもそも 人は残酷で身勝手なのだと分かってきた。 つまり、人は優しいのじゃなくて 弱いだけのこと。 弱いがゆえに持つ渇愛と言う事実を直視し出来なくて、 それを「その弱さこそが人間ぽいんだよね」だなんて 砂糖をまぶした曖昧な言葉でカモフラージュする。 俗に言う仏教を創始したなどと露ほども思っていないブッダは、 欲望を中核とした人間観を持っていた。 つまり、人間の人格の中心にはやむにやまれぬ生存への執着があり、 それを中核として欲望が 網の目のようにのび、世界を形造っている。 この欲望によって世界像は歪んでいると言っているんだね。 つまり、人間存在の根本は渇愛があり、 そ れがつる草のように蔓延って人格を形成している。 彼はこの欲望から自己を自由に開放しなくちゃいけないなんてね。 「無執着」「無一物」という言葉が飛び交った。 つまるところ、 タゴールの 「人々は残酷だが 人は優しい」のではなく、 そもそも人は、自己浄化しなければならない妄執の汚れにまみれてるってことらしい。 簡単に言えば、哀しいほど美味しいものを食べたくて、 おしゃれな服を着たくて、 訳の分からない鉱物で身を飾って、 瀟洒な家に住みたくて、 あちこちを優雅に遊び廻りたくて、 他者を配下に置いたり自分の所有ぶつとしたくて、 世間に一目置かれ社会的権威や権力を持ちたくて… 時に「ささやかでいい」だなんて言ってみたりしながら、 あちこちに欲望の目を萌芽させて、 執着から逃れられず生きているってことかな。 だからだね、そこの執着から逃れられないから、 人間が持っている残酷さを同伴させる。 と言うより気付きもしないで あらゆる真実から逃げる。 時に某国みたいに神の意思だなんて理屈をつけたり、 身勝手な正義の御旗をたてたりしてね。 全て、それらの本質は君の中、人間そのものにあるのに… 「人間 とは何か?」とか、「人間の本質とは何か」などと 問いかけ、 哲学的な思考と実証的な調査で答えを出そうとすることなんて、 そもそも無理なのかも。 タゴール君、人と人々の残酷さの違いは、 みんな(人々・仲間)で

すさび   

イメージ
アロマワックスサシェを作った😊 ボランティアで月一回の「ハーブの遊び」を始めた。 一回目:ハーブサシェ(ラベンダーの匂い袋) 二回目:ハーブナチュラル化粧水(ラベンダー) 三回目:アロマワックスサシェ 四回目になる12月は、眠れないと言うメンバーの声を聞いて、 穏やかな眠りを誘うハーブティーをブレンドすることにした。 ①ジャーマンカモマイルとオレンジピール、そしてバレリアン。 ②パッションフラワーとレモンバーム。 材料だけど、カモマイルは我が家の庭から収穫したもの。 オレンジピールは糖分不使用のものをミカンで作る。 バレリアンとパッションフラワーはネット購入だけど仕方がない。 レモンバームは近くの農家の方から購入ものを乾燥させておいた。 パッションフラワーを観賞用として育てている庭を時々見かける。 ちょっと派手な花だから私好みではないが、 このハーブ、数世紀にわたり緊張や不眠の治療薬に使用されてきているのだ。 育ててみるかな… さて、お茶菓子には淡雪の様なメレンゲをこさえて持って行く。
イメージ
ハイファに戻って/太陽の男たち   (河出文庫) 文庫 – 2017/6/6 ガッサーン カナファーニー (Ghassan Kanafani )(著) 黒田 寿郎 (翻訳)

プーシキン    

『ヒトラーvs.スターリン 独裁者の対決』 録画しておいたNHKのドキュメンタリーを見た。 西側諸国では、 スターリンはヒトラーと並ぶ 20世紀最大の独裁者らしい。 しかしロシアではプーチン政権下、 過去の独裁者スターリンを評価する動きが浮上した。 そもそもロシア人には根強いスターリン崇拝があるようだ。 そうか、ペレストロイカの頃のスターリン批判は 知識人の間だけで語られた動きに過ぎなかったったんだ。 私にすれば、ほとんど読破していなくての、ロシア文学だ。 それでも、映像からのインパクトがあったからかも知れない。 荒涼とした大地 のイメージに魅了されたものだった… そう言えば当時、 マーケットのオープンスペースで彼とお茶していた時、 突然話しかけてきた老人がいた。 なぜその方との会話が始まったのか記憶にないが、 多分、わたしと一緒にいた彼は学生の頃ロシア文学を専攻していて、 ロシアに関する資料を手にしていたのではないかと思う。 もっとも当時の私には、 ロシアとヨーロッパの重い歴史を語れる知識はない。 老人と彼が熱っぽく語り合う空気に参加することは出来なかった。 ただ、老人が厳しい口調で、 「ロシアは恐ろしい国だ」と言った言葉だけが耳に残った。 プーシキンの詩(金子 訳) 日々のいのちの営みがときにあなたを欺いたとて 悲しみを またいきどおりを抱いてはいけない。 悲しい日にはこころをおだやかにたもちなさい。 きっとふたたびよろこびの日がおとずれるから。 こころはいつもゆくすえのなかに生きる。 いまあるものはすずろ にさびしい思いを呼ぶ。 ひとの世のなべてのものはつかのまに流れ去る。 流れ去るものはやがてなつかしいものとなる 。 私が見ていたのは、 一般大衆の愛国心に強いロシア人には、 関係のない文化だったのか。 もしかしたら、激動の時代の文化はひ弱だったのかも知れない。 それでも、ロシア人の中でプーシキンだけは別格らしい。 ウクライナ侵攻が原因じゃないだろうけど ロシア文学はほとんど絶版になっていた。 かろうじて本棚あった『ロシアの美的世界』木村 浩著を手に取った。 昔の日本人は愚かなくらいロシア文化に憧れていたようだ。 何だかエリート意識が鼻につく。 革命前のロシアが憧れたフランス文化も 正直どこがいいのか私には分からない。 どれくらいの日本人が仏文学を理解している

てふてふ     

あちこちバカバカしい事ばかり、 とても疲れる世界だ。 「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」 心に沁みたから調べてみた。 なるほどと思った。 *韃靼海峡(だったんかいきょう)

小さな窓

  それから過ぎた日の 少し遅くれてのぼる十六夜月の夜でした。 ちいさな窓から差し込んできた光に 思い出したのは『絵のない絵本』 一人の貧しい青年に窓辺の月が語りかける三十三夜の物語。 月が語る物語は 気に留める人もなく過ぎてゆく。 それは忙しくざわめく人々にとって、 どうでもよい程ちいさな 出来事です。 けれど、きっと幾らかの人は そんな時間もいっぱいいっぱい生きている。 つつましく無抵抗で、どことなくこっけいな… あの日、ためらって昇った夜の月の 小さな小さな、ほんとうに小さな窓の片隅で。 私の手の大きさでやや卵形の 何千年も前に作られ、 色々な意味で生き抜いてきた。 つつましく無抵抗で、どことなくこっけいな― 何かをつたえるのではなく 自己表現をするわけでもなく                      けれど作り手とその生きた時代を内包し 映し出しているように見える。 その微かな力で・・・                     Hans Coper/1969

千秋の思い    

入院して四日目、私の精神状態は爆発寸前だった。 入院がこんなに苦痛なものとは思わなくて、 「通常、約一か月の入院です」と言い渡された時は途方にくれた。 それでも強引に主治医を説き伏せ退院を要求。 「明々後日、出張から帰ってきます。検査の結果でOK出しましょう」 と言う言葉を何とか取り付けた。 主治医を待つ二日間が、途方もなく長く感じられたものだった。 感じられる時間とは体験された出来事の数ではなく、出来事を「体験した」と認識するために必要な認知的負荷が大きいほど長くなることが示された。このような認知的要因が感じられる時間の長さに及ぼす影響は、従来考えられていたよりも強いことがわかった(千葉大 人文科学研究院/オープンアクセスジャーナルの「i-Perception」に掲載)。 ふむふむ、そういう事だ。 つまり、楽しいときは短く、退屈なときは長く感じる時間の流れ。 人が感じる時間の長さの違いは脳の認知的負荷で変化すると言う事。 ああ、あと二日、あと二日我慢したら退院できる。 たったなのかもしれない、「一週間で退院をするなんて無謀よ」 お世話になった25歳の理学療法士の女性が言った。 私は、一日千秋の思いで、主治医の戻るのを待った。

なんて      

こっけいな 軒下くらし 七夕が過ぎるころ 頬をかすめてゆくすずかぜに秋の気配を感じたものだ。 グレゴリオ暦の8月の中旬から下旬を行ったり来たり、 迷走しながら秋の気配を連れてくる。 当たり前のように幾つかの不可避を受け入れた。 それが人生というもの。 わたしは物知り顔につぶやいた。 「あらゆるものごとは なにごともなかったように消えていくものだ」ってね。 それからは、 眠れない夜っていうやつ、 そんな夜が増えた。 だからね、 軒下を ちょっとばかし抜け出した。 抜け出してはみたものの … なんてこっけいな軒下暮らしだろう。

明日も雨  

イメージ
そう、ちっぽけな私の悩みと同じだ。 だからだね、人類の悩みは数千年のときを経ても変わらない。 どちらにせよ、人格は個人的のようにも思えるけれど、 人間は社会的動物だから、 その環境を切り離しては考えられないものだし、 バーチャル社会は 複雑でお手上げではあるけれど、 そもそもリアル社会だってお手上げなのだから 。 80億を超える心は80億を超える心の勝手を生きているんだね。 地球は真っ赤に塗られているのに 予報士は「明日も線状降水帯が発生します」と言うから、 この橋を渡って、 雨にも負けず。

小さないのち 

イメージ
5㎜の天使(野生蘭)

付き合い  

イメージ
中国の思想や文学は総じて好きではない。 小人の交わりは甘きこと艶のごとし 君子の交わりは淡きこと水の如し そうかな、やっぱ偏った言い訳だ。

顔     

イメージ
急ぎ足で時間を追いかけて…。 そうじゃないかな。 津波のような時間に追いかけられ、 逃げるように生きてきたのかもしれない。 滲む汗を手の甲が拭う。 涙じゃないよ汗をね。 でも思う。              ▲二度と町を走ることのないローカル電車の顔 「40歳を過ぎた人間は、自分の顔に責任をもたねばならない」 と言う言葉が気になったこのごろ。 マスクから解放される日常が増えて マスクでみえなかった時を生きていた顔がポロポロこぼれてくる。 その口元には、もう一人の人間が存在していた。 目は口ほどにものを語るわけでもない。 何故なら、マスクの下に隠れていた君の口元は 全く別人格を生きていたのだから。 ああ、そんなに意地悪く口元をゆがめてはいけない。 もうマスクは外されているんだから。

AIの衣替え 

イメージ
6月1日に冬服から夏服へ、 10月1日に夏服から冬服へと衣替えが一般的だ。 あれこれと洗濯に追われ、衣替えと部屋の設えをいじる。 しかし梅雨の時期は湿気が心配だ。 衣装や寝具の衣替えはさわやかな五月中に済ませたい。 …、と思うけれど梅雨寒もあるし…。 そうして躊躇している間に 梅雨入りが宣言された。 何年前だったか、 7月も半ばの雨だというのに冷たい雨の日があった。 あまりの寒さに暖房を入れようかと思ったほどだ。 新暦よりひと月遅れを旧暦で 「水無月」と呼ぶ。 だらだら長雨の季節なのに 何だか変だけど^^ (田んぼに水を注ぎ入れる時期であることに名の由来があるのかな) そんな「水無月」が暦のころ、 平安の女房たちも 衣替えの季節を迎えていた。 夏の透け感のある薄物色 だからかな? 「水無月」は「蝉の羽月」ともいいう。 「蝉の羽」には、 蝉の羽のような薄い着物と言う意味があり、 万葉の女房装束の夏衣装を代表するの配色の名でもある。 このような配色を「かさねの色目」と呼ぶが、 檜皮色の下に青が透けて生まれる色調が 衣を通過する光や衣を揺らす風によって、 曖昧に変化する風情はことのほか美しいものだったろう。 日本の色彩感覚の妙だ。 この蝉の羽に透けて見える向こう、 万葉の女たちの色気も見え隠れする。 「水無月」も「蝉の羽月」も 美しい文化だけど、 歴史博物館で埃を被り眠るのではなく、 日常に生きて使われたらいいのだけれど。 だけど、この頃騒がしいチャットGPTの時代に、 こうした日本文化のこころは色あせるだろうな。 蝉の羽もたちかへてける夏衣 かへすを見てもねは泣かれけり /夕顔 蝉の羽を歌を検索してみたら、こんな解説がupされ、 AIのCopilotがチャットをしようと誘ってきた。 この詩は、平安時代の女流歌人である紫式部が作ったものです。 夏の終わりに、蝉が羽を広げて飛び立つ様子を見て、 自分もまた、この夏の衣を脱いで、 新しい季節に向かって歩んでいこうという思いを込め 詠んだとされています。 この詩には、別れや寂しさなどの感情が込められており、 作者自身もこの詩を詠んだ後に涙を流したとされています。 この詩からは、 季節の移り変わりや人生の移り変わりを感じることができますね。 何でも聞いてください、チャットしましょ。 だそう。 何となくサラサラと読める解説文に、 「

こころなきみ

イメージ
そうだね、この世界に心置きたくなるほどの事も無いよね。

要注意人物リストにupされます 

とても不安定な世界だ。 日本人も二種類の人種に分断だ。 分断の項目は経済は言わずもがなだけど、 問題は認知力と思考力。 支配する人とされる人だ。 やや古い記事だけど、 TechCrunch Japan 『連続殺人犯逮捕へと導いたDNA分析サイトは、 ユーザープライバシーに関する懸念を再燃させる』 DNAのデータ情報でゴールデンステートキラー (カリフォルニア州連続殺人事件の犯人) の未解決事件が解決されたことで プライバシーの問題がクローズアップされた。 DNAによる『オンライン家系図データベース』の 無料利用が世界で一般的になり、 データベースが犯人探しに勝手に利用されたということかな? 日本でも女性雑誌などに広告が掲載されていたらしい。 DNAを調べて、ルーツを知ろう…だって(驚! 家で飼うペットの血統を調べるのとは ちょい話が違うから、DNAを調べるのはいいけれど 安易に情報提供は気がかりかなと思う。 そう、DNAは将来の病気を予想するだけではなくて、 犯罪を犯すDNAが特定されれば 「DNAによる未来の犯罪者を管理する時代」を 暗示するということになるのかもしれない。 冗談と笑っちゃいられない。 現実にDNAの研究は進んでいるのだ。 中国での『ゲノム編集』が問題になったけれど、 賛否だけでは片付けられない。 表と裏があるお国柄だということもあるけれど、 内密で実験は続けられている。 倫理や引き継がれる命への影響に問題があっても 近年、長寿や老化の分野は、多大な投資がされており、 不老不死(人類の夢?)も、あながち迷い道ではなさそうだ。 いつか、人間に神様やこうのとりなどの必要がなくなり、 人間自身が、創造主になる日がやってくる。 ゲノム医療にはじまり、『デザイナー・ベイビー』もリアル、 親のいない人工体『ミニマル・セル』も創り出されているし…。 そうだね、人造人間だって遠い話じゃない。 何てったって、研究者たちの虚栄心を魅了するテーマだ。 それにしても私のDNA…(? そう、どんな人たちと繋がっているのだろう? 『オンライン家系図データベース』も心配だ 。 「人類はアフリカの一人の女性から始まった」 というイヴ仮説も、 「私たちも全ての物質も、みんな星の子供です」 という宇宙スケールのロマンも、 全ての命は繋がっている事を示唆してると思えば… ある

青ネギ            

彼女は、畑の種を売る倉庫のような店舗からではなく、 それは目ぱちくりでお人形のような服を着て、 髪で両サイドの顔を隠した小顔の少女? そう子供のような女性が屯する店で わたし『青ネギの種』を見つけたのです。 季節は、まだ早い春がシャビシャビみぞれの三月でした。 わたしは簡単な栽培方法で事足る『青ネギ』です。 茶色のクラフト紙の中で60日もあれば種蒔き不要で、 丈も15cmほどになります。 収穫時期も早いのですが、根本を3〜4cm残して収穫すれば、 また新しい芽が生えてきて再び育てることができます。 独り暮らしで薬味程度でしたら十分の量で、 育てる楽しみも手伝ってか、 当時若い女性にとても人気でした。 ところが、若い女性の人気がピークに達した頃です。 我も我もと中年のおばさんが割り込んできました。 若い人の文化を後追いし、 市場を荒らすのはいつものことですが、 そうなる頃には若い女性の関心ごとは他に移り、 お店の中は中年のおばさんに占領されていきます。 何て申しましょうか中年のおばさんは…、 アッ《おばさん》は差別用語でしょうか。 もといします。おばさんではありません。 そう中年の女性たちはそれを知ってか知らずか、 若い人たちに遅れまじと、流行りに飛びつきます。 「これが流行の先端なんだから」と、 幾つも幾つも購入してゆきます。 彼女たちは自慢げにあちこちに配るようです。 そんなこんなで、 中年の女性の購買力は若い人をかなり上回りますから、 お店のオーナーの顔もほころびます。 そして私たち青ネギも、 中年の女性たちのお陰で店頭から姿を消すまでの時間に 執行猶予をいただくことになりした。 しかし、中年のおばさん達の手は 日付の新しい青ネギに伸びるものですから、 わたしは徐々に後ろに追いやられてしまいました。 それにです、騒ぐだけ騒いだ黄色い声の女心は秋の空です。 オーナーは調子づいて仕入れ過ぎたのです。 売れ残った青ネギたちと一緒に、私も末路は ゴミ 箱でした。 それでも彼女たちに食べられるよりは良かった気もするのです。 でもね…、ちゃんと育ち食卓に上った青ネギは 決して多くはない気がしています。

レプラコーン         

それは田舎町の一角。 頭上に田中靴店の看板がぶら下がる 間口一軒半のガラス戸の向こう。 板の間の真ん中で四角い座布団に座っているのは まん丸ロイドメガネのおじいさんだ。 小柄で、職人気質で、すこしばかし偏屈。 けれど、気が合うと陽気な一面をのぞかせてくれる。 「待っていれば、すぐ直してやるよ」といってくれるから いつもおじいさんの脇に座って過ごした。 コンコンとハンマーの音を響かせて修理が終わる。 「今どきの靴の修理はなってないよ。 あれじゃますます靴が悪くなるのさ、大切に履きなよ」 と、メガネ越しに笑う。 あれから過ぎた時間にわたしも大人になり、 東京に戻ることになったある夏の夕方だった。 さよならを言おうと、訪れた店の中で 丸いちいさな背中が振り向きもせず呟いた。 「店仕舞いだ、もう直してやれないからね」 こころが何かでいっぱいになるのを覚えても 突然のことに返す言葉も見つからない。 「元気でいてください」の一言だけで店を後にした。 この手からするっと逃げていった遠い記憶だ。 何も言わなくても分かり合える… なんてことはありえないかもしない。 けれど、数十年が過ぎた今も、忘れることが無い。

そもそも           

同じ月を見ていないのだね 現実社会の経験は記憶の回路に蓄積される。 時々に引き出され、リアル世界の刺激を受け、 重ねて記憶されるたび、 複雑に書き換えられてゆく。 成長なのか後退なのか分からないが、 少なくとも、 それらは事実からも遠のいていく。 まして私の狭い世界で、経験し記憶した現実は 自己に依存した主観の世界に過ぎないのだし。 だからと言うわけじゃないけれど、この頃思う。 科学の世界は数学的に導かれた原理で、 本質的に世界は不確かだ (不確実性) ってね、 そう考えれば、他者の心を推し量るなんて問題外だと言う事だ。 人間の世界は真っ暗だ。 良くも悪くも個々の記憶は拠り所とするそれぞれの記憶が 滅多にない致命傷を抱えてゆくわけだから、 そう、ちっぽけな教養や知識の中で度重なる書き換えを経て、 結局、絶対的な知識や判断など縁のない世界が構築され、 そんな中でいがみ合いの自己満足で生きているのだね。 そう言えば タゴール は「月はそこに存在しない」と言った。 アインシュタインは 「現実に物質としての月はあそこに空にほらある」と答える。 そうじゃなく、月は人の認識によって存在するのだと、 タゴールは言っているのだ。 つまり、もし人がその月を見ない、 もしくはそこに月があると認識しなければ、 その人にとって月は存在していないということらしい。 そう、観測しているものや観測できるものは 表面上の事実や事象は真実であるとは限らない。 この一人ひとりの危うい自己に依存した 主観的世界に過ぎないということなんだ。 こんなことも、この頃理解出来てきた。 理解できないあの人が馬鹿なのではなく、 あの人と私は全く別の出来事を経験し、 全く別の事象をみているってこと。 世の中、理解不能などうでもいい事ばかりだけれど、 こんな世界でこんなことに悩み案じるのも何だか空しい。 ちゃんと話が出来た君を亡くしたこと、とても痛い。 でもね、主義主張は異なるけれど、 やっとだ、数人の話が出来る人に巡り合えている気がする。 それにしても、近所もそうだけど、 筋トレなどで日常に付き合う賑やかな大人達の、 特に女性の多くの田舎のプライドは天井知らずで、 社会的なことなど正直どうでもよい事で、 (女だけじゃなく多くの男性もね) この田舎の思考回路や思考秩序はどこからきているのだろう? 学びを放棄してるのに、

ラベンダー 

イメージ
ラベンダーを育てている。 六年目のラベンダーが木質化してしまった。 ちゃんと剪定しなくちゃと思いながら、 色々あって忘れていたら花も咲かなくなってしまった。 三年目のラベンダーは今年美しい花を咲かせてくれるかな。 一年目のラベンダーはまだまだ子供。 今年は花の収穫を終えたら クローゼットとチェスト用にポプリを作る。 ラベンダーの香りが嫌いな虫は、蚊・ゴキブリ・蛾などかな? 衣装ケースの虫には関係なさそうかもだけど、 香りに癒されるし、あ迷惑な夏の蚊にはもってこい。 今年知合った友にプレゼントだ。 いっぱい作らなければ~~~! 二度と木質化させないために ■ ラベンダーの育て方の覚え書き^^ ラバンジン系ラベンダーは成長がゆっくりです。 順調に育てば3年目の初夏には 多くの花穂を付け見応えのある樹形に成長します。 1年目  好きなように自由に育てます。 2年目   ①回目は枝すかしの剪定  *ラバンジン系ラベンダーは  剪定せずに株を大きく育てて下さい。  初夏に花穂を少し付けてくれます。  2年目以降は剪定を年に2回 行います。  開花後の花穂の刈り取り及び風通しを良くする。   ②回目は枝先を整えるだけの軽い剪定  暖地なら 12月初旬に行う 。 3年目以降  暖地では 冬に強剪定 を行います。  剪定することにより、株の老化を防ぎ活性化させます。      *この強剪定をちゃんとしないと木質化しちゃうのね。  活性化した株は毎年初夏に多くの花穂を付けてくれます。

真っ赤なバラ           

  勿体なくも大切な時間を使ってしまった。 でもね経験と知識をプラスして、裏切りにも強くなったし、 紛いもの(者)への対処にも賢くもなった。 ほんとうに色々学んだ。 「事実は小説より奇なり」 フムフム、なんだか異常で奇妙な人間社会の中でね。 バイロンの名言が大当たりだ。 話には羽が生えていて…(? 近頃疲れっぱなしのわたしだけど、 とてもぬくいお裾分けに心がほころんだ。 つい最近のこと、花屋の前を通過すると、 真っ赤なバラの花束を抱えた男の人が出て来た。 数十本は抱えていた…。 恋人へバラの花束をプレゼント(プロポーズ?)だね。 こんな田舎町には似合わないくらいのカッコよさだけど、 お相手の女性に幸せが届くのだ。なんて素敵なことだろう。 もちろんね、君の愛、もしかしたら寄り道もするだろうな…、 けれどね、ちょっと見たドキュメンタリーに思う。 これが大人の愛だってね。 「 ゴルバチョフ 老政治家の“遺言” 」BSドキュメンタリー ミハイル・ゴルバチョフ氏の最晩年を取材したドキュメンタリー。 モスクワ郊外で静かに暮らした旧ソ連最後の最高指導者が、 ソ連崩壊後の人生とプーチンのロシアを語っていた。 *世界最大のドキュメンタリー映画祭IDFAで最優秀監督賞。 *原題:Gorbacherv.Heaven(ラトビア/チェコ 2020年) ドキュメンタリーの最後に、90歳を過ぎた彼が、 共に生きた妻を恋しく語る心は切なかった。 時が過ぎ、バラの花を抱え花屋から出て来た君が、 長年連れ添った妻に再びバラの花をプレゼントできたら…。 それは、とても素敵なことに違いない。

文化的な死 

イメージ
高齢社会の次に訪れると話題の多死社会。 2039年日本は、死者数が167万人に達するらしい。 そんな中、日本の死の定義も、 先進国並みに大きく変わってきている気がする。 日本の死の定義を調べると、 「生物的な死」「法的な死」「文化的な 死」の 3つの視点があるようだ。 生物的というのは、生活機能が停止した状態を指す。 つまり人間の死は、従来、 「心臓が 停止・呼吸が停止・瞳孔が開く」 といった3っの兆候で判定される。 では法的に死んだとされる瞬間は…、となると、 必ずしも、生物的な死と同じではないと言う事になる。 しかも日本では、 1997 年の臓器移植法成立を機に、 法的な死にダブルスタンダードが生じているらしい。 脳死での臓器提供を前提とする場合には 「脳死が死」。 提供しない場合には「心臓停止 が死」となる。 つまり、 法的に死んだと判定される肉体的状況は 人によって異なるし、 臓器提供を前提とせず、心臓停止が死であっても、 法的な死と生物的な死が一致し ないこともある。 たとえば、癌などで闘病の甲斐なく心肺停止となっても、 遺族や本 人が蘇生措置を望めば、 まだ死んでいないのだ。 もちろん蘇生を試みない場合に はこの時点で死んだと判定される。 医療技術の発達で「法的な死の瞬間」を 選択で きる時代になったということだろうか…? そして文化的な死は、それぞれの国の文化に根差している。 個人的なことだけれど母が死んだ時、 姉の家族は海外で暮らしていた。 母の訃報を聞く姉は 子供みたいに泣きじゃくる。 さりとて今の今、チケットが取れる確率は低い。 ましてや海の向こうである。 「母に一目会いたい」と懇願する姉の想いは、 荼毘に臥す前まで母は生きているとの死生観を持っていた。 喪主は荼毘に臥すのを一日延期して、姉の願いを叶えた。 そう言えば日本では火葬するまで、 遺体を生きてい るかのように扱う風習がある。 少なくとも火葬して遺骨になるまで…。 否、もっとかな、母の遺骨をペンダントにした妹は、 「いつも一緒にいる気がするの」と目を赤くした。 なるほど、 彼女たちにすれば 母は死んじゃいないのだ…。 死んでも、静かに休んでいられそうにないね。母さん。

北欧の国々の実体は中身がなさすぎる

「男女平等な国、ス ウェーデンに学ぶ」だって。 アイスランドは…だとか、スイスは…だとか。 比べて日本は女性の地位が低いだって。 ちゃんと仕事すりゃさ日本の女だって かなりの高収入と世間的地位も手に出来ている。 国際評価って、何だかちょっとじゃなくかなり変だ。 北欧の女性首相達が政治を動かしているようにはとても思えないしね。 メルケルもそうだ。 以前(2020:10:10)の記事をピックアップ ニュースが流れた。  ドイツで9日新型コロナウイルスによる1日当たりの死者数が  過去最多の590人となり、  メルケル首相が珍しく感情をあらわにして危機感を訴えました 日本の記事の扱いは英雄並みのお母さんとして、 彼女の演説が「心に響きました」だなんて、 感動のまなざしを向ける言葉が幾つか躍ったものだ。 彼ら能力のない評論家が言うには、「手を上下させて感情を込める」 「国の指導者はこのようでなければならない」 「・・・ねばならない」だなんて、 こんなことが「ねばならない」ことなのだろうか? 「そうじゃないと国民はついてこない」 確かにそうだね。愚かな国民が歩んだ歴史が物語っている。 内容は別にしても、ドイツの指導者ヒトラーの演説もそうだし、 アメリカの指導者トランプ氏もそうだ。 私には、メルケル女史の 手を上下させて感情を込め、熱く語る演説の雰囲気に ナチスドイツの映画に登場した人物、 アドルフ・ヒトラーの姿が強くダブった。 激情型の演説は人を動かすようだ。 運悪く、経済優先が顕著な象徴として コロナ禍で露呈した移民の非道な扱いに 収容所が重なってしまったからかな。。。 情熱的演説が報道され、あちこちの国の大衆を熱狂させる、 何となくナチスドイツのヒトラーを想起してしまった。 日本では、地味な総理に対して、 「メルケルさんのように感情を表に出して訴えろ」 とアドバイスをする人が続出だ。 世界は昔からおかしいままだけど、 日本の評論家や有識者を自称する人たちの、奇妙な価値観。 彼女は今のロシアや中国を 悪い意味で抬頭させただけだ。 経済志向しかない政治家や経済人達の思うがままだった。 七、八年前だった。 「ダウン症のない世界 ? 」イギリスのドキュメントが放映された。 ダウン症の息子を持つ俳優で脚本家の女性が出生前診断の結果を受け、 中絶を選ぶ女性が多い現実に、 医師

ちょっと惹かれる       

  『さりながら』 流水のふたたび帰り来ず、落花がふたたび梢にもどらず。 思いきることのできない恩愛の絆。

上野駅            

ブログ整理中。 東北方面からやってくる集団就職列車が発着する18番ホーム。 専用ホームは既に廃止されたが、当時上野は東北の玄関口だった。 ドキュメントのナレーションが耳に付く。 私の学生時代、上野は既に廃れていた。 それでも、上野が「巡礼の地」さながらだったことがある。 一通りの文化施設が集積していることも要因の一つだが、 動物園にパンダが来た時と、美術館にモナ・リザが来た時だ。 まさに人の熱気が蛇行して行列が蛇のように連なった。 DJポリスではないが、「立ち止まらないでください」 と叫ぶ警備員の大出動だった。 パンダ鑑賞(?)なら許せても、行列を組み、 一時停止も許されない絵画鑑賞など有り得ないと、呆れた記憶がある。 それにしても、上野が寂れたのはいつ頃だったのだろう。 私が東京で暮らしていたころ既に 交通網の中心は東京駅であったことは確かだ。 しかし、上野美術館で鑑賞したモナ・リザが本物か偽物かは分からないが、 上野の駅は往年の風格を残していたように思う。 大きなコンコースが口を開けた、呑み込まれる記憶の中に薄暗い構内が蘇える。 ―ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにいく― 「ねえ、あなた訛ってない」 東北を一歩も出ていないという女性に言われたことがある。 「ちょっと待って。その言葉、そのまま貴女にお返しするわ」 と言い返したものの、思い出したことがある。 先に上京していた兄の先輩に ディナーとやらをご馳走預かった時のこだ。 打ち解け始め宴もたけなわにの話の途中、兄が付け足したのが 「田舎の山猿ですから、何を言っているかわからないでしょ。申し訳ない」 これこそ「ちょっと待て。申し訳ないってどういうこと」だ。 第一、こんな可愛い山猿めったにお目に掛れるものじゃないんだから。 それより、そもそも方言で喋ったからって、どうして謝らなきゃならないの。 言葉に出さなかったものの、ちっぽけなプライドは怒り心頭に発したのだ。 とは言え、東京で学生時代を終えると、 そのまま舞台の世界へ片足を突っ込んだものだから、 ちっぽけなプライドも、やや矛先を変えることになった。 その日は舞台現場の打ち合わせだった。 「共通語で話してくれない!その訛り、他の女優さんに悪い影響与えるんだから」 と、江戸っ子を自称する女からきつく叱責されたのだ。 そりゃ、舞台俳優はいろいろな方言を

本棚で眠る可愛い女たち

本棚で眠る可愛い女たち SDGsで永遠に眠る 私の机の上に、しばしば彼のおすすめの本が置かれた。 「面白そうね」と言いつつ、パラパラ指先だけが活字を追う。 そうして数十冊が本棚の片隅に追いやられたまま眠る。 そうして『三年ねたろう』どころではなく随分長い年月が過ぎた。 数日前だった、偶然、歌が刻まれた碑が目に入り、思い出したのが、 眠る本の一冊、もろさわようこ著「おんなの歴史」だった。 ― 碑に刻まれていた歌 ― 萬葉集 巻十三 旅あきうど (旅商人)の妻 つぎねふ 山城路(やましろぢ)を   他夫(ひとせ)の 馬より行くに  己夫(おのせ)の 歩(かち)より行けば  見るごとに ねのみし泣かゆ  そこ思ふに 心し痛し  たらちねの 母が形見と  吾(あ)が持たるまそみ鏡に  あきつひれ負(お)ひ並め持ち手  馬替えわが夫(せ)  夫の応(こた)へてよめる 馬買はば 妹(いも)かちならむ  よしゑやし  石(いわ)は履(ふ)むとも我(あ)は二人行かむ    難儀な山城道を他人の夫は馬でゆくのに、   私の夫は歩いてゆくので、   どんなにつらいことだろうと思えば胸が痛く   思わず泣けてしまいます。   ここに母の形見の鏡と肩掛けの布があります。   どうぞこれを馬と替えてください。   切ない思いの妻の歌に反して夫は   馬と替えてしまったらお前が困るだろう、   困難な道でもいいではないか、   私はお前と一緒に歩くことにするよ。 もろさわは、万葉相聞歌にある「馬替え わが夫(背)」と歌う妻と かの有名な『一豊の妻』、戦国乱世に「馬買い給え」と持参金を用立てた妻を比較して 二人の女の違いを「馬替え」という動機の相違と、 それに対する夫の態度にあるとしていた。 万葉の女は、前後のみさかいのない、ただひたすらな夫への愛の一念であるとし、 一豊の妻は、功利を見極めたまことに智恵深い行為で 当時の立身出世に必要な、みごとな「内助の功」であると評価しながらも、 一豊の妻の行為が愛の深さへの評価ではなく、 「内助の功」であることを、いささかさみしく思うというのだ。 比べて万葉の女とその夫の人間性豊かなやり取りは、功利とは無縁であるけれど いたわり合う愛情の故郷ではないだろうかと、女心を吐露している。 今の時代、万葉の女は虫眼鏡で探してもまず見つからないだろうし、 歴史で名