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命の募金

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海外で腎臓移植を受ける資金を「〇〇さんを救う会」が募っていた。 しかしそこには海外の臓器売買(ヤミ移植)組織が関わっているらしい。 心臓移植を必要とする子供のために募金活動が時々話題になるのだが、 この募金と「〇〇さんを救う会」のケースとでは明らかに違う。 冒頭の救う会は臓器売買を指摘され、ネットから姿を消した。 コロナ騒動が賑わしく注視する人も少なかっただろう。 けれどこの記事の裏には持てる者と持たざる者の命がある。 持てる者は闇の臓器を買うことにも厭いはない。 持たざる者は臓器を売り家族のため微々たるお金を得ても、 その多くが健康を害し人生の大半を台無しにする。 その日、録画の整理をしていて見つけたのが 『オーダーメイド ベイビー』2017年フランスのドキュメント。 これも、持てる者と持たざる者の命の取り合いのドラマだ。 誰もが周知のことだけれど、精子と卵子のBANKは歴然とあって それはノーベル賞の受賞歴や高学歴の保証書付きで売買されている。 プラスして男か女かとか瞳はブルーがいいとか、 金髪がいいとか、肌は白い方がいいとか外見の要望が増えるから オーダーメイドを可能にする遺伝子操作の研究も進む。 今じゃクリスパ(CRISPR)というハサミのようなもので ミトコンドリアのDNAの組み換えがされており、 未来に起こるかもしれない障害を取り除き 健全なDNAに組み換えをする日常を目指している。 すれば、生命体の寿命は120年説を超え、 未来永劫、病気や障害を消し去ることも可能になるようだ。 「死なないのか死ねないのか?」 そんな贅沢(?)を悩む時代が来るかもしれない。 「道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道徳は寝言である」 と言ってもみても、人間の欲望は尽きることなどないようだ。 例えば、脳死が人の死とした死体ドナーからの移植なら正道なのか… 健常な生体ドナーから臓器を摘出する移植は正道ではないのか… そんな臓器移植論争に象徴されるのだけど、 生と死の境界をずらしたのは生物学的判断なのか、医学的判断なのか、 倫理的判断なのか、何れにせよその隙間に臓器ビジネスが生まれたのだし、 臓器のバイヤーは持てる者の欲望の影に行脚するのだ。 子が親へ親が子へ臓器提供をする生体ドナーの臓器摘出の底辺にも、 臓器バイヤーによる子供の失踪事件が絶えない現実が見え隠れする。 私たちの道

珈琲のお湯が沸かない

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  待ち遠しいことがあると、 チクタクと秒針の音を聞いて過ごしたものだ。 今じゃ我が家で時を刻むのはこの卵だけ。 ただこの卵はDIYの卵でひよこが生まれてこないし、 そもそも電池切れだ^^ 今じゃ時を刻むという言葉が不似合いなデジタルな時間が流れる。 時は刻むものじゃなくなったのだろう。 だからお湯を沸かすほどの時間はビュンと風が吹いて過ぎる。 そうしてお湯が沸く時間は吹き溜まりに積みあがる。 人生もビュンと飛んで過ぎて積みあがる^^ 君が居なくなって頑張った自分にご褒美だなどと、 そんな言葉で締めくくる可愛いい時間を生きた記憶はない。 その多くが独りよがりで、 キラキラ飾り立て迫ってきた時間なんて どうでもよいことばかりだったと言うか、 そんなことがほとんどで… 私は殺風景なデジタル珈琲を飲み続けた。 河津に小さな土地を買って、 テントも買って、寝袋も買って、 カンデラを灯してカリカリ豆を挽く間に 君が拾い集めた杉の葉がパチパチ音を立て薪に火がついて、 お湯が沸く…はずだ。 このお湯が沸く時間は少しかかる。 河津のキャンプに時間はチクチクと時を刻んで 今でもシュンシュンとお湯が沸く時間、珈琲を待つ… なのに待ってもなかなかお湯が沸かない。 夢の中じゃお湯だって沸きはしないんだから、 珈琲も入らないまま、待ち疲れて朝だ^^

かあさんて凄いってね

温かくなってくると、冬眠していた動物も目覚めるようだ。 私の町も、熊の出没の時期を迎え、彼らは迷惑扱いされる。 そう、わたしの県じゃ熊もだけど鹿も凄いのだ。 愚かな観光客の餌付けの問題もあるし、 それでも、農作物や人的被害が出れば、 棲息範囲を侵略したのは人間だろう…と言えど、仕方ないのかな…。 「野生生物は適正な生息数に間引きすることが正当だ」と言う理屈が通る。 このごろは、ただ殺傷するのは忍びないということでジビエ料理が始まった。 でもね、 欧米での狩猟をスポーツとして楽しむ文化は全く論外だけど、 たぶん、私の町で流行り始めたジビエ料理の命への償いは、 アイヌやマタギの文化にあった敬いの心 「山神様から授かりもの」には及ばないだろうな。    色々教かんがえた。 アメリカにしては粋なはからいだって言うのは失礼かもだが、 この動画は数日前放映された熊の親子(米国)。 子供がよたよた道路を渡るし、かあさん熊はあたふただ。 ジェンダー指数とか女性地位向上とか言って、 色々ランク付けや順位付けをして公表するやりかたって 民主主義なのかもしれないけど、私は好みじゃない。 もっと自由でいいし、何だか疲れるし、多様な価値があっていいのだ。 人間社会にだって動画のように単純な、熊さん母子の姿もあったよねって。 ここにジェンダー指数なんかないし。 だいち、ダボス会議のメンバーに庶民性なんてあるわけないし。 何でも欧米的価値で判断するのは私の好みじゃないし。 報道のいい加減さに惑わされる大衆も問題だけど、 わたし程度の人間にメディア・リテラシーを求めるのも簡単じゃないのだからね。 マイファーストの経済市場主義指導者が人権派の仮面を被っているのにごまかされるし、 ダボス会議のメンバーに金と権力で女を扱っていた人の影もチラつくし、 そもそもそんな彼らの価値観でジェンダー指数なんて専ら可笑しいのだ。 女が家庭の主婦であってもいい。 色々なことがあって、子供を育てるってことが とても片手間で出来ないエネルギーを必要とする家庭だってある。 政界に企業重役に何人女がいるとかいないとか…、 女性の地位向上の問題はそんなことじゃない気がしてならない。 まず大事なこと、互いに尊敬し合える男女であることだと思うのだけど… やりたい人、才能がある人がその役に着けばいい。 男女の比を同じにするという法律改

月明りで本を読む

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目が覚める、そんなことが数度あった。 月はかなり明るくて満月は0.2lxぐらいかな、 星明りはいろいろで0.001lx…くらい? きっとね^^ 月も周りが暗いと、0.2lxであってもとても明るくみえるものだ。 もう少しだけ眠りたい、そう思ったのに目が覚めた。 昔の人が窓の月で文を読んだかの真実は知らないけれど、 人間の適応力ってすごいものかも知れないと思った。 人間の目の順応範囲は月明りから晴天の太陽まで、 その刺激域は感覚機能によって幅にも差がある。 アフリカやアマゾンの奥地で暮らす土着の民は 町ン中で暮らす私達より視力も聴力も良いらしい。 それって、なんだかすごいと思う。 素潜で水深60メートルのところに10分以上潜り続ける漂海民族も存在する。 自分たちは世界の中心じゃないという文化に生きる民族もいる。 わたしは世界の中心だと思っている人ばかりの世の中で、 なんて謙虚な人たちなのだろうってね、感動ものでしょ。 わたし達は自分が世界の中心だと言う文化に生きているから、 右とか左、前と後ろと言う自分を中心にした語彙を使う。 つまり、右とか左とか前や後は、この私が中心というの文化に生まれた語彙だ。 何もない広い草原のど真ん中で生きる知恵は、 自然の秩序に基準を置くことが大切だ。 『右に曲がってとか左斜めに行ってください』は通じやしない。 『ここを北へいって、大きな木のその先を北北西に…』 と方位で会話することになる。 つまり自然の秩序に身を置くこと、 そこにふさわしい言葉で彼らの社会・文化が構築されるのだ。 その社会への適応力で彼らの感覚は磨かれ、 磁覚(方位)を感じ取ることが出来るようになったらしい。 そこで彼らの価値観も育つのだろうな。 だから彼らは自然に生かされていることを 本当の意味で知っているのかも知れないってね、そう思った。 ところで、 彼らが持つ地磁気を感じる『磁覚』は、 渡り鳥やサケやミツバチなど多くの動物が持っているものだ。 実は、人間も昔は持っていたのではないかと言われている。 けれど人類の慈覚は文明の発達の中で、 必要がなくなり退化したのだろうってね。 でも、人体は磁気を感じ取る働きを左右する、 ミネラルやタンパクをたくさん持っているということから、 利用できなくても感じ取る力は残っているのではないか、という説もある。 なんだか自然と本当の意味で

人間社会はそんなものだ

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今始まった事じゃないから、驚きもない。 ただ中国発のコロナが原因で日本人へのヘイトは考えさせられた。 そうか、アジア人はみんな一緒なんだってことね^^ そもそも、白人優位の思想が根底にあるからなんだろうな、 否、黒人も、イエローにヘイトするんだから優位意識は白人だけじゃなさそうだ。 多分ね、黒人は白人に下等人種扱いされていることの鬱憤晴らしの対象として、 そこにアジア人がいたと言うことなのだろうな。  アジア人同士(日本と韓国)の感情のもつれは、 政治的思惑も絡んでいる気がするけど… どちらにしても、アジア人は一番下等人種だってことかも…、 なるなる! どうでもいいこと過ぎて、笑えて来る。 アフリカ人は黒人の子孫だとして、 アラブ系やスラブ系の人種はどうなんだろう。 ユダヤ系もある。 まあ、みんなで殺し合いをしない程度に互いをヘイトし合って、 我こそは偉大なりってね、 「マイファースト」で頑張ればいいんじゃないかと思う。 どんなに引っ繰り返ったって、人間社会はそんなものだ。 全ての人間が賢くなれるはずもないってことに加えて、 賢いからって、人間として優れてることともイコールしないし、 権力や資金力を持ってるからって知性とイコールしないし、 まあ、個人と言う人間自体が ある時は誰彼と憎んだり、案じてみたり、 ある時は人を馬鹿にしたり、愛おしく思ったり、 君の心の方向性も定まることなく、 フラフラ揺れっぱなしなのだから。

オリンピックは要らない

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「組織は腐敗するものだしね」 などじゃくくれやしない、IOCは可笑しな世界だ。 膨れに膨れ上がったIOCファミリーがいっぱいぶら下がっている。 お金と既得権が大好物の商業主義が屯する。 そろそろ、我々大衆も、賢くなってもいいんじゃないだろうか。 幻想から覚めてもいいころだと思う。 スポーツ精神だ、世界平和だ、自由だ平等だなんて 高らかに歌い上げ、大衆を巻き込むから始末に負えない。 IOC組織の中身は既にそんな精神など形だけの抜け殻、 お金お金の 商業主義に動くだけだからどうしようもない。 確かに森氏の軽率な言葉は、お笑い芸人ならまだしも、 上に立つリーダーとして失格だけれど、 彼の発言のどこが切り取られ、尾ひれがついて、 どのように訳され、各国でどのように報道されたかも知る必要がある。 こうした偏った報道の仕方は ニューヨークタイムズや日本の朝日新聞、毎日新聞など、左翼系報道に見られるものだ。 彼らも報道しなければならない視点が狂いすぎだ。 単純に正義(一側面だけの)の御旗に酔い、 相手を批判する、批判し合うだけじゃどうにもならないってことだ。 話はもどって、 IOCなどは、最初に掲げた崇高な精神など形だけになって、 精神にはそぐわない組織になっているのだ。 その腐敗した組織IOCを行脚する既得権者たちの問題もある。 後押しする資金源NBCの強かさは何なのだろう? 言いなりになるしかないIOCも、従うしかない 力も知恵もないJOCも、 もちろん足の引っ張り合いの日本の政治家たちも、 声高にご意見番になった一部のオリンピック選手も、 深く考えず行動するボランティア辞退者も、 そしてウィッケンハイザー氏、君の主張する正義を通すのだったら、 人権問題を抱える中国の冬季オリンピックをボイコットするべきだ。 「えっ、中国からは袖の下が届いてるから無理です」 と言う言葉が返ってきそうだね。 それに女性差別を問題にするなら、 パリ・オリンピックが主張していた イスラームのベール拒否問題の方が、 愚かな森氏などの言葉より大きいことも分かってるのだろうか。 あのベールの話はどうなったのだろうか? 国際女性権利同盟(サルトルの伴侶だったボーヴォワールが創設)が中心になって パリ大会ではイスラームのベールを被った女性アスリートの国を除外しろと、 国際オリンピック委員会に働きかけていたんだ

ステンレスの錆

 虹は二色だという文化があって、それを了解している国は、 その社会が基盤を置く言語に構築された実在を頼りに成立している。 わたしはゆっくり流れる時を歩いていた。 死ぬほど退屈なぐんじょ色の空にあくびを三つ四つして、 そしてだだっ広いだけのぐんじょ色の空の下、 そこにつながる海の向こうを夢に見た。 わたしはその先に何があるかなどわからないまま海を渡り、 そこの国では素足じゃなくて靴を履くのだとしった。 だから最初に白いソックスを買った。 そしてそれから赤い口紅を買った。 あれやこれいろいろ買って、そうして…、 一つひとつ退屈だった日を捨てた。 やがて何を買っても心が喜ばなくなったとき、 摩天楼に見上げた空はあまりにも小さいもので…。 海の向こうに夢があったかわからない。 ただ少しばかりの心残りは、 退屈な日々と一緒に捨てたぐんじょ色の空だった。 ステンレスの錆はまだ針の先ほどだと思いながら。