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真っ赤なバラ           

  勿体なくも大切な時間を使ってしまった。 でもね経験と知識をプラスして、裏切りにも強くなったし、 紛いもの(者)への対処にも賢くもなった。 ほんとうに色々学んだ。 「事実は小説より奇なり」 フムフム、なんだか異常で奇妙な人間社会の中でね。 バイロンの名言が大当たりだ。 話には羽が生えていて…(? 近頃疲れっぱなしのわたしだけど、 とてもぬくいお裾分けに心がほころんだ。 つい最近のこと、花屋の前を通過すると、 真っ赤なバラの花束を抱えた男の人が出て来た。 数十本は抱えていた…。 恋人へバラの花束をプレゼント(プロポーズ?)だね。 こんな田舎町には似合わないくらいのカッコよさだけど、 お相手の女性に幸せが届くのだ。なんて素敵なことだろう。 もちろんね、君の愛、もしかしたら寄り道もするだろうな…、 けれどね、ちょっと見たドキュメンタリーに思う。 これが大人の愛だってね。 「 ゴルバチョフ 老政治家の“遺言” 」BSドキュメンタリー ミハイル・ゴルバチョフ氏の最晩年を取材したドキュメンタリー。 モスクワ郊外で静かに暮らした旧ソ連最後の最高指導者が、 ソ連崩壊後の人生とプーチンのロシアを語っていた。 *世界最大のドキュメンタリー映画祭IDFAで最優秀監督賞。 *原題:Gorbacherv.Heaven(ラトビア/チェコ 2020年) ドキュメンタリーの最後に、90歳を過ぎた彼が、 共に生きた妻を恋しく語る心は切なかった。 時が過ぎ、バラの花を抱え花屋から出て来た君が、 長年連れ添った妻に再びバラの花をプレゼントできたら…。 それは、とても素敵なことに違いない。

文化的な死 

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高齢社会の次に訪れると話題の多死社会。 2039年日本は、死者数が167万人に達するらしい。 そんな中、日本の死の定義も、 先進国並みに大きく変わってきている気がする。 日本の死の定義を調べると、 「生物的な死」「法的な死」「文化的な 死」の 3つの視点があるようだ。 生物的というのは、生活機能が停止した状態を指す。 つまり人間の死は、従来、 「心臓が 停止・呼吸が停止・瞳孔が開く」 といった3っの兆候で判定される。 では法的に死んだとされる瞬間は…、となると、 必ずしも、生物的な死と同じではないと言う事になる。 しかも日本では、 1997 年の臓器移植法成立を機に、 法的な死にダブルスタンダードが生じているらしい。 脳死での臓器提供を前提とする場合には 「脳死が死」。 提供しない場合には「心臓停止 が死」となる。 つまり、 法的に死んだと判定される肉体的状況は 人によって異なるし、 臓器提供を前提とせず、心臓停止が死であっても、 法的な死と生物的な死が一致し ないこともある。 たとえば、癌などで闘病の甲斐なく心肺停止となっても、 遺族や本 人が蘇生措置を望めば、 まだ死んでいないのだ。 もちろん蘇生を試みない場合に はこの時点で死んだと判定される。 医療技術の発達で「法的な死の瞬間」を 選択で きる時代になったということだろうか…? そして文化的な死は、それぞれの国の文化に根差している。 個人的なことだけれど母が死んだ時、 姉の家族は海外で暮らしていた。 母の訃報を聞く姉は 子供みたいに泣きじゃくる。 さりとて今の今、チケットが取れる確率は低い。 ましてや海の向こうである。 「母に一目会いたい」と懇願する姉の想いは、 荼毘に臥す前まで母は生きているとの死生観を持っていた。 喪主は荼毘に臥すのを一日延期して、姉の願いを叶えた。 そう言えば日本では火葬するまで、 遺体を生きてい るかのように扱う風習がある。 少なくとも火葬して遺骨になるまで…。 否、もっとかな、母の遺骨をペンダントにした妹は、 「いつも一緒にいる気がするの」と目を赤くした。 なるほど、 彼女たちにすれば 母は死んじゃいないのだ…。 死んでも、静かに休んでいられそうにないね。母さん。

北欧の国々の実体は中身がなさすぎる

「男女平等な国、ス ウェーデンに学ぶ」だって。 アイスランドは…だとか、スイスは…だとか。 比べて日本は女性の地位が低いだって。 ちゃんと仕事すりゃさ日本の女だって かなりの高収入と世間的地位も手に出来ている。 国際評価って、何だかちょっとじゃなくかなり変だ。 北欧の女性首相達が政治を動かしているようにはとても思えないしね。 メルケルもそうだ。 以前(2020:10:10)の記事をピックアップ ニュースが流れた。  ドイツで9日新型コロナウイルスによる1日当たりの死者数が  過去最多の590人となり、  メルケル首相が珍しく感情をあらわにして危機感を訴えました 日本の記事の扱いは英雄並みのお母さんとして、 彼女の演説が「心に響きました」だなんて、 感動のまなざしを向ける言葉が幾つか躍ったものだ。 彼ら能力のない評論家が言うには、「手を上下させて感情を込める」 「国の指導者はこのようでなければならない」 「・・・ねばならない」だなんて、 こんなことが「ねばならない」ことなのだろうか? 「そうじゃないと国民はついてこない」 確かにそうだね。愚かな国民が歩んだ歴史が物語っている。 内容は別にしても、ドイツの指導者ヒトラーの演説もそうだし、 アメリカの指導者トランプ氏もそうだ。 私には、メルケル女史の 手を上下させて感情を込め、熱く語る演説の雰囲気に ナチスドイツの映画に登場した人物、 アドルフ・ヒトラーの姿が強くダブった。 激情型の演説は人を動かすようだ。 運悪く、経済優先が顕著な象徴として コロナ禍で露呈した移民の非道な扱いに 収容所が重なってしまったからかな。。。 情熱的演説が報道され、あちこちの国の大衆を熱狂させる、 何となくナチスドイツのヒトラーを想起してしまった。 日本では、地味な総理に対して、 「メルケルさんのように感情を表に出して訴えろ」 とアドバイスをする人が続出だ。 世界は昔からおかしいままだけど、 日本の評論家や有識者を自称する人たちの、奇妙な価値観。 彼女は今のロシアや中国を 悪い意味で抬頭させただけだ。 経済志向しかない政治家や経済人達の思うがままだった。 七、八年前だった。 「ダウン症のない世界 ? 」イギリスのドキュメントが放映された。 ダウン症の息子を持つ俳優で脚本家の女性が出生前診断の結果を受け、 中絶を選ぶ女性が多い現実に、 医師

ちょっと惹かれる       

  『さりながら』 流水のふたたび帰り来ず、落花がふたたび梢にもどらず。 思いきることのできない恩愛の絆。

上野駅            

ブログ整理中。 東北方面からやってくる集団就職列車が発着する18番ホーム。 専用ホームは既に廃止されたが、当時上野は東北の玄関口だった。 ドキュメントのナレーションが耳に付く。 私の学生時代、上野は既に廃れていた。 それでも、上野が「巡礼の地」さながらだったことがある。 一通りの文化施設が集積していることも要因の一つだが、 動物園にパンダが来た時と、美術館にモナ・リザが来た時だ。 まさに人の熱気が蛇行して行列が蛇のように連なった。 DJポリスではないが、「立ち止まらないでください」 と叫ぶ警備員の大出動だった。 パンダ鑑賞(?)なら許せても、行列を組み、 一時停止も許されない絵画鑑賞など有り得ないと、呆れた記憶がある。 それにしても、上野が寂れたのはいつ頃だったのだろう。 私が東京で暮らしていたころ既に 交通網の中心は東京駅であったことは確かだ。 しかし、上野美術館で鑑賞したモナ・リザが本物か偽物かは分からないが、 上野の駅は往年の風格を残していたように思う。 大きなコンコースが口を開けた、呑み込まれる記憶の中に薄暗い構内が蘇える。 ―ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにいく― 「ねえ、あなた訛ってない」 東北を一歩も出ていないという女性に言われたことがある。 「ちょっと待って。その言葉、そのまま貴女にお返しするわ」 と言い返したものの、思い出したことがある。 先に上京していた兄の先輩に ディナーとやらをご馳走預かった時のこだ。 打ち解け始め宴もたけなわにの話の途中、兄が付け足したのが 「田舎の山猿ですから、何を言っているかわからないでしょ。申し訳ない」 これこそ「ちょっと待て。申し訳ないってどういうこと」だ。 第一、こんな可愛い山猿めったにお目に掛れるものじゃないんだから。 それより、そもそも方言で喋ったからって、どうして謝らなきゃならないの。 言葉に出さなかったものの、ちっぽけなプライドは怒り心頭に発したのだ。 とは言え、東京で学生時代を終えると、 そのまま舞台の世界へ片足を突っ込んだものだから、 ちっぽけなプライドも、やや矛先を変えることになった。 その日は舞台現場の打ち合わせだった。 「共通語で話してくれない!その訛り、他の女優さんに悪い影響与えるんだから」 と、江戸っ子を自称する女からきつく叱責されたのだ。 そりゃ、舞台俳優はいろいろな方言を

本棚で眠る可愛い女たち

本棚で眠る可愛い女たち SDGsで永遠に眠る 私の机の上に、しばしば彼のおすすめの本が置かれた。 「面白そうね」と言いつつ、パラパラ指先だけが活字を追う。 そうして数十冊が本棚の片隅に追いやられたまま眠る。 そうして『三年ねたろう』どころではなく随分長い年月が過ぎた。 数日前だった、偶然、歌が刻まれた碑が目に入り、思い出したのが、 眠る本の一冊、もろさわようこ著「おんなの歴史」だった。 ― 碑に刻まれていた歌 ― 萬葉集 巻十三 旅あきうど (旅商人)の妻 つぎねふ 山城路(やましろぢ)を   他夫(ひとせ)の 馬より行くに  己夫(おのせ)の 歩(かち)より行けば  見るごとに ねのみし泣かゆ  そこ思ふに 心し痛し  たらちねの 母が形見と  吾(あ)が持たるまそみ鏡に  あきつひれ負(お)ひ並め持ち手  馬替えわが夫(せ)  夫の応(こた)へてよめる 馬買はば 妹(いも)かちならむ  よしゑやし  石(いわ)は履(ふ)むとも我(あ)は二人行かむ    難儀な山城道を他人の夫は馬でゆくのに、   私の夫は歩いてゆくので、   どんなにつらいことだろうと思えば胸が痛く   思わず泣けてしまいます。   ここに母の形見の鏡と肩掛けの布があります。   どうぞこれを馬と替えてください。   切ない思いの妻の歌に反して夫は   馬と替えてしまったらお前が困るだろう、   困難な道でもいいではないか、   私はお前と一緒に歩くことにするよ。 もろさわは、万葉相聞歌にある「馬替え わが夫(背)」と歌う妻と かの有名な『一豊の妻』、戦国乱世に「馬買い給え」と持参金を用立てた妻を比較して 二人の女の違いを「馬替え」という動機の相違と、 それに対する夫の態度にあるとしていた。 万葉の女は、前後のみさかいのない、ただひたすらな夫への愛の一念であるとし、 一豊の妻は、功利を見極めたまことに智恵深い行為で 当時の立身出世に必要な、みごとな「内助の功」であると評価しながらも、 一豊の妻の行為が愛の深さへの評価ではなく、 「内助の功」であることを、いささかさみしく思うというのだ。 比べて万葉の女とその夫の人間性豊かなやり取りは、功利とは無縁であるけれど いたわり合う愛情の故郷ではないだろうかと、女心を吐露している。 今の時代、万葉の女は虫眼鏡で探してもまず見つからないだろうし、 歴史で名

待つ時間

携帯のテロップにニュースが流れた。 『大罪を犯した死刑囚3人が、 絞首刑による死刑執行は 憲法や国際人権規約に違反するとして、 国に対し刑の執行の差し止めや、 死刑が執行される日を待ち続けることの 苦痛に対する慰謝料など求め訴えを起こした』 昭和時代、死刑の告知は数日前だった。 この数日を待つ死刑囚の精神状態は容易く想像がつくものではない。 死刑執行に立ち会ったという刑務官が 「私が担当した死刑囚は本当に落ち着いていました。 こういう言い方も変ですが、とても立派な態度だったと思います」 とコメントをしていた。 今は、死刑執行を告げられた死刑囚の自殺があったことで、 当日の朝に死刑執行の告知がされているようだ。 どちらにしても執行の日を待つという心理状態の重さを、 容易く想像出来やしない。 以前、些細な犯罪で刑務所暮しを始めた受刑者にしても、 出所の許可が下りる日を 楽しみに待つ者だけではないのではと思ったことがある。 仏蘭西のTV局が日本の刑務所をレポしたドキュメンタリーを見た時だった。 アカデミー賞で日本の『万引き家族』がノミネートされていた頃だ。 老婆の後ろ姿がゆらゆら揺らいで残像がひび割れをおこす。 あれから数年の時が過ぎたが私の脳裏には 今だ老婆の残像がゆらゆら揺らいだままだ。 少し古いデータだが、 高齢受刑者の70歳以上の第1位窃盗が半数以上を占め、 第2位の覚せい剤取締法違反10%弱を大きく上回っているらしい。 しかも窃盗の中身は万引がほとんどのようだ。 しかも白書によれば、65歳以上の万引検挙者数は 未成年者の3~4倍に増えているらしい。 しかし万引きに至る経緯はかなり異なるはずだ。 そこに刑務所の施設の在り方や、 行政側の緒問題があるのではないかと思わずにはいられない。 彼らの待つ時間は軽減されるだろうか? 受刑者たち自身、社会から疎まれている事を充分わかっている。 例え彼らが認知症であっても。