ベトナム研修生とブラジル移民




「娘の荷物に紛れ込んで、僕も一緒に行きたい」
そんな父の寂しげ顔があった。
「いつか、みんな連れていくから」娘はそう応えた。
その言葉に嬉しそうにうなずく父親に笑顔がこぼれる娘。
5人兄弟の末っ子っだと言っていたかな…
美しい28歳の女性だった。

昨年、偶然見たレポートのシーンだ。

貧しいから、兄弟の犠牲になって苦労させてきた。
だから今は、彼女の希望を叶えさせたてやりたいと母親が言う。
それが日本で働くことらしい。
日本で彼女が稼ぐお金を当てにしているのが分かる。
そして彼女も、
1万ほどの月収(タクシー運転手)で
家族を支える父の助けになりたいと願っていた。
そのためには日本の特定技能検定の試験で合格する必要がある。
あの問題の多い制度だ…。
2020年度の外食業特定技能1号技能測定試験は
コロナ感染症の拡大で延期になったままだ。
勉強の甲斐なく、感染症の騒動で試験は延期された。
先も見えず、日本に行ける日を待つのは不安に違いない。
しかし日本に来たからといって、未来はバラ色じゃない。
研修生制度とか銘打って、法の裏で多くの非人道的企業が横行している。
確かに、一万円ほどで家族が暮らす家計状態には、
日本で稼ぐ収入は夢のような額だろう。
しかし人手不足解消のため、
悪徳人材派遣業者や悪徳雇い主が野放の状態なのだ。


研修生の置かれた状況は以前から問題があったのに、
一向に改善されない。
国を出るとき搾取された契約金
(規定されている額より多額の契約金が動く)を借金に背負って、
見えない鎖につながれる。まるで奴隷制の匂いさえしてしまう。
その悪の根源の片棒を担ぐ問題の町、その一つが私が住むこの町だった。

当時の問題企業が屯するこの町では
彼らに対してまともな技術研修など一切せず、
安い人材を都合よく手に入れて、
家政婦か雑用係のようにこき使う繊維問屋が軒を連ねていた。
この町に帰省して内情を知った時は驚いた。

けれど市も、地域の企業側を弁護して
マスコミからも企業をかばったようだ。
「それって、おかしくくありませんか」という私に返された言葉は、
「一生懸命教え育てても、彼らは技術だけ盗んでさっさと帰国してしまう、
 ばからしくてやってられない」との言い分だった。
だからと言って技術も教えず家政婦にしてよいというのだろうか。
そもそも『途上国を援助する技術研修制度』だったはずじゃないのか?
低賃金で都合よく雇い胡坐をかく
繊維問屋側の貪欲さと認否人そのものの知性は『井の中の蛙』で、
「何が悪いのだ」という態度だった。
研修生の日本での暮らし(この町の実情)は、
狭いアパートに詰め込みで住まわせ、
住居費や食事代を支払わせる。
時間外労働は当たり前で、残業手当などない。
しかもまともな技術を教えられることなど一切なかった。

今はこの町の繊維業の衰退で研修生が減った。
しかしコロナ騒動の中で、
最初に日本社会から見放されたのが
日本のあちこちの繊維業界で働く研修生たちだ。
大きな声で訴えることを知ってる知恵を持つ人々の陰に追いやられ、
搾取され、低賃金で雇われてきた雇用保障不要の労働者だ。
貧したから、鈍してよいとは思わないが、
今、日本ではベトナム研修生が事件を起こしている。
ベトナム研修生の窃盗事件が増えた事情も分かる。

この研修生の扱い方の現状が、
経済優先政策をとって、難民を非道に扱っていたメルケル政権よりも
卑劣な対処だったなら本当に悲しいものだと思った。
世界は信じられないほど難民や移民に対する扱いは酷いものがある。
コロナ騒動で人気ものになったメルケル女史の熱い演説の裏では
難民や移民労働者に対する非人道的対応が原因で
コロナのクラスターが起きていた事実がある。
難民は仕事場と宿舎の移動のみが暮らしの全てで、
移動のバスに詰め込まれた影から、虚ろな目がカメラを見つめる。
あの収容所の現代版のようだった。
この一端は、コロナが難民や移民のマイノリティーに
広がっているのという先だって流れたEU某国のニュースにつながる。



私の隣に住むブラジルからの帰国者がいる。
ブラジルでは日本人だということが事あるごとに問われ、
日本に来たら来たらで、ブラジル人であったことが問題になる。
「私はいったいどこの国の人間なのか、
自分のアイデンティティーは無くなってしまった」と彼女は言った。

初期のブラジル政府の移植民政策は
奴隷制度が廃止されたことによる労働者不足への対応策だった。
当時労働者として移住してきたヨーロッパ移民(イタリア人)たちは、
奴隷として扱われることに反乱をおこした。
その後、働者不足が再び起こり、反乱を起こしたイタリア人の穴埋めに、
サンパウロ州政府が日本人の受け入れに踏み切ったことで始まった。

当時日本政府が、南北アメリカ、中国大陸、フィリピン、南洋諸島など
海外に送り出した移民の総数は百数十万を超えている。
その全てがそうであるように、嘘に塗り固められた楽園(ブラジル)も
日本人移民に厳しい世界だった。

第二次世界大戦時には、
ブラジルにとって日系の移民は敵国人という扱いになり日本の公使館も閉鎖、
外交官も退去を迫られ、まもなく全員が引き揚げた。
しかし国策で送り込まれた移民は何の対処もされることなく放置されたのだ。
そして日本語の使用も禁じられていった。
もちろんラジルだけではない、
多くの国へ国策で送り込まれ、置き去りされた日本人がいた。
隣人の彼女はその子孫だ。

それが国策で日本に送り込まれるベトナム研修生とダブる。



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