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千秋の思い    

入院して四日目、私の精神状態は爆発寸前だった。 入院がこんなに苦痛なものとは思わなくて、 「通常、約一か月の入院です」と言い渡された時は途方にくれた。 それでも強引に主治医を説き伏せ退院を要求。 「明々後日、出張から帰ってきます。検査の結果でOK出しましょう」 と言う言葉を何とか取り付けた。 主治医を待つ二日間が、途方もなく長く感じられたものだった。 感じられる時間とは体験された出来事の数ではなく、出来事を「体験した」と認識するために必要な認知的負荷が大きいほど長くなることが示された。このような認知的要因が感じられる時間の長さに及ぼす影響は、従来考えられていたよりも強いことがわかった(千葉大 人文科学研究院/オープンアクセスジャーナルの「i-Perception」に掲載)。 ふむふむ、そういう事だ。 つまり、楽しいときは短く、退屈なときは長く感じる時間の流れ。 人が感じる時間の長さの違いは脳の認知的負荷で変化すると言う事。 ああ、あと二日、あと二日我慢したら退院できる。 たったなのかもしれない、「一週間で退院をするなんて無謀よ」 お世話になった25歳の理学療法士の女性が言った。 私は、一日千秋の思いで、主治医の戻るのを待った。

なんて      

こっけいな 軒下くらし 七夕が過ぎるころ 頬をかすめてゆくすずかぜに秋の気配を感じたものだ。 グレゴリオ暦の8月の中旬から下旬を行ったり来たり、 迷走しながら秋の気配を連れてくる。 当たり前のように幾つかの不可避を受け入れた。 それが人生というもの。 わたしは物知り顔につぶやいた。 「あらゆるものごとは なにごともなかったように消えていくものだ」ってね。 それからは、 眠れない夜っていうやつ、 そんな夜が増えた。 だからね、 軒下を ちょっとばかし抜け出した。 抜け出してはみたものの … なんてこっけいな軒下暮らしだろう。

明日も雨  

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そう、ちっぽけな私の悩みと同じだ。 だからだね、人類の悩みは数千年のときを経ても変わらない。 どちらにせよ、人格は個人的のようにも思えるけれど、 人間は社会的動物だから、 その環境を切り離しては考えられないものだし、 バーチャル社会は 複雑でお手上げではあるけれど、 そもそもリアル社会だってお手上げなのだから 。 80億を超える心は80億を超える心の勝手を生きているんだね。 地球は真っ赤に塗られているのに 予報士は「明日も線状降水帯が発生します」と言うから、 この橋を渡って、 雨にも負けず。

小さないのち 

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5㎜の天使(野生蘭)

付き合い  

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中国の思想や文学は総じて好きではない。 小人の交わりは甘きこと艶のごとし 君子の交わりは淡きこと水の如し そうかな、やっぱ偏った言い訳だ。

顔     

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急ぎ足で時間を追いかけて…。 そうじゃないかな。 津波のような時間に追いかけられ、 逃げるように生きてきたのかもしれない。 滲む汗を手の甲が拭う。 涙じゃないよ汗をね。 でも思う。              ▲二度と町を走ることのないローカル電車の顔 「40歳を過ぎた人間は、自分の顔に責任をもたねばならない」 と言う言葉が気になったこのごろ。 マスクから解放される日常が増えて マスクでみえなかった時を生きていた顔がポロポロこぼれてくる。 その口元には、もう一人の人間が存在していた。 目は口ほどにものを語るわけでもない。 何故なら、マスクの下に隠れていた君の口元は 全く別人格を生きていたのだから。 ああ、そんなに意地悪く口元をゆがめてはいけない。 もうマスクは外されているんだから。

AIの衣替え 

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6月1日に冬服から夏服へ、 10月1日に夏服から冬服へと衣替えが一般的だ。 あれこれと洗濯に追われ、衣替えと部屋の設えをいじる。 しかし梅雨の時期は湿気が心配だ。 衣装や寝具の衣替えはさわやかな五月中に済ませたい。 …、と思うけれど梅雨寒もあるし…。 そうして躊躇している間に 梅雨入りが宣言された。 何年前だったか、 7月も半ばの雨だというのに冷たい雨の日があった。 あまりの寒さに暖房を入れようかと思ったほどだ。 新暦よりひと月遅れを旧暦で 「水無月」と呼ぶ。 だらだら長雨の季節なのに 何だか変だけど^^ (田んぼに水を注ぎ入れる時期であることに名の由来があるのかな) そんな「水無月」が暦のころ、 平安の女房たちも 衣替えの季節を迎えていた。 夏の透け感のある薄物色 だからかな? 「水無月」は「蝉の羽月」ともいいう。 「蝉の羽」には、 蝉の羽のような薄い着物と言う意味があり、 万葉の女房装束の夏衣装を代表するの配色の名でもある。 このような配色を「かさねの色目」と呼ぶが、 檜皮色の下に青が透けて生まれる色調が 衣を通過する光や衣を揺らす風によって、 曖昧に変化する風情はことのほか美しいものだったろう。 日本の色彩感覚の妙だ。 この蝉の羽に透けて見える向こう、 万葉の女たちの色気も見え隠れする。 「水無月」も「蝉の羽月」も 美しい文化だけど、 歴史博物館で埃を被り眠るのではなく、 日常に生きて使われたらいいのだけれど。 だけど、この頃騒がしいチャットGPTの時代に、 こうした日本文化のこころは色あせるだろうな。 蝉の羽もたちかへてける夏衣 かへすを見てもねは泣かれけり /夕顔 蝉の羽を歌を検索してみたら、こんな解説がupされ、 AIのCopilotがチャットをしようと誘ってきた。 この詩は、平安時代の女流歌人である紫式部が作ったものです。 夏の終わりに、蝉が羽を広げて飛び立つ様子を見て、 自分もまた、この夏の衣を脱いで、 新しい季節に向かって歩んでいこうという思いを込め 詠んだとされています。 この詩には、別れや寂しさなどの感情が込められており、 作者自身もこの詩を詠んだ後に涙を流したとされています。 この詩からは、 季節の移り変わりや人生の移り変わりを感じることができますね。 何でも聞いてください、チャットしましょ。 だそう。 何となくサラサラと読める解説文に、 「