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ヒジャブは着用したくない 

ヒジャブは着用したくないけれど… 私がパレスチナ人として生を享けていたら 市民不服従運動に加わっていただろうな… 『ハイファに戻って/太陽の男たち   』 ガッサーン カナファーニー 著/ 河出文庫(2017年6月) 訳者(黒田壽郎)がイスラム教徒だからと言うわけでもないが、私の知識不足が否めないからやや理解が難しい。PCを前にして検索サイトに首ったけで本を読む夜が明けた。 「ハイファに戻って」 は、イギリス軍により突如強制的に逐われたパレスチナの夫婦が、イスラエルの兵士となっていた愛しい我が子との再会の物語だ。 19世紀のシオニストは、そこへの「帰還」を切望していたパレスチナを「土地なき民のための民なき土地」と表した。 ゴールド・メイア(イスラエルの政治家、第5代首相)は、「パレスチナ人とはいったい誰の事か?」「そんなものは存在しないのだ」と嘯いた。そう、ネタニヤフが口にした「そもそもパレスチナ人などいない」と同じだ。 これこそ民族浄化を推進したナチス、君たちユダヤ人を迫害した時のナチスの言い分と同じなのだ。 1948年、連続で起きたシオニストたちによるパレスチナ人虐殺。 デイルヤーシン、アイン・エル ザイトゥーン、サラ・エル・デインの虐殺事件を検索しながら吐き気を覚えた。 デイルヤーシン村の虐殺事件は 「悲しいオレンジの実る土地」 として収録されている。そして、これらパレスチナ人虐殺事件の一か月後、イスラエルは国家樹立を宣言したのだ。 イギリスの二枚舌外交、シオニストから見返りに権益を保護するという約束を取り付けさっさと撤退。中東問題の火種にイギリスの責任は問われていないままでいいのだろうか。西側自由主義社会への幻想が浮き彫りにされる。 ましてドイツの体たらくは酷いもので、ナチズムの亡霊にがんじがらめで、正しい判断さえ出来やしない。ヒトラーの悪行の歴史は忘れていいものではないけれど、だからと言って、今リアルに起きているシオニストの悪行に対し、何も言えない現実をどのように考えているのだろう。そこに聡明な判断があるとは到底思えない。 また、イスラエルに自衛権があるなら、虐殺され土地(国)を追い出されたパレスチナの人々にも自衛権があることを知るべきだ。 著者であるガッサーン カナファーニーは、1972年7月、自動車に仕掛けられた爆弾で36の短い生涯を終えた。

ブッダとタゴール 

「人々は残酷だが 人は優しい」 / R abindranath・タゴール そうだね、「人々は残酷だが 人は優しい」 昔はね「うんうん」ってね、納得したものだ。 だけどこの頃、残酷さを示すのは人々ではなく、 ブッダの言う通り、そもそも 人は残酷で身勝手なのだと分かってきた。 つまり、人は優しいのじゃなくて 弱いだけのこと。 弱いがゆえに持つ渇愛と言う事実を直視し出来なくて、 それを「その弱さこそが人間ぽいんだよね」だなんて 砂糖をまぶした曖昧な言葉でカモフラージュする。 俗に言う仏教を創始したなどと露ほども思っていないブッダは、 欲望を中核とした人間観を持っていた。 つまり、人間の人格の中心にはやむにやまれぬ生存への執着があり、 それを中核として欲望が 網の目のようにのび、世界を形造っている。 この欲望によって世界像は歪んでいると言っているんだね。 つまり、人間存在の根本は渇愛があり、 そ れがつる草のように蔓延って人格を形成している。 彼はこの欲望から自己を自由に開放しなくちゃいけないなんてね。 「無執着」「無一物」という言葉が飛び交った。 つまるところ、 タゴールの 「人々は残酷だが 人は優しい」のではなく、 そもそも人は、自己浄化しなければならない妄執の汚れにまみれてるってことらしい。 簡単に言えば、哀しいほど美味しいものを食べたくて、 おしゃれな服を着たくて、 訳の分からない鉱物で身を飾って、 瀟洒な家に住みたくて、 あちこちを優雅に遊び廻りたくて、 他者を配下に置いたり自分の所有ぶつとしたくて、 世間に一目置かれ社会的権威や権力を持ちたくて… 時に「ささやかでいい」だなんて言ってみたりしながら、 あちこちに欲望の目を萌芽させて、 執着から逃れられず生きているってことかな。 だからだね、そこの執着から逃れられないから、 人間が持っている残酷さを同伴させる。 と言うより気付きもしないで あらゆる真実から逃げる。 時に某国みたいに神の意思だなんて理屈をつけたり、 身勝手な正義の御旗をたてたりしてね。 全て、それらの本質は君の中、人間そのものにあるのに… 「人間 とは何か?」とか、「人間の本質とは何か」などと 問いかけ、 哲学的な思考と実証的な調査で答えを出そうとすることなんて、 そもそも無理なのかも。 タゴール君、人と人々の残酷さの違いは、 みんな(人々・仲間)で

すさび   

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アロマワックスサシェを作った😊 ボランティアで月一回の「ハーブの遊び」を始めた。 一回目:ハーブサシェ(ラベンダーの匂い袋) 二回目:ハーブナチュラル化粧水(ラベンダー) 三回目:アロマワックスサシェ 四回目になる12月は、眠れないと言うメンバーの声を聞いて、 穏やかな眠りを誘うハーブティーをブレンドすることにした。 ①ジャーマンカモマイルとオレンジピール、そしてバレリアン。 ②パッションフラワーとレモンバーム。 材料だけど、カモマイルは我が家の庭から収穫したもの。 オレンジピールは糖分不使用のものをミカンで作る。 バレリアンとパッションフラワーはネット購入だけど仕方がない。 レモンバームは近くの農家の方から購入ものを乾燥させておいた。 パッションフラワーを観賞用として育てている庭を時々見かける。 ちょっと派手な花だから私好みではないが、 このハーブ、数世紀にわたり緊張や不眠の治療薬に使用されてきているのだ。 育ててみるかな… さて、お茶菓子には淡雪の様なメレンゲをこさえて持って行く。
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ハイファに戻って/太陽の男たち   (河出文庫) 文庫 – 2017/6/6 ガッサーン カナファーニー (Ghassan Kanafani )(著) 黒田 寿郎 (翻訳)

プーシキン    

『ヒトラーvs.スターリン 独裁者の対決』 録画しておいたNHKのドキュメンタリーを見た。 西側諸国では、 スターリンはヒトラーと並ぶ 20世紀最大の独裁者らしい。 しかしロシアではプーチン政権下、 過去の独裁者スターリンを評価する動きが浮上した。 そもそもロシア人には根強いスターリン崇拝があるようだ。 そうか、ペレストロイカの頃のスターリン批判は 知識人の間だけで語られた動きに過ぎなかったったんだ。 私にすれば、ほとんど読破していなくての、ロシア文学だ。 それでも、映像からのインパクトがあったからかも知れない。 荒涼とした大地 のイメージに魅了されたものだった… そう言えば当時、 マーケットのオープンスペースで彼とお茶していた時、 突然話しかけてきた老人がいた。 なぜその方との会話が始まったのか記憶にないが、 多分、わたしと一緒にいた彼は学生の頃ロシア文学を専攻していて、 ロシアに関する資料を手にしていたのではないかと思う。 もっとも当時の私には、 ロシアとヨーロッパの重い歴史を語れる知識はない。 老人と彼が熱っぽく語り合う空気に参加することは出来なかった。 ただ、老人が厳しい口調で、 「ロシアは恐ろしい国だ」と言った言葉だけが耳に残った。 プーシキンの詩(金子 訳) 日々のいのちの営みがときにあなたを欺いたとて 悲しみを またいきどおりを抱いてはいけない。 悲しい日にはこころをおだやかにたもちなさい。 きっとふたたびよろこびの日がおとずれるから。 こころはいつもゆくすえのなかに生きる。 いまあるものはすずろ にさびしい思いを呼ぶ。 ひとの世のなべてのものはつかのまに流れ去る。 流れ去るものはやがてなつかしいものとなる 。 私が見ていたのは、 一般大衆の愛国心に強いロシア人には、 関係のない文化だったのか。 もしかしたら、激動の時代の文化はひ弱だったのかも知れない。 それでも、ロシア人の中でプーシキンだけは別格らしい。 ウクライナ侵攻が原因じゃないだろうけど ロシア文学はほとんど絶版になっていた。 かろうじて本棚あった『ロシアの美的世界』木村 浩著を手に取った。 昔の日本人は愚かなくらいロシア文化に憧れていたようだ。 何だかエリート意識が鼻につく。 革命前のロシアが憧れたフランス文化も 正直どこがいいのか私には分からない。 どれくらいの日本人が仏文学を理解している

てふてふ     

あちこちバカバカしい事ばかり、 とても疲れる世界だ。 「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」 心に沁みたから調べてみた。 なるほどと思った。 *韃靼海峡(だったんかいきょう)

小さな窓

  それから過ぎた日の 少し遅くれてのぼる十六夜月の夜でした。 ちいさな窓から差し込んできた光に 思い出したのは『絵のない絵本』 一人の貧しい青年に窓辺の月が語りかける三十三夜の物語。 月が語る物語は 気に留める人もなく過ぎてゆく。 それは忙しくざわめく人々にとって、 どうでもよい程ちいさな 出来事です。 けれど、きっと幾らかの人は そんな時間もいっぱいいっぱい生きている。 つつましく無抵抗で、どことなくこっけいな… あの日、ためらって昇った夜の月の 小さな小さな、ほんとうに小さな窓の片隅で。 私の手の大きさでやや卵形の 何千年も前に作られ、 色々な意味で生き抜いてきた。 つつましく無抵抗で、どことなくこっけいな― 何かをつたえるのではなく 自己表現をするわけでもなく                      けれど作り手とその生きた時代を内包し 映し出しているように見える。 その微かな力で・・・                     Hans Coper/1969