投稿

日本は中国のお陰で存在している 

国境がなくなる日  ☜ 産経新聞22/05/06 突然「日本国は本日より中国の傘下に入りました」 と政府発表があっても、 今更驚きはしない。 さもありなんと思うだけかな。 今年、新年早々エアコンを買い替えた。 一台は東芝にしたのだけれど、調子が悪い。 早々半年もたたずに業者を呼んで修理となった。 「守秘義務がありますから」とだけで、 修理担当者はそれ以上語ることはなかった。 東芝が中国に買収されてからと言うもの色々あるようだった。 「せめて5年の保証をつけられることをお勧めします」とのことだ。 日本の往年の大企業が、根こそぎ中国にM&Aなのだ。 まして、 太陽光発電は日本の十八番だったのに、 コピー商品の単純な価格破壊で中国に取られ、 次は大規模な洋上風力発電を中国お任せの話が進んでいるようだ。 *冒頭の「国境がなくなる日」によろしければアクセス。 日本の安保上重要な土地も海外資本( 中国)に買われているのに、 中国の土地は70年間の使用権も厳しいし、 購入など 手が出せないようになっている。 ただでさえ無防備な日本では、 土地規制法案の成立に中国寄りの公明党が 足枷になっているし… 日本政府は何を考えているんだろう。 オーナー企業が少なくなって、 雇われCEO じゃ、良くも悪くも企業ポリシーに期待などできない。 目先の事業安泰と自己保身がその発展を阻むのはかなり見てきた。 鶴見俊輔氏の言うところの樽の中で育った人材や、 彼らに二重の樽の中で育てられた人材では どうすることもできやしないのだろうな。 これじゃあ中国にいいようにされるはずだよね。 わたし自身「非核三原則」をちゃんと学んでいないし、 「憲法9条」についてもだ。 いかほどの大衆が理解しているのだろうかを考えると、 お寒い。 国策として、少し閉鎖性が問題視されても、 ちゃんと議論をするために、国民も学ばなければいけないのだと思う。 頭っから駄目という否定を旗印にするのではなく、 日本を守るための政策を議論する必要がある。

想像してみて 

イメージ
偶然アクセスしたのですが、 ご本人はブログお休みのようでしたので、 御断りもせずリンクさせていただきました。 何かあればご連絡ください。 この作品、とても素人の作品には思えませんでした。 よろしければ。    ☟ 『 子どもには落とさないで 』 想像力ってとても大切で、 全ての人の想像力が、 今の数パーセントでもUPしたら… もうすこし、世界の幸せが膨らむかも… こちらも、よろしければ。    ☟ 『 ゾウは大切な人を見捨てない。 例えそれが人間であっても、まだ小さな子供であっても 』 プーチン君はゾウはもちろんのこと、人間にもなれない。 現代人に多い統合失調症であることは間違いないだろうな。 どのように見ても、歩く様子も変だし、 太っているのではなく、 むくんだ顔が尋常ではない。 入院の必要があるのだろう。 取り巻き達は、哀れな彼を守りたいのか、 可哀そうな彼に、最後のご褒美を与えたいのか。 それとも、いい 思いをさせてもらった恩返しだろうか? 理由に人のあわれを感じても、 彼一人の野望のために、 あまりに幼い無辜の命を犠牲にするのは許せない。

星に生まれて 

イメージ
ウクライナ侵攻の前、コロナ騒動の前のまえの そのずっとむかしのこと。 「私たち人間は星の子供なのです」といっていたのに… 科学的に説明すると(そんな知識本当はないけれど)、 物質の根源となる粒子を元素、 現在約120程度の元素が知られていて、 星たちも、もちろん地球や人間の体も、 諸々すべてがその元素からで出来ているってことだ。 宇宙が誕生したとき(ビックバーン)元素は水素しかなくて、  その水素があつまり原始星(恒星)が生まれた。 そして恒星の進化(融合と分裂の繰り返し)に伴って、 他の元素が作られていった…。 簡単に説明するとそう言うことだ。 つまり元素は、 衝突や爆発などを繰り返して他の元素に変化。 (昔、元素は普遍であると思われていたのだけど…)。 そして人間の体は4つの元素、 H:水素、C:炭素、N:窒素、O:酸素と、 そしてP:リンのわずか5つの元素からなっている。 つまり人間も含めて、身の回りのすべてのものが、 こうした恒星の進化の途中で生まれた、 夜空に輝く星屑を受け継いでいるっていうこと。 ミトコンドリア・イブも問題にならないほどずっとずっと昔のことだ。 だから、 「私たち人間は星の子供なのです」ってこと。 こうして悠久の時を辿れば、 みんな命が繋がっているというのに…、

友と敵    

イメージ
お世辞は友をつくるが、真実の言葉は敵をつくる スペインのことわざにこんなのがある。 いろんなことに、そろそろ慣れても良い頃だ。 しばしば遭遇する日常のプロパガンダがあって、 近頃、かなり疲れている。 どうしてこんなにズレていくのかな。

ゼロ     

イメージ
古来からゼロ(0)は不思議な世界だった。 ゼロの発見の痕跡は 60進法を使用していた古代バビロニアに見ることができる。 けれど実際の数としての発見はインド(紀元550年頃の天文学書) という説が有名だ。 インドの数字「0~9」を使った記数法はイスラム文化圏へ伝わり、 十字軍の頃、西ヨーロッパに伝わっていった。 算用数字をアラビア数字とも呼ぶのだけれど、生まれはインドと言うことだ。 「数」の概念は不思議で「個数」と異なる。 つまり、テーブルに1個のリンゴ、 それを取り除くとテーブルには何もなくなる。 無いものには意味がないので、個数として数えることはできない。 つまり個数に縛られない概念と言うこと。 しかし、足し算や掛け算をする時、ゼロが無いと不便だし… だから「数」のゼロは演算の対象としての意味をもつといえる。 (但し、ゼロの割り算は禁止されてる^^v)。 当時インドでは「0~9」の数字で全ての数を表していた。 しかしエジプト、ギリシャ、メソポタミア、マヤは、 数が大きくなれば記号を増やしていく手法がとられていた。 日本の漢数字でも同じことが言える。 つまり、一~九に加えて十、百、千、万、億、兆、京…となる。 数が大きくなればそれだけ多くの記号(日本は漢字)が必要になるということ。 けれどアラビア数字は「0~9」に10個の数字で全て足るのだから凄い。 アラビア数字による「位取り記数法」は、 演算を容易にさせてくれるというメリットを持っているのだ。 古代文明で計算は、算盤や算木、そろばんなどが用いられたけれど、 記録されるものに過ぎなかったようだ。 つまりゼロ(0)は何もなく空いているを示す記号でしかなかった。 つまり、ゼロは数じゃなくて何もないと捉えられていたと言うことだ。 ここに「数」と「個数」を同一視してしまうというトリックがあるといえる。 それは人間が言葉で考えてしまう点にある。 メソポタミアやマヤ文明において、ゼロ(0)の概念があって、 起算法を考え出していたものの、 演算にゼロを使用するまでにいたってなかったということなのね。 ところがインドではゼロ(0)を数としてみなし、加減乗除の対象にしたのだ。 数としてのゼロがみられるのが550年頃で、 それ以前は「・」の記号を使っていた。 しかし当時、彼らもゼロの割り算にはてこずったようだ^^ ゼロの概念を考えると

ポラリス            

北窓から空を見上げた。 ポラリスは天の北極に 位置し、 この星を中心にすべての星座が回転している。 少なくとも、現時点の地球からはそう見える。 数多の星たち全ての中心に君臨するみたいだけれど、   ポラリスが 北極星と呼ばれはじめたのは、たかが 2000 年ほど前のこと。 それ以前の人々が北極星としていたのはといえば、 同じこぐま座のβで、それ以前(古代)はりゅう座のα。 エジプトのピラミッドが北入り口を向けた北極星は りゅう座のαだ。   ポラリスの 後に、 北極星になるのはこと座のベガ。 何だか人間世界の争い事があほらしく見えてきた。 「ロシアが世界に存在しないとしたら、なぜ世界が必要…?」 プーチンの歴史観からくる強気な発言だ。  無知なわたしも、ロシアの文化だと思っていたものの多くが、 独立したウクライナに残されていることを知った。 それは国土的には広大なロシアだが、プーチンにすれば 「庇をかして母屋を取られる」的な思いが募るのかも知れない。 ゼレンスキーは指導力と国民を引き付ける魅力があるのだろう。 けれど、色々学んで行くと、 状況を見据えた思慮深さが不足して、 地雷を踏んだ気がしないでもない…。 それとも、満を持してだったのだろうか。 民族や宗教の争いごとは絶えることなく繰り返される。 大陸続きであると言う地政学的な混乱の中、 自分の国を造るという段階を、まだ終えていないようだ。 それにしても、私個人として、 エネルギー政策(脱炭素)の方針転換もそうだが、 世の中、事に欧米のヒステリックな行動には驚くことが多い。 ドーピングは問題だけれど、今回 の冬季オリンピックのボイコットも、 ロシアの曲を演奏するとかしないとか、指揮者の交代やボイコット。 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」的、大衆の短兵急な思考。 それに迎合する政治家や企業人、マスコミも納得いかない。 黒人問題が再燃したときのような、 『風と共に去りぬ』の上映を禁止を声高に叫んだり、 本を廃棄したり燃やしたりする行動は正直理解不能だ。 欧米の熱狂的ジェンダー問題もそうだ。 そもそも「女らしいね」って言っちゃいけないなんて、意味不明。 ウクライナの戦時下をリアルに見ていると、 女というものも、男というものも、性的マイノリティ―も存在する。 女だから…、男だから…、というのは問題があるとは思うが、 女らしい、

脱炭素             

オルバースのパラドックス。 あんなに星(恒星)があるのになぜ夜空はくらいのか? 夜が暗いのは、宇宙膨張によるからという説明はウェッソンが否定。 新説は、私たちが今見ている宇宙はまだはじまったばかりで、 完全に光り輝く時間を経ていないからだという。 つまり、光り輝くためには、距離や時間や星の密度が、 実際の宇宙の大きさ・年齢・密度より、 およそ10兆倍ものレベルになる必要があるらしい。 だから オルバースのパラドックスは、 そもそもその前提が成立しないことになる。 ということは、 ある長い時を経過して10兆倍ものレベルになる時が来たら、 暗い夜空は姿を消して、 まばゆいばかりの光に満たされた時代がやってくるということ? ということは、夜がなくなるってこと…? 夜が暗くなければ自然光発電も24時間活用が可能になるし… 何てことだろう、全世界の時間も共有できるから、 時差ボケなどはなくなるかもしれないし… そもそも脱炭素や二酸化炭素CO2など温室効果ガスの排出削減も、 サスティナブルだなんて騒ぐこともなくなるkana。 けれど、 夜がなくなって星月夜の楽しみがが阻害されることは気がかりだ。 人間の精神に異常をきたすことはないだろうかと、心配もある。 えっ!星が見られないのは物足りないけれど、 それ以上に憂えることがあるって…? 「眠れない夜のために”読書”… じゃなくて、”お酒が飲めなぁ~~~ぃ!」と誰かが叫んでいる^^ いいえ、ご自由に昼間からどうぞ…。 と言えど…、宇宙が光り輝くまで待てないし、、、 誰も待てないよね、地球も人類もそのものが待てないし… だったらCO 2 は石炭を100%とすれば石油が80%天然ガス60%だ。 化石燃料の二酸化炭素排出量を減らす日本の技術に期待…? EUのように頭から石炭・石油は駄目だとするのは 日本や貧しい諸国いじめに過ぎない。 欧米はいつも同じやり方で日本の頭を押さえてきた。 私としては原子力も必要だと思っているし、 バランスのよいエネルギー調達は、 資源のない日本の国策として必要だと思う。 自然エネルギーに全てを求めることは日本の環境条件に無理がある。 フランスもロシアへのエネルギー依存のしっぺ返しで原子力を見直すとしている。 太陽光発電は不安定だし、蓄電池を含め、家庭での設備維持メンテは大変だ。 電力ロスへの対策も考慮の必要があ