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忘却     

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灰色雲のかかる空、寒さもひとしお。 恒例の友人の舞台を観て、ついでに熊谷守一展を覗いた。 約束のお店に辿り着いた時は 白い雪(?)が舞い始めていているようで(そんなはずないんだけど…) そうか、頭の中で降るは雪か、それとも雨か? う~ん、ゆっくり飲めばいいいいかと、良きに計らって ついつい久しぶりのお酒を聞こし召した。 少しばかりなのによく飲んだ気分になるのは年の所為かな。 気分で飲んで、ついでにほろ酔い衝動も気分だ。 「送っていこうか」と言う友を「大丈夫よ」と置き去りにしタクシーを拾う。 いつもの道の対岸をタクシーに揺られ、脳みそも揺られ家路を急ぐ。 「いつもの道と違うかも…でもこのまま行ってください」 と、なんだか意味不明なことを呟いていた。 川の向こう岸、道路際にポツンと古い宿が一軒あって だいだいいろのあかりが幾つか灯る。 けむる対岸かわたしの脳みそか、おぼろに幻想的だ。 東北の雪深い町で見た記憶が想起されると 原因不明な嫌悪に過ぎた時間も、冷たい雪に気が滅入った日々も あれもこれも、みんなそういうものと思えてくる。 記憶の中を歩いても人っ子一人見当たらない。 みんなは元気に暮らしているだろうか? どの鏡の後ろにも 永遠の静けさが一つずつ それから飛び去らなかった 沈黙たちの巣が一つずつ Lorca みんな、音もたてず眠っているのだろう。 霧の中で誰も見えないのは初めから誰もいなかったからか? 否、夜だからだ^^ それとも誰しも人は一人であることを教えられたからか? 否、一人に慣れて、全て忘れてしまったからだ。 タクシーはゆっくりゆっくり夜を走る。 「着きましたよ。1,320円いただきます」 かなりの時間が過ぎていったような気がしたけれど タクシー料金は十数分ほどのメータしか走っていなかった。 夜の時間にはきっと狐か狸が住んでいるのだと思った。 こころも頭もオメメもすこしばかりくらくら。 書きたいことがあったのに 何だかどうでもいいことかもしれないと却下。 一つずつ一つずつ折りたたんで片付けるしかないんだから。 こうして少しずつ、遠くになってゆくのかも知れない。 そう、人間は忘却の生き物だ。

有色人種のトイレがない     

米航空宇宙局(NASA)は、 差別と不平等を解消する取り組みの一環として、 不適切な愛称で呼ばれる惑星や天体を 今後は国際天文学連合(IAU)の正式名称を使用すると発表した。 — NASA (@NASA) August 5, 2020 1787年にウィリアム・ハーシェル氏が発見した「エスキモー星雲」 エスキモーは北極圏の先住民に対する人種差別的な用語なのだそうだ。 また「シャム双生児銀河」のシャムは、タイの双生児兄弟が サーカスで見世物にされていたとき使用されたいた名前らしい。 そう、あのNASAが今頃になって不平等の解消?…と、思った出来事だった。 そして、想像力の無さすぎでというか 人間には慣れがある。 無意識に人を差別することがあるってことだ。 しかもこの公表には続きがある。 これらの発表に対し、ネットでは 「今度はキャンセル・スペース・カルチャーか。  人類はジョークと化した。巨大な隕石が我々を一掃するのも時間の問題だ」 「素晴らしいアイデア!これらはマイノリティの生活向上に役立つだろう。  そしてシカゴやニューヨークでもすぐに発砲事件が消滅するに違いない」 と揶揄する声が上がった。 また「ブラック・ホールはもう使ってはいけない」とか 「ソンブレロ銀河は反メキシコ人の名前だ」 「NASAの仕事は宇宙の探索だ。美徳のシグナルを送って、 目覚めたカルトに譲歩している場合ではない」などの声が寄せられた。 「黒人の命も大切だ」と叫んで起こった社会運動にもみられ、 時に、否、そのムーブメントの多くが歪な方向へねじ曲がる。 そうした負の側面を多く抱えているにもかかわらず、 誰も反論できない可笑しな正義が闊歩する。 なぜだか「我々は弱者だ」と訴え、暴徒化する人々に対して、 正面からの反論すら許されない正義とやらが暗黙の内に醸成される。 NASAも人種差別や女性軽視の風潮が当時は普通だったのだろうとは思う。 それを考慮しても、巷は良くも悪くも言いたい放題だ。 このごろこうしたキャンセル・カルチャが怖いと思うことが増えた。 TOYOU2020(日本の五輪)にも吹き荒れたし、 日本のワクチン開発が遅れた原因に吹き荒れたのも、 誰かに動かされた自称賢い女達のキャンセル・カルチャだ。 遡れば戦時下、これもまた自称愛国者の女達が、 標語を掲げ町を練り歩いたのも同じ現象だ。 SNSや学

いい女、
それをイットガールと呼ぶ    

『イットガール』 この単語がどれほどの認知度があるかは分からないけれど。 映画? ファッション? に 関心がある人の認知度は高いかもしれない。   「イットガール」の呼び名は、 1927 年の映画「It 」(「それ」の意)によって 一世風靡した女優クララ・ボウ( Clara Bow )が「 It Girl 」と呼ばれたことに因み、 愛らしさとセクシーさを兼ね備えた女優やモデルを指して、呼ぶようになった。 日本に「イットガール」と呼ぶ文化がいつ頃伝わったのかは知らない。   ただ何年か前、 毎年のようにモンクレール(ダウンジャケット)を欲しいと思い、 もちろん思うだけで、ダウンごときで30万なんて 気軽には手が出ないから 諦めつづけて時は過ぎ… デスガ^^ でも見るだけならタダなのだと思い、ネットを色々チェックしていたことがある。 その時ヴォーグ日本版の HP で「イットガール」という懐かしい単語を見つけた。   あれは随分むかしのことになる。まだわたしが美しかった(…?)ころ^^ 打ち合わせを終え帰社する途中、同行の上司が車窓に張られた広告を指し 「僕はこの広告のコピーに興味を覚えましたが、君はどうですか」 と聞いてきたのだ。 しばらく指示された広告をながめ、 「とてもイットが悩ましい、この《イット》が気になります」と答えると 「僕もそう思います」 それで話は終わった…。   それは山手線ドア脇の車窓に張られたヘチマ化粧水の広告だった。 全体のビジュアルデザインは当時の庶民派中高年向き(地味~^^) コピー全体は忘れてしまったが、かなり古めかしさを感じたものだった。 広告は陳腐化との境界を遊ぶ面白さもあるけれど 少し早いというか、すこし遅いというか 何だかやぼったくて使いこなされていないと、生意気にもその時は思った。     けれど、この《イット》が妙に気になっていて。 イットを文脈から、“ it is  …”の it と単純理解はできるのだけど。 つまりこの商品を使った女性は、美しい肌を手に入れるだろう。 そしてそれ(化粧水)=イット⇒美しい女と繫がる。 何と言ってもネーミングがやぼったい、それでも野暮な商品名がメージさせる 腰が括れた女性の色香が伝わるからだろうか、 「とてもイットが悩ましい」とコピーが結ばれると、 ヘチマ化粧水を使用する女の愛らしさとセクシーさ

価値観             

そう言えば、いつだったか?   ネット配信のニュースをクリック。 時を置かずして二つの話題が目に留まった。    一つは「《 花かごを持つ少女 》一億 125 億円で落札」 もう一つは「学生食堂の壁画《 きずな 》がリフォームで廃棄処分」 アート性から言えば価値はさほど高くないバンクシーの風刺画に 話題を仕組んだのは誰だろう? そう、仕組み方で価値が変わる。 バイヤーやコレクターたちの思惑が行脚するのが透けて見える…。 もっとも日本では、爪を色とりどりに塗ったり飾ることを ネールアートというのだから、既にアートという言葉自体、 正面から論じるものじゃなくなった時代なのだろう…。 5~6年ほど前、日本の精神障害者の絵がEUで持て囃された時期があった。 「コレクターたちに普通の作品は飽きられてますから…」という言葉に、 日本の精神障害者の作品に目をつけたEUのバイヤーの本音が見え隠れした。 日本の精神障害者は普通じゃないから価値があると言うことなのか…? オリンピックIOCの表とその裏にある事情と同じだ。 大衆を食い物にするほんの一つまみのバイヤーやコレクターに 投資マネーが飛び交うのだ。 もちろん矛盾だが、それで生きがいを見つけた障害者もいるし、 どんなに矛盾だらけの土壌であっても、 そこに繰り広げられるスポーツを観戦して 感動や勇気を貰った人もいることは事実で、 だからそのこと事態は無意味ではないだろう。 しかし少なくとも、それらの全てをひっくるめても、あれもこれもどれも、 価値観という幻想の屍と褥(しとね)だと言うことは確かだ。   もちろん、ピカソと宇佐美の、 二人の芸術家に、否二つの作品かな? それらに与えられた対処の差(作品の価値)を比較する気も、 そんな知識も持ち得ないけれど、私の価値観から言えば お金を積まれても欲しくない《花かごを持つ少女》であることは確かだし、 ゆっくり鑑賞していたい作品でもない。 オークション会場で跳ね上がる、実態があるとは思えない価値観にほくそ笑むのは コレクターとバイヤー、そして肩書に〇〇研究員が付く一部の人なのだろうか。 なんだか、落札された値段が作品の評価につながるという幻想を 理解したい資産家(コレクター)の傍には寄り付くこともできやしないし、 世界がひっくり返っても寄り付けやしない者の、犬の遠吠えかな^^ けれど、そうし

木守りは
木を守るなり 

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木守りは木を守るなり 鴉のとりも鵯どりも 尊みてついばまずけり みぞれ待ち雪のふる待ち かくてほろぶる日をまつか              三好達治/残果 土曜の遅いランチの後、集まった仲間でふらりと散策に出た。 気候変動のしわ寄せだろうか、 色づくことなく枯れ始めた木々も 多く、今年の紅葉は少し物足りない。 朽ちた家屋の庭先に柿の木が一本寂しそうにあるのをみた。 まるで忘れ去られたように幾つかの実をつけたままだ。 一つ二つ、熟柿が枝先にぶら下がっているのを見かけることがある。 これを「なり木の木守り」という。 残されている柿の実にどのような意味があるのか、 晩冬から初冬の日本の景色に欠かせない美しい柿の実が、 収穫されず忘れられたようにぶらさがっているのは、 何となく侘しくもあるけれど… 「なり木の木守り」または「木守り柿」、 子守り柿(地域によってはキマブリとも)という。 もちろん残された実は忘れられたのではなく、 「収穫のとき実を全て取らずに残す」という 古くからの慣わしがあるようだ。 残し方は、一つだけという地域もあれば数個、 あるいは敷地から枝が出た部分に実った実は残す。 上部のほうの実と下のほうの実を少し残すなど、 残し方はさまざまのようだ。 実を残すようになったの理由は様々かも知れない。 私は「食べるものが乏しくなる生き物たちへのお裾分け」であり、 「実りへの御礼」と だと聞いて育った。 柿が大陸からわたってきたのは奈良時代ごろらしい。 それ以来、さまざまな生活用途のある柿は霊木とされたと聞く。 長野県一帯では、亡くなった人の魂は柿の木に降りて帰ってくるとされ、 柿の木を人間の魂と共鳴する魂を持つ木とする信仰があったようだ。 そして、果実はその木の魂が具現化したものだと捉えられたのだろうか、 果実はその木が一年のうちに実らせた魂であるから、 その果実を根こそぎ奪い取るのは、 その木の魂を取り去ってしまうことになる。 だから、魂の宿る木として存続を願い、一定数を残すとのことだった。 まだつい最近まで、人間は自然と共に生きていたのだろうな、 AIが神様の世界じゃないんだね、 こころに丁寧な時代だったのだ。

シナントロープ

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    白鳥が飛来すると東北の冬も本番を迎える。 わたしはいっぱい着込んで、しばしば近くの沼まで出かけた。 沼のほとりには小さな小屋があって、そこにパンの耳が置かれていた。 「ご自由にお取りください」 そんな手書きの看板が扉のノブに掛けられていたと思う。 わたしは沼の畔にしゃがみ、パンをのせた手のひらを白鳥に差し出しだす。 白鳥はくちばしを上手に滑らせパンを受けとる。 そして水面にくちばしをちょこっとつける。パンを湿らせていたのだろうか。 「白鳥は警戒心が強いから人間の手から餌を受け取らないよ」 そう周りは言ったけれど、そんなことはなかった。 行動に何の疑問も持たず、こころはちょっと自慢げだった。 あのころ観光の目玉にもなっていた白鳥の餌付け風景を支えたのは、 全国から届けられる食パンの耳、雑穀、ワレ米などだったらしい。 しかしいつ頃からか自然動物と人間の境界が問題になって、 人間の食べ物は与えてはいけないってね、常識とやらが問われ始めた。 そして希少動物は特別で人間の手が差し伸べられても、 同じ生態系の問題だといって、増えすぎる動物は殺傷された。 そんな流れの中で白鳥の飛来地も餌付けを止めたんだね。 でもね、田んぼに飛来する白鳥は稲の落穂をすくいながら食べていた。 そう落穂ひろいなんだ。これって間接餌付けではあるよね。 今じゃ自然界の動物は 人間の領域に無断で入り込んで畑を荒らす害獣になるし、それだけじゃなくて、 病原菌をまき散らすことがクローズアップされている。 確かにね自然界はマラリア、コレラ、チフス、鳥インフルやコロナウイルス等々… 危険はいっぱいだ。だから自然界の動物に餌を与えたり近寄ってはいけないてね。 しかしどこか変だという気がする。 「シナントロープ(ギリシャ語)」という言葉がある。 つまり、人間が活動する周辺でその恩恵を受けて共生する動植物を指す言葉だ。 もう長い歴史の中で、人間と共存して恩恵を受けて生きる動物たちがいるってこと。 人間が豊かさを求め自然を開発し破壊したんだし、勝手に品種改良された愛玩動物も多いし、 住処を追われただろうね。彼らはやっとのこと人間の周辺環境に慣れ、そこに共生する。 きっと不要な者たち扱いのネズミとかスズメとかも、そうだったのだろうね。 最近の話じゃなくてローマ時代からのこと。そう、そこには長い共存の歴史があるんだ。

仇討ち             

飛騨に生まれた人から郷土の仇討ちの話を聞いた。 要約すると、と言っても短い内容だから、要約なんて変ですが、     「国若の墓」 徳川の時代のこと、国若という武士が女連れで、飛騨街道方面からやって来た。二人は洞山に仮住居し密かに暮らしていた。そこへ国若を仇とつけねらう武士が現れ、元来武芸達者だった国若だったが病床の身で、妻は果敢に戦ったものの所詮女の非力。共に討たれてしまった。村人たちは悲運な国若の墓を立て手厚く葬った。墓には「文化十五寅天(1818)南無阿弥陀仏、国若」と刻まれており、女の墓はやや離れたところに粗末な石が積み上げられている。 とのこと^^ 何故、女の墓が粗末なのか、 男の墓は飛騨の久野川地区に仇打ちで切られた近くに建てられていて、 墓石には『国若』と名前が刻まれているらしい。 詳細は分からないが、 ただ妻を奪われた武士が仇を討ったのではないかということだ。 妻を奪った武士は病床に伏していたからか、 村人の涙を誘ったのだろうか、手厚く葬られたようだ。 ただ、同地の旧家に残されていた国若所持の槍の故か、 その家に不幸が続いた。以後、槍は白山神杜に奉納されたようだ。 江戸時代の仇討ちや敵討ちは約束事が厳しく、 敵討ちの許可を受けるのも簡単ではなかったようだ。 その実態もドラマで見るようなスッキリとしたものとは程遠い。 女が絡む『武士の一分』(藤沢周平作)を思い出す。 偶然だが彼が残こした本を整理していて 『日本敵討ち異相』 長谷川 申作 を見つけた。 遠い時代の人間模様ではなく、 仇討ちの正当性は法に認められてはいないけれど、 今、繰り広げられている人々の人生模様に通じるものを垣間見た気がした。 久しぶりにローカル電車で飛騨まで出かけたいと思うのだが、 何だか近頃漫画やドラマで飛騨高山は流行りの賑わしさを漂わせていて、 その一歩の足が出ない。