ゼロ     



古来からゼロ(0)は不思議な世界だった。
ゼロの発見の痕跡は
60進法を使用していた古代バビロニアに見ることができる。
けれど実際の数としての発見はインド(紀元550年頃の天文学書)
という説が有名だ。
インドの数字「0~9」を使った記数法はイスラム文化圏へ伝わり、
十字軍の頃、西ヨーロッパに伝わっていった。
算用数字をアラビア数字とも呼ぶのだけれど、生まれはインドと言うことだ。

「数」の概念は不思議で「個数」と異なる。
つまり、テーブルに1個のリンゴ、
それを取り除くとテーブルには何もなくなる。
無いものには意味がないので、個数として数えることはできない。
つまり個数に縛られない概念と言うこと。

しかし、足し算や掛け算をする時、ゼロが無いと不便だし…
だから「数」のゼロは演算の対象としての意味をもつといえる。
(但し、ゼロの割り算は禁止されてる^^v)。
当時インドでは「0~9」の数字で全ての数を表していた。
しかしエジプト、ギリシャ、メソポタミア、マヤは、
数が大きくなれば記号を増やしていく手法がとられていた。
日本の漢数字でも同じことが言える。
つまり、一~九に加えて十、百、千、万、億、兆、京…となる。
数が大きくなればそれだけ多くの記号(日本は漢字)が必要になるということ。
けれどアラビア数字は「0~9」に10個の数字で全て足るのだから凄い。
アラビア数字による「位取り記数法」は、
演算を容易にさせてくれるというメリットを持っているのだ。

古代文明で計算は、算盤や算木、そろばんなどが用いられたけれど、
記録されるものに過ぎなかったようだ。
つまりゼロ(0)は何もなく空いているを示す記号でしかなかった。
つまり、ゼロは数じゃなくて何もないと捉えられていたと言うことだ。
ここに「数」と「個数」を同一視してしまうというトリックがあるといえる。

それは人間が言葉で考えてしまう点にある。
メソポタミアやマヤ文明において、ゼロ(0)の概念があって、
起算法を考え出していたものの、
演算にゼロを使用するまでにいたってなかったということなのね。
ところがインドではゼロ(0)を数としてみなし、加減乗除の対象にしたのだ。
数としてのゼロがみられるのが550年頃で、
それ以前は「・」の記号を使っていた。
しかし当時、彼らもゼロの割り算にはてこずったようだ^^
ゼロの概念を考えると色々面白い。
AIの世界ではインド知能の争奪戦があるし、インドは恐るべしかも…。

インド君、民主主義が絶対だとは思わないけれど…、
モディ君はちっとばかし、独裁政権の臭いもする…







もう、ソメイヨノは今日から散り始め。
朝起きたら、屋根にパラッと雪のふりかけ何てこと、もうないだろうな。
今年はいやって程雪が降った、もう雪なんて要らないんだから。
もうすぐ、雨なんていらないんだからって言い始めるかな…。






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