オリンピックは要らない




「組織は腐敗するものだしね」
などじゃくくれやしない、IOCは可笑しな世界だ。
膨れに膨れ上がったIOCファミリーがいっぱいぶら下がっている。
お金と既得権が大好物の商業主義が屯する。
そろそろ、我々大衆も、賢くなってもいいんじゃないだろうか。
幻想から覚めてもいいころだと思う。






スポーツ精神だ、世界平和だ、自由だ平等だなんて
高らかに歌い上げ、大衆を巻き込むから始末に負えない。
IOC組織の中身は既にそんな精神など形だけの抜け殻、
お金お金の商業主義に動くだけだからどうしようもない。
確かに森氏の軽率な言葉は、お笑い芸人ならまだしも、
上に立つリーダーとして失格だけれど、
彼の発言のどこが切り取られ、尾ひれがついて、
どのように訳され、各国でどのように報道されたかも知る必要がある。
こうした偏った報道の仕方は
ニューヨークタイムズや日本の朝日新聞、毎日新聞など、左翼系報道に見られるものだ。
彼らも報道しなければならない視点が狂いすぎだ。
単純に正義(一側面だけの)の御旗に酔い、
相手を批判する、批判し合うだけじゃどうにもならないってことだ。

話はもどって、
IOCなどは、最初に掲げた崇高な精神など形だけになって、
精神にはそぐわない組織になっているのだ。
その腐敗した組織IOCを行脚する既得権者たちの問題もある。
後押しする資金源NBCの強かさは何なのだろう?
言いなりになるしかないIOCも、従うしかない力も知恵もないJOCも、
もちろん足の引っ張り合いの日本の政治家たちも、
声高にご意見番になった一部のオリンピック選手も、
深く考えず行動するボランティア辞退者も、
そしてウィッケンハイザー氏、君の主張する正義を通すのだったら、
人権問題を抱える中国の冬季オリンピックをボイコットするべきだ。
「えっ、中国からは袖の下が届いてるから無理です」
と言う言葉が返ってきそうだね。

それに女性差別を問題にするなら、
パリ・オリンピックが主張していた
イスラームのベール拒否問題の方が、
愚かな森氏などの言葉より大きいことも分かってるのだろうか。
あのベールの話はどうなったのだろうか?

国際女性権利同盟(サルトルの伴侶だったボーヴォワールが創設)が中心になって
パリ大会ではイスラームのベールを被った女性アスリートの国を除外しろと、
国際オリンピック委員会に働きかけていたんだっけ。

彼女たちのベールはプロパガンダなんかじゃないし、
それに、ベールの問題は彼女たち自身が考えてゆくことだ。
スポーツに邪魔だったら外す選択もあると言うことをね。

「彼女たちがベールを外さないなら、私達は裸で出場する」
って、君たちは言ってたっけ。
君たちの裸の抗議、東京でも是非、拝見したかったけれど
東京オリンピックは開催ができない可能性が大だ、残念だ…。
だったら、ベールを彼女たちが外すまで、
フランス人はみんな、裸で暮らせばいいんじゃないだろうか。
でも、覚えておいてほしい、
フランス人のスタンダードは世界のスタンダードではない。

霧がかかっちゃって先も見えやしない。

パラリンピックの義足や義手にはじまったドーピングサイボーグ問題や、
トランスジェンダーの女性選手の問題もある。
トランスジェンダーについてIOCのガイドラインでは、
男性ホルモンのテストステロンのレベルを
大会の1年以上前から抑制しなくてはならないと定めているようだけど、
この処方も何だか曖昧で変だ。
女性選手からは公平ではないという声が上がっていることも鑑みると、
ポリティカル・コレクトネスはたくさんの問題を孕んでいる。
何でもかんでも自由・平等としてしまえないものがあることを
まず、私たちは互いに学ばなければいけない。


文化や国籍などの違いを越えるとか、フェアプレイの精神だとか、
平和でより良い世界を目指すとか、きれいな言葉が並んでも、
何ともこれが人間の世界なのだとつくづく呆れ返る。

「人間は生れつき自由で平等だ」と言うのは容易い、
しかし自由や平等は自然状態において、
「万人は万人に対して戦い」の状態にあることを意味するってこと。
何でもかんでも自由・平等としてしまえないものがある、
そこから考え始める必要がある。
単なる批判だけでは何も解決しやしない。

以前の記事に書いたことだけど、
少し、少しぐらい互いを思いやれないんだろうか。

世の中どうなってしまったんだろう?

愚かな一部大衆のSNSによる台頭や、独裁者の欲も、
脅迫障害のように欲望が渦巻く資本主義は、特に最悪の種をまき散らしてる。
人間の業というか、どうすることもできない醜さが露呈だ。

なんだか悲しい人間社会なのだ。


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