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そんなところでふて寝かよ!

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私達の頭の中に描かれている空間は、既に立体…。 人間の認知は再構築されて意識される。 遠くに楕円に見えているテーブルを円テーブルと理解していても、 頭の中では楕円に認知されている。 平面的情報が入力されても、人間は立体空間を認知する。 子供の頃のほんの短い時期を覗いて、 それは大人の視界認知で不通に処理される。 これを視覚の『恒常性』と言う。 イメージは再構築され認識されることで、 その人の視覚の恒常性が邪魔(?)、 もとい、邪魔じゃなく働いてくれているから^^ 私たちは日常の活動を維持できるということになる。 つまり恒常性は人間に与えられたというか、 多くの生物が獲得した、生きる術だ。 本来はさまざまな環境の変化に対応して、 生存を維持するために備わった能力らしく、 生態的には 主に神経やホルモンによって行われたりするもののようだ。 けれど アートの世界に視覚の恒常性に挑戦したのが ピカソやブラックたちじゃないかって、そう思う。 そんな恒常性は視覚の世界(アート界)だけじゃなく、 人間の生き方にもあると、このごろ思っていて、 例えば、 「それが常識です」という狭い世界のイロハとか、 「これが真実です」とする自分本位の知識とか。 (あなたが無知なんだって言わないでね^^) 「専門家ですから」という確信の正義とか。 「やれることは全てしました」 「あなたのことを、わたしはこんなに心配しています」 と自分で納得する(?) 納得じゃないかな^^、 大衆を錯乱させる絜矩の道みたいなもの…? 近頃、狭い社会の知識の恒常性(?)とも擦れ違うことが多くなったし。 それらは多分、生きる賢さに違いないのだろうけれど… そんな多種多様な恒常性に、なぜだかこころが疲れ気味の人も多いだろうな。 わたしが解さないだけのことかもと、振り返ってみてもね。 今じゃ、多種多様な恒常性にこころも折れ折れだ。 だからと言って、そんなところでふて寝かよ!