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レプラコーン         

それは田舎町の一角。 頭上に田中靴店の看板がぶら下がる 間口一軒半のガラス戸の向こう。 板の間の真ん中で四角い座布団に座っているのは まん丸ロイドメガネのおじいさんだ。 小柄で、職人気質で、すこしばかし偏屈。 けれど、気が合うと陽気な一面をのぞかせてくれる。 「待っていれば、すぐ直してやるよ」といってくれるから いつもおじいさんの脇に座って過ごした。 コンコンとハンマーの音を響かせて修理が終わる。 「今どきの靴の修理はなってないよ。 あれじゃますます靴が悪くなるのさ、大切に履きなよ」 と、メガネ越しに笑う。 あれから過ぎた時間にわたしも大人になり、 東京に戻ることになったある夏の夕方だった。 さよならを言おうと、訪れた店の中で 丸いちいさな背中が振り向きもせず呟いた。 「店仕舞いだ、もう直してやれないからね」 こころが何かでいっぱいになるのを覚えても 突然のことに返す言葉も見つからない。 「元気でいてください」の一言だけで店を後にした。 この手からするっと逃げていった遠い記憶だ。 何も言わなくても分かり合える… なんてことはありえないかもしない。 けれど、数十年が過ぎた今も、忘れることが無い。