三つの教え        




満たされないものがあるってね。
何がでなく、誰がでもなく、
時間の存在を信頼するからこそ、
人を愛する幸せが当たり前のこととして生きてきた。
なのに…何かが違う、
何が間違っているのかと、コロコロ鳴る空洞の頭で考えた。
そう、そもそも時間など存在しないのかも知れないのだから。
もしそうだとしたら、この世界の全ては実体などないと言うことになる。
それは、死ぬときにしか理解できないかも知れなくて、
死は、存在の実体を理解する最後の機会と言えるかもしれない^^



                  

若者の定義は様々あって、何だかなぁと思うけれど、
現在、政府(?)が定義する若者は39歳までだそうだ。
日本人が大人になれないのも、こんな定義からかも知れない^^。
子供を産むことができる肉体的条件がとうの昔に揃い、
家庭を持ち、次代を育てる責任が想定できる年代が若者に含まれる?
なんだか日本はとてもダサイものを抱えているようだ。
田舎の高齢者は「この年じゃ…」の言葉に絡まれて、
オシャレしたくても表向きは必要以上に地味だ。
じゃあ、若い世代はといえば、真逆に飛びぬけて子供っぽい。
全ての人がと言うことじゃないけれど。
「日本の文化で一番自慢できるものは何ですか」という質問に、
「アニメ」と答える文化からきているのじゃないかと思う。

そうなのね、今日本が一番誇れる文化はアニメなんだ…、
私の気分は下降する…、私だけかな?

確かにアニメは日本の経済を動かしているようだし。
泣く子と中国とアニメに勝てないのは
日本の政治経済であり大人たちだ。
大企業も市区町村も、あれもこれもアニメキャラクターを設定すると、
それは全てが手足の長いアフリカ系の腰高スタイルを持ち、
ヘアスタイルとファッションのデザインが異なるだけで、
目のやたら大きな、髪に半分隠れた小顔はみんな同じ顔をしている。
差別をしてはいけない常識とやらが闊歩するからだろうか、
それにしてもみんな、お人形の顔立ちでスタイルも抜群。

大人の文化圏(海外)では
幼児期から抜けていない国だから、恐るるに足らずの指数になっても、
切磋琢磨する相手としての文化指数は低いんじゃないかと思うけれど…。
縮小したと言えど、東京オリンピックの企画センスは悪い。
儲けることしか考えないセンスの悪い電通に丸投げしたからだと思うけれど、
政治家のセンスも学者の世界も医学会も、何しろセンスなさすぎる。
センスを物事の微妙な機微を感じ取る能力とか感性と言ってしまえば、
曖昧な言葉で終わるけれど、どんな場面でもどんな世界でもとても大切なことだ。
医者の手術技術も、出身大学でも単に勉強ができたと言うことでもない、
センスが最終的に手術の能力に差をつける。
このセンスがはじめから無かったのか、無くしてしまったのか…、
学者も企業も社会人としての大人も育っていない原因が、きっとここにある。

各ノーベル賞が絶対だと思うほど世間知らずではないけれど、
日本の多くのノーベル賞受賞者は海外に育てられたことも事実で、
彼らがアメリカ国籍を取得していても、
日本人だと言って喜んでいるのって、なんだか情けないし。
子供文化が中年の男女までも席巻し、金食い虫の御用学者が蔓延るだけで、
政治や企業は未来投資の研究・人材・イノベーションも支えられず、
人の成熟に大切な、大人の文化を育てる環境すら提示できないのだから、
人材流出が問題になるのも頷ける。


孔子を尊敬してはいないけれど、
  吾、十有五にして学に志す、
  三十にして立つ、
  四十にして惑わず、・・・

せめて、三十にして立つとして、
若者の定義を三十未満にすれば、
日本人も大人の仲間入りができるかな…



▲田舎から都会に出てきたばかりの頃、私は地味な十八歳だった。


地味な田舎者だったけど、田舎を出るとき母の教えに、私は大人を意識した。
一つ目は
「嘘はつかないほうがよいものです。
でもつかなければならない時は自分の責任で突き通しなさい」
なぜそのようなことを言ったのか分からないけれど、
強く記憶に残っている。

二つ目は
「人間として他者へのやさしさを忘れていけません。
そのために真に強くありなさい」
チャンドラーじゃないけれど、
女だって優しくなければ生きる資格がない。
強くなければ生きてはゆけないんだから。
違ったかな…?^^

そして最後の三つ目は
「東京はオオカミが多いから気をつけなさい」だった。
これは、かなり効いた!

えっ!
三つの教えの、どこに、大人の文化があるのかって、
それもそうだね^^













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