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そもそも           

同じ月を見ていないのだね 現実社会の経験は記憶の回路に蓄積される。 時々に引き出され、リアル世界の刺激を受け、 重ねて記憶されるたび、 複雑に書き換えられてゆく。 成長なのか後退なのか分からないが、 少なくとも、 それらは事実からも遠のいていく。 まして私の狭い世界で、経験し記憶した現実は 自己に依存した主観の世界に過ぎないのだし。 だからと言うわけじゃないけれど、この頃思う。 科学の世界は数学的に導かれた原理で、 本質的に世界は不確かだ (不確実性) ってね、 そう考えれば、他者の心を推し量るなんて問題外だと言う事だ。 人間の世界は真っ暗だ。 良くも悪くも個々の記憶は拠り所とするそれぞれの記憶が 滅多にない致命傷を抱えてゆくわけだから、 そう、ちっぽけな教養や知識の中で度重なる書き換えを経て、 結局、絶対的な知識や判断など縁のない世界が構築され、 そんな中でいがみ合いの自己満足で生きているのだね。 そう言えば タゴール は「月はそこに存在しない」と言った。 アインシュタインは 「現実に物質としての月はあそこに空にほらある」と答える。 そうじゃなく、月は人の認識によって存在するのだと、 タゴールは言っているのだ。 つまり、もし人がその月を見ない、 もしくはそこに月があると認識しなければ、 その人にとって月は存在していないということらしい。 そう、観測しているものや観測できるものは 表面上の事実や事象は真実であるとは限らない。 この一人ひとりの危うい自己に依存した 主観的世界に過ぎないということなんだ。 こんなことも、この頃理解出来てきた。 理解できないあの人が馬鹿なのではなく、 あの人と私は全く別の出来事を経験し、 全く別の事象をみているってこと。 世の中、理解不能などうでもいい事ばかりだけれど、 こんな世界でこんなことに悩み案じるのも何だか空しい。 ちゃんと話が出来た君を亡くしたこと、とても痛い。 でもね、主義主張は異なるけれど、 やっとだ、数人の話が出来る人に巡り合えている気がする。 それにしても、近所もそうだけど、 筋トレなどで日常に付き合う賑やかな大人達の、 特に女性の多くの田舎のプライドは天井知らずで、 社会的なことなど正直どうでもよい事で、 (女だけじゃなく多くの男性もね) この田舎の思考回路や思考秩序はどこからきているのだろう? 学びを放棄してるのに、