伽藍が白かったとき



若かったとき、

新しい伽藍の夢を見ているだけで仕事が面白かったものだ。
けれど、立ち返ってみれば、白く新しい伽藍の記憶は
私の中でずっと眠っていたのだと思う。



『伽藍が白かったとき』を著したのは、コルビジェだ。
断片的に見た『輝ける都市』に圧倒されたものだ。
正確には、何でもありの時代、誰もが(?)そんな時があるように、
確かな手応えが欲しかった年頃だったのだろう。
タイミングよく表れたのがゴルビジェの『輝ける都市』だった。
コルビジェの「偉大な時代が始まった」の偉大な時代は、
彼が理想とした機械文明による労働の減少、
高層ビルによるゆとりが生まれる土地の使い方だった…(?
ゆとりの土地には自動車のためにまっすぐな道路が走り、
そして、産業革命の鉄筋コンクリートは資本主義に拍車を掛けたけれど、
何だか息苦しい建築物が建ち並んでいった気がする。
結局、人間不在の、資本家の欲望を第一に、都市はつくられていった。
しかし当時の私の若さは、
晩年の代表作「ロンシャン礼拝堂」も「ラ・トゥーレット修道院」も
口を衝いて出る言葉と潜在意識の本音が、私の中で食い違っていたにも拘らず、
そこにカノンを意識した彼自身のモデュロール(*1)があることに、
知ったかぶりをして、ただ生意気だった。
「この計算された機能美、なんて凄いデザインだろう」ってね。
 (*1)=人体の寸法と黄金比からコルビジェが作った建造物の基準寸法の数列

そして西洋美術館が、コルビジェの設計だと知ると、
通り過ぎていた建物の前に足を止め、色眼鏡をかけて見上げた。
私はやたら感心してつぶやいた「さすがコルビジェだ…」と。
コルビジェの何ひとつ知りもしないのに、なんて滑稽だっただろう。
随分の時間も過ぎ、ほんの二週間ほど前だ、
宇沢弘文(経済学者)の講演を収録した本を読んでいて、
コルビジェの名を見つけた。
古い本棚から検索したのは、懐かしい『西洋美術館』だ。
そして、西洋美術館は、
敗戦国という歴史を引きづっていたのだとはじめて理解した。
時に70歳だったコルビジェは、簡単なスケッチだけで全てを弟子に任せた。
意匠から見ても、日本の美術館など興味が無かったのが現実だろうな…。
だからかな、任された弟子たちは、
彼の過去の作品(パリ市立・国立美術館のスロープ式流動性や
ネスレ展示館の回廊式展示)を継承する図面しか引くことが出来なかったのだろう。
長い眠りから目覚めて見れば、夢だった白い伽藍の続きは、
私の中では美しい未来都市などではなかったのだ。
あのころズレを感じながら白い伽藍の夢を追いかけていたのは、
過去から繋がって、現代、そして未来に、
スピードを加速して繰り返されていく欲望の飢餓文化だ。
欲望の歴史が造り上げた白かった伽藍も、
新しい伽藍も本質はちっとも美しくなどないのだ。
ただ、中世の伽藍が白かったころ、そこにどのような歴史が眠ろうと、
今、古い建物の街並みや要塞は、ただ多くの観光客を惹きつける。
今月の8日、
13億で落札されたダビンチのスケッチ画に心奪われるのと変わらない感覚で。
文化ってこういうものかもしれない…
コルビジェが豪語した「偉大な時代」は、
何世紀を経てどう変化するだろう。
ただね、コルビジェは、
コートダジュールのお気に入りの別荘で休暇中に亡くなった。
妻と過ごした8畳ほどのちいさな丸太小屋だ、77歳だった。
こんなに都会を無機質にしたくせに‼‼‼
あんな他人任せな不細工な美術館を残してくれて‼‼‼
君は8畳の丸太小屋を
「住みごごちが最高のここで、一生を終えるだろう」
だなんて言ってくれるのだ。
伽藍が白かったときを、いったい誰が知っているのだろう…
彼の建築思想はモダニズムの時代を走り抜け、世界を席巻したのだ…。


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