千秋の思い    



入院して四日目、私の精神状態は爆発寸前だった。

入院がこんなに苦痛なものとは思わなくて、

「通常、約一か月の入院です」と言い渡された時は途方にくれた。

それでも強引に主治医を説き伏せ退院を要求。

「明々後日、出張から帰ってきます。検査の結果でOK出しましょう」

と言う言葉を何とか取り付けた。

主治医を待つ二日間が、途方もなく長く感じられたものだった。


感じられる時間とは体験された出来事の数ではなく、出来事を「体験した」と認識するために必要な認知的負荷が大きいほど長くなることが示された。このような認知的要因が感じられる時間の長さに及ぼす影響は、従来考えられていたよりも強いことがわかった(千葉大 人文科学研究院/オープンアクセスジャーナルの「i-Perception」に掲載)。


ふむふむ、そういう事だ。

つまり、楽しいときは短く、退屈なときは長く感じる時間の流れ。

人が感じる時間の長さの違いは脳の認知的負荷で変化すると言う事。

ああ、あと二日、あと二日我慢したら退院できる。

たったなのかもしれない、「一週間で退院をするなんて無謀よ」

お世話になった25歳の理学療法士の女性が言った。



私は、一日千秋の思いで、主治医の戻るのを待った。





コメント

kanata さんの投稿…
驚きました。あなたも入院なさっているの?
いったいどうなさったのでしょう。
私を励ましてくださったあなたが退院を待ってる!
私は帰ってきて、待っていて呉れなかった事を恨む日々です。

主治医さんはおかえりになりましたか。

あきのの さんの投稿…
ごめんなさい、投稿の日付がありませんでしたね。
手術は六月末の事です。

あれからそろそろ三ヶ月になります。
「一か月は入院していただきます」
「正座は100%諦めてください」…
病院では気が滅入る言葉ばかりでした。

だから、一週間で無理やり退院しました。
けれど、リハビリには一度も通わずに正座も出来るようになりました。
一週間に一度の診療で担当医も驚きだったようです。
正直、医者も理学療法士も、
パターン化された知識しか持ち合わせていないのだとおもいました。
言われたままに一か月の入院生活を送っていたら、
やってはいけない事の制約ばかりですから、
「正座は無理」と言う担当医や療法士の見解の中での指導では、
確かに正座は出来ないと言う現実を目の当たりにするしかなかったと思います。

反逆児の患者(?)でしたが、
自分の身体の動きが良く分かっていたことや(筋トレをしていたからかな?)、
昔、建築で人間工学を学んでいたことも役立ったのではないかと思います。

痛み止めを1~2度服用しましたが全く効かず。
どうせなら痛みを感じている方が身体のことが良く分かる気がして
薬を服用せず、痛みと一緒に三ヶ月が過ぎようとしています。

夜中に痛くて何度も目が覚め、絶望感に襲われ、
今もまだ痛みがあり、思うようにならないこともあります。
けれど、意外に逞しい自分もいるようだなって思っています。

kanata さんの投稿…
たくましさに驚愕しています。
二度に入院では医師の言うとおりに行ってきました。
知識もなく長引く畏れもあってはいはいと。
きっとお若いのですねえ、きっと。
でも、過信しすぎないようにくれぐれもお大事になさってください。
お願いします。
あきのの さんの投稿…

優しい言葉、ありがとうございます。

けれど、残念ですが若くはありません。
若ければ医者の言う事を信じ素直にしたがっていたと思います。

きっととても悲しく辛い思いをしてきたからでしょう。
どこかで開き直っているのです。

そんな自分が淋しくもあります^^