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ポーランドとホロコースト

ポーランド上院が ナチス・ドイツによるユダヤ人などの大虐殺(ホロコースト)について ポーランドが加担していたと批判することを違法にする法案を可決した。 この法案は、ナチス・ドイツがポーランド領内に作った強制収容所を 「ポーランドの…」と呼ぶことも禁止している。 違反行為には罰金刑もしくは最長3年の禁錮刑が科せられる事になった。 どちらにも譲れない真実(歴史認識の違い)があったとしても そこに生じる憎しみの連鎖は、なんと悲しいものかと思う。

そんなところでふて寝かよ!

イメージ
私達の頭の中に描かれている空間は、既に立体…。 人間の認知は再構築されて意識される。 遠くに楕円に見えているテーブルを円テーブルと理解していても、 頭の中では楕円に認知されている。 平面的情報が入力されても、人間は立体空間を認知する。 子供の頃のほんの短い時期を覗いて、 それは大人の視界認知で不通に処理される。 これを視覚の『恒常性』と言う。 イメージは再構築され認識されることで、 その人の視覚の恒常性が邪魔(?)、 もとい、邪魔じゃなく働いてくれているから^^ 私たちは日常の活動を維持できるということになる。 つまり恒常性は人間に与えられたというか、 多くの生物が獲得した、生きる術だ。 本来はさまざまな環境の変化に対応して、 生存を維持するために備わった能力らしく、 生態的には 主に神経やホルモンによって行われたりするもののようだ。 けれど アートの世界に視覚の恒常性に挑戦したのが ピカソやブラックたちじゃないかって、そう思う。 そんな恒常性は視覚の世界(アート界)だけじゃなく、 人間の生き方にもあると、このごろ思っていて、 例えば、 「それが常識です」という狭い世界のイロハとか、 「これが真実です」とする自分本位の知識とか。 (あなたが無知なんだって言わないでね^^) 「専門家ですから」という確信の正義とか。 「やれることは全てしました」 「あなたのことを、わたしはこんなに心配しています」 と自分で納得する(?) 納得じゃないかな^^、 大衆を錯乱させる絜矩の道みたいなもの…? 近頃、狭い社会の知識の恒常性(?)とも擦れ違うことが多くなったし。 それらは多分、生きる賢さに違いないのだろうけれど… そんな多種多様な恒常性に、なぜだかこころが疲れ気味の人も多いだろうな。 わたしが解さないだけのことかもと、振り返ってみてもね。 今じゃ、多種多様な恒常性にこころも折れ折れだ。 だからと言って、そんなところでふて寝かよ!

一日のはじめ

ソーシャルネットで政治が動く時代 一日の初めは古代バビロニアやエジプトでは日の出。 アラビア、トルコ、ユダヤでは日没が一日の初めだった。 (太陽暦と太陰暦の違いkana) 前2世紀ごろエジプトの天文学者プトレマイオスが 正午から正午を均等に24分割するまで 昼と夜の長さは日々異なり、別々に12等分していた。 この「12」という数値の神秘。 「12」はシュメルの1年を12ヶ月としたところに起源があるらしい。 つまり、1年がだいたい12朔望月からきていて 古代の人々の興味深い数値だったようだ。 1年を360日としたバビロニアの時代 月の満ち欠けが約30日(正確には29.5306…日)であり 12ヶ月で360日を1年として、月が一周することになる。 そして一日は昼と夜でそれぞれ12分割していたけれど、 12×2=24として一日を24時間にする考えにいたっても不思議じゃない。 そして現在使用されている時間の60進法 (1時間=60分)という考につながった。 *でも、一年が360日だと5日程足らないだけど、  このズレのお話は長くなるからここでは省略して(汗   要するに「12」はとても扱いやすい数字。 12は10よりも約数が多く、10が持たない利点を持っているということ。 つまり割り切れる約数の多い数字なのだ。 だから12進法が使用されていったらしい。 そう言えば、 1年を3ヶ月×4分割(春夏秋冬)にもつながる^^ あ~!今宵の、あなたと大切な人とのデート、 それを可能にしてくれていたのは そんな古代の星月夜に生まれたなんて なんだか、、、悠久のドラマだ…❤~ なのだけど!!! 空を見上げてきめたグリニッジ標準時も今じゃ遠く、 1967年から「協定世界時」とやらを使っていてる今日。 協定世界時はセシウム原子時計によって刻まれる国際原子時を基に 国際的に管理されているものらしい。 誤差は3000万年に1秒程度だと言うのだから 1年を360日で暮らしていた古代の5日の誤差(?)に比べたら遥かに凄~い! 凄いのだけど…、 あのドラマチックなロマンはどこへやら。 5日の誤差を知って暮らしていたエジプトの民は ナイルの恵みのサイクルを享受して、 何の問題もなく暮らしを営

彼らはどこにいるのか(Ubi sunt?)

そうだね誰にもいろいろあるけれど… 今も昔も若い恋が描くストーリーは無謀なことがあるものね。 今じゃなくても、まだまだ時間はいっぱいあるし、 慌てなくても君はお母さんに似て美人なのだから、 そう思ったのだけど…^^ 時は、瞬きに過ぎてゆくものだから。 今の君にしかできない事って確かにある。 そう、きっと「命短し恋せよ乙女」だ。 主人公とブランコの揺れる光景は幾度か繰り返され、 そしていつか、ブランコだけが揺れて残る。 そう、君がこれっきりしかないような恋をして、 沢山の時が過ぎ、沢山の厳しい冬を乗り越え いつか、繰り返される人生を振り返るだろう。 そして過ぎた日を重ねる時が来る。 君は 「彼らはどこにいるのか(Ubi sunt?)」と尋ねるだろう。 けれど、なつかしい姿はそこに無いかもしれない。 でもその寂しさは、 きっと、宝物になるのだってね、 そう、思う。

鼎の軽重(かなえのけいちょう)

今日闊歩する価値観の方たちからは 「何言ってるの」と一笑されてしまいそうだけれど^^ そう言えば専門家たちは声を揃え 「帰宅したら、必ず手を洗いましょう。そうすれば感染しません」ってね。 なのに、患者一人一人に接した後の手洗いや除菌が 平時の調査で、十数%の履行しかされていなかったという医療現場の現実があったことを ちゃんと認識することも大切だと思うのだけれど…。 敵を見つけて、みんなで攻撃すると言うことじゃなく、 確かに心無い人の対応など、愚かなものがいっぱいだけど、 SNSも正義ぶったマスコミの情報や形だけの同情の言葉が 本当に大切なことを覆い隠してしまう気がしてならない。 医療従事者だけじゃなくて、 エッセンシャルワーカーにやっと目が向きだしたことにほっとしている。 なんだか、いろいろな事に「鼎の軽重」を問いたいよね。 「鼎の軽重を問う」は中国の故事だ。 中国も素晴らしい精神があったのだね、今はどこに消えちゃったのだろう。 人間社会も軽さの代表の政治家も官僚はもちろんだけど、わたしたちも、 いろいろな物も物事も、人として大事な心も、 全てが軽いものになって来たみたいな気がする… けど、 こんなに、いろいろなものが自由で軽くなったのに 誰も背負わなくなったものが放り出されている…。

強かさが違うんだから^^

某国にしてやられたような感じだne。 今世紀最大の感染症騒動を巻き起こして、 自国では秘密裏にある程度ストーリを書き終わったあと、 遅らせて情報を出した…、ということかな。 W🅗Oも忖度で動かされたのか、 某国と総長との疑惑は人間世界の常にあることだしね。 それでも国際社会は、問題山済みのW🅗Oであっても、 国際的役割は無視出来ないのだろう。 まあ、「総長と某国との疑惑なんてありえない」 なんて思ってる人などいないだろうし。 バックで何かが動いていることは確かだろうな…。 某国の強かさは、ちょっとばかり違うんだから。 自国が大変だからって、 他国と契約していたマSクや医療器材、防護服、消毒アルコール等々輸出を止めた。 他国が困る(日本も困ったはずだ)ことは計算していたはずよね。 そんなふうにして、自国のストーリーが描けた頃に、 W🅗Oと一緒にオープンにした情報で、世界がバタバタしはじめた。 きっと某国の筋書き通りだったに違いない。 某国の強かさに驚くのは、それに便乗して(ではなくて計算通りかな)、 医師団派遣したり(露西亜は自国が大変なのに、意地っ張りだよね) 安上りの思いやり「マSUク外交」なんかしてくれちゃうし。 終息が見えてきた以後、EUの引きはがしと●●ロードを辿って 自国の支配傘下へと誘導しやすい弱小国へ、その食指を伸ばすんだから。 思いだせば、『地球を二分して支配しましょう」と、 臆面なく米国に提案した某国を思い出すと、怖いよね。 だけどこのままじゃ、米国は見捨てられ、某国は一国支配の道を暴走しそうだ。 ズルが付くほど賢いと言うか、 米国のワンマンおぼっちゃまとは、強かさがちがうかも。 今や経済の立て直しに一役買う「マSク外交」を展開していること。 分かっているのか分かっていてなのか、自由主義諸国が 某国からのマSクや医療器材、防護服、消毒アルコール、検査キット等々を 奪い合って値を吊り上げ、輸入するものだから、某国経済はホクホクだってこと。 米国じゃ、看護師の団体がホワイトHの前でデモった。 「政府はわたしたちの為に医療防護服やマSクを用意しろ」ってね。 某国はますます値が吊り上がるからホクホクだろうね。 検査キットの品質も悪かったりするのに…。 日本もやっと手

BCとAC(コロナ騒動の前と後)

旅行業界のホテルや旅館でもないのに、 病院のベッドがどれくらい埋まっているかが問われてきた 日本の医療現状の問題点が露呈かな? (イタリアはその最たるものだったのだろう) 長期入院だと病院を追い出されるい状況を作った政府と医療業界。 何でもかんでも病院に走り、救急車出動を依頼する国民性。 なんとなく医療事業の効率化が優先になっていたことや、 豊さのおまけのように、のほほん的な国民が多くなったことが 医療体制の脆弱やトイレットペーパー騒動の大きな要因になっている気がする。 豊かな社会でペーパー騒動は起きている気がしてならない。     トイレットペーパー のこと    以外に紙を使用しない文化があるってこと、    ウィキペディアやTOTOのホームページや    色々なwebサイトに情報があります。    興味があれば検索してね。。 もちろんね、自由民主主義だから、「国民皆保険」があり得ないとする 「医療も自己責任」という米国の考え方は、偏り過ぎだと思う。 なぜって、贅沢品やサービスを購入するのじゃなくて、命の世界の話なのだもの。 道徳的・精神的・社会学的・哲学的な世界をただ単純に、 人間の欲望が原動力になる経済の自由主義のレベルで語るのは考えものだ。 アダム・スミスの「見えざる手」などは、人間の本性を知らなかったから言えた事。 人間の欲望のブラックホールは甘くないと言うことだね。 経済は人間の欲望だけとはいわないけれど、 欲望をエネルギーにして回っているのだから。 コロナ騒動で 自由民主主義の欧米諸国では、外出禁止令に罰則が与えられている。 (米国ではその施策に、私たちは自由だと言ってデモが起き始めている) そんな世界的現状に、日本もそうするべきだという声もあることに、何となく思う。 どちらがいいのか私には分からないけれど、 そもそも自由民主主義は知性を持ち成熟した国民でなければ成立しない。 詰るところ、自由民主主義を誇るだけの世界と同じように 日本人の成熟度などじゃ、 やっぱり厳しい罰則を設けなくちゃだめだと言が聞こえる…^^ もちろん日本は、「日本型社会民主主義」と言われているけれど、 ゴールデンウイーク後の数週間後のデータに、一つの答えがでるのかな。 日本の「日本型社会民主