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事実は小説より奇なり③

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そもそも、宗教を特別視する必要などないのだから。 宗教の自由は職業選択の自由と同じ時限で捉えて良いものだ。 宗教は人間の欲望の上に立つからこそ、 怖ろしいほど人間を支配する。 この欲望の神髄は、 生理的本能的なレベルから、社会的愛他的なレベルを含み、 心の働きや行動の全てを支配統括する。 よって野放しでは収拾がつかなくなることぐらいわかりそうなものだ。 まして税制の優遇処置など不要で、法律を変える必要は100%ある! 大切なことは、教育だ…。 生きていれば色々あるものだもの。 もちろんABCや123ばかりが教育じゃないし、 メタバースの時代、商機を左右する欲望の資本主義社会で 生き残る力だけが必要なのでもない。 全員がアクト、アクトレスで 自己顕示欲はSNSで十分すぎるほど育ったけれど、 自省する力が育っていないことが問題だし、 思いやりの心が全く無いとは言わないけれど、 それは自己中心的で軽薄短小(なんだか大昔はやった言葉)だ。 良くも悪くも自分勝手な個人主義だから、 マインドコントロールもされ易いのだね。 そして、ボランティアは決して献身な人の集まり などではないしね。 思いやりの心の基軸が共感にあるなんてことは絶対ない。 統一教会に賛同している人たちは当事者だから別にして、 ボランティアに参 加する側にも受ける側にも、 悲しいかな注意が必要だということ。 そもそも共感などでは悲しみの淵に沈む人を理解など出来やしないし、心の開放だってあるはずもない。 近頃、行政も市民団体もボランティアの世界に偽善を見る。 知らぬ素振りで 冷ややかに調子を合わせるようになった私がいる。 なんて悲しい世界だろう。 そうだね、ボランティアなんて枠にまとめなくても、 社会の中で譲り合いや思いやりの範囲で出来ることをするで十分だ。 何でもかんでも政府や行政は市民の誠意を利用し過ぎ。 そこにぶら下がって利益や利権を貪る団体もあるってこと。 世界の、一向落ち着かない諍いも然り、 一面だけだろうが、安部氏の銃撃事件から見えてきたものもある。 勿体なくも大切な時間を使ってしまったけれど、 経験と知識をプラスして、 裏切りにも強くなったし、 紛いもの(者)への対処にも賢くもなった。 ほんとうに色々学んだ。 「事実は小説より奇なり」 なんだか異常で奇妙な人間社会の中でね。 バイロンの名言が大当たりだ

事実は小説より奇なり②     

  コロナ禍に始めた手話だが、 発起人が曖昧なままLINEグループが立ち上がっていた。 そしてそこに、統一 教会の組織が網の目のように繋がっていたのだ。 資源を枯渇させるIUU( 沖アミ)漁法で、 根こそぎ献金奴隷(日本人)を捕獲ということことだろうか。 我が町にも○○協議会が牛耳るボランティアセンターたるものがある。 もしわたしが大学で原理研究会に参加し社会 活動をしていたら、 真っ先に○○協議会のボランティアセンターに繋がりを持つだろう。 そう考えると、この成り行きも 推して知るべしかな。 統一教会は 「原理研究会」という大学の学生サークルがあって、 地域に溶け込んだボランティアの活動を行っていたのだから、 至る所で接点、 ないしは統一教会が発起人のボランティアが そこいらにあっても 可笑しくは無いのだ。 本当に物腰が柔らかく、思えば猜疑心を抱くほどやさしい。 まだコミュニケーションも進んでないのに、 古き友人のように接触してくる。 サークルのLINEで積極的な誘いが繰り返された。 コロナ禍でイベント回数は多くなかったことと、 今思えば(幸いなことに)、どれも日程が合わずだったのだが。 以前記事にUPした イベント勧誘チラシのポスティングも奇妙ものだったが、 その手話サークルのLINEに流れたのが 「あなたの人生、無料で占います」というものだった。 手話と人生占いがどのようにマッチングするのだろう。 疑問がわいて調べてみた。 日本の女性を勧誘する 教会の 常套手段だと分かった。 このころ教会側は、 醜悪老夫婦の夢を実現する資金集めに翻弄していたのだ。 「老夫婦の歳を合わせて一人○○○万円の献金」の件だと思う。   若い男は、自身の頭脳明晰さに溺れやすい弱点を刺激され、 理解不能に設計された教義を解くことに夢中になるらしい、 そして、マインド・コントロールの泥沼に入る。 そして女は占いで釣られる(?)、 占いに弱い日本の女は無料占いに釣られて、 アダムとイヴの教義を聴き、 マインドコントロールの坩堝…? 日本の女は随分軽く見られているのだね。 何れにせよ、 それら宗教紛いのものに熱狂する信者の深層心理は 他者が持っていてずっとほしかったものを見つけ、 やっと購入した時の到達感が付随する満足感だ。 試合で勝った勝者の自己満足的高揚感や、 自分は救われるという身勝手な

事実は小説より奇なり①     

何がどうなってるの? わたしは女だけれど彼女たちの気持ちが理解できない。 ●●党を指示する女性は、党首を「あこがれの人なの」と 真顔で云う。 ■■党の運動員の女性も、やはり党首の大ファンなのだと云う。 二つの党は犬猿の仲らしい。 「思想信条の価値観に、あこがれ(ファン)って変じゃない」 と云うと、 二人からニュアンスはやや違うが 似たような返事が戻ってきた。 「そんなレベルのことではない。特別な人なのだ」 そんなレベルとどう違うというの!特別ってなんなの? 二人とも所謂「優しくまじめで、いい人」で括られる。 しかし、その心理はどうなっているのかと思うと、 有名人などの追っかけをする類の集団と変わらない。 盲目的心理状態であり、 コンサートに参加したら、 幾つ曲を購入したら…、 ・・さんと握手できますとか、サインがもらえますとか、 これもマインドコントロールの手法だ。 脅しか鞭か飴玉かの違いに過ぎない。 ただ、人間は多かれ少なかれ、大小や歪さはあっても、 何かにマインドコントロールされ、生きているのも確かかもだが…。 それにしても、統一教会の信者があの飛んでも八分の 老夫婦をして 「真のお父様・真のお母さま」と呼ぶのを呆れていた二人だけど、 彼女たちに統一教会の信者を 笑うことは出来ない 。 そこに気づかないのがマインドコントロールたる所以なのだからね。

2024.5月になったらにここから:月がある

こうしてわたしは、月をみている。 だからだね、ここに月がある。      万物は満ちたりずとも十五の夜の月  あきのの

認知革命            

「神様」というのは ある意味の「虚構」なのです。 「神様」の存在を信じることは できます。 でも、実際に「神様」に会った人は おそらくほとんどいないわけです。         ユヴァル・ノア・ハラリ 私たちは、 実際に存在しないモノについて、 話ができ。 実際に存在しないモノについて、認識することができる。 つまり、まったく存在しないものについての情報を伝達する能力。 五感では感じたことのないありとあらゆる種類の存在について 話すことが出来るのはサピエンスだけなのだ。 こうしたサピエンスが持ち得た能力を、 「認知革命」だと、ハラリ氏は云う。 そして、良くも悪くも、この能力の 結果、 伝説・神話・神々・宗教が生まれ。 伝説を共有する人々の間で、 「協力し合う」 力が生まれることになったと分析する。 そうだね、けれど、人間は 動物的直感だけで生きる狭い暮らしが物足りなくて、 もっと勢力範囲を広げ、世界を支配したくて、 意思の疎通を図る「ことば」を発見してからというもの 言葉を駆使して思考する、そして他者に伝えようとした。 やがて神様や伝説を共有することで多くを束ねることを覚えた。   …、のだけれど…。 そこに生まれた現在は、グローバル化が進み、 今やほとんどの国が、 一国だけでは経済が成り立たなくなり(ほんとかな?)、 国際関係が緊密になった結果として、 国家の独立性が弱まってきている。 そうした現状を鑑み、ハラリ氏は云うのだ。 やがて、世界の「統一」が進んでいくってね。 ネアンデルタール人たちがせいぜい 20〜30人くらいでしか 協力できなかったのに対し、 ハグや肉体的交流だけでは せいぜい200人くらいまでしか協力し合えないそうだ。 しかしホモ・サピエンスは言葉を使い認知革命を起こし、 「神話」「宗教」を共有する術を手にし、 より大きな集団での協力を可能としたと云うことだ。 そしてそこに、 イデオロギーの共有に重なる側面があるとハラリ氏は云う。 良い事か悪い事かは私には分からない。 ただ根本に、 欧米の個人主義的合理主義が生んだ自由がうごめいているってね、 そんな思いが脳裏をよぎる?。 ハラリ氏が考える個人主義的合理主義の自由と ゴータマ(釈迦)の自由とかなり違うのだけど、 けれどハラリ氏は、仏教の可能性を語っているんだね。 何か感じるところがあったのかなってね、

水の争奪戦  

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数年ぶりに空の乗り合いバスに搭乗した友から 「ボジョレーヌーヴォ2022予約承りますですって!」とLINE。 今年2022年の解禁は11月17日とのこと。 そこへ今朝のニュースが重なる。 フランスの環境活動家たちが、 カーボンニュートラルとやらで、 駐車している車のタイヤのリムバルブ保護キャップを外したり、 「干ばつによる水不足で、農業用水に使用制限が出されたのに、 ゴルフ場の芝生は『給水禁止除外』なんておかしい」と、 ゴルフ場に無断で入り込み、 ホールカップをセメントで埋めた。 これで芝生にまかれる水はブドウ畑に回されるだろうか…? フランスのブドウ畑に、 「霜対策で火がたかれた」とニュースが届いたのは 今年の春だ。 去年の霜ではかなりブドウやられてしまったけれど、 今年は何とか収穫が戻ると思われた矢先、 この夏の深刻な干ばつの影響が懸念されていた。 「ボージョレー・ヌーヴォお安くなって解禁」 だなんて時代は遠くなったのかな… もっとも、ヌーヴォなのかヴィラージュなのか、 わたしは 買ったことなど一度もないのだからどちらでもいい。 それに、今じゃボルドーのシャトーにはためくのは中国国旗。 ワインの生産者(ドメーヌ)のオーナーも 中国人投資家に虫食い状態なのだ。 何だかな… 昔、ヌーボが解禁になると 「今日はワインを買って…」という日本人が多かった。 きっと気分は「フランス人」だったのだろう。 だから今じゃ「気分は中国人」なのかも…? 「中国は5000年前からワインを飲んでいた。世界が注目」 だなんて大風呂敷で中国寄のコピーが躍っても…、 ワインはエジプトからヨーロッパへ、 ヨーロッパから、かの絹の道を通って中国に伝わったのだし、 そもそもエジプトでは紀元前8000年ごろ、 諄いのですが紀元前8000年ごろから 飲まれていたのだし。 そう、古代エジプトでは、ワインはファラオと神の飲み物で、 一般に普及したのは新王朝時代ごろからだ。 当時の庶民はと言えばビール。 この時代にビールもすごいけれど…! 大衆はピラミッド建設に携わることで パンやビールの振る舞いを受けていたようだ? でも、きっとぬるいビールだっただろうな…と思う。 そもそもビールを冷たくするのは日本の飲み方らしい。 どちらにしても、そんな特別感があったワインだけど、 当初は野生のブドウをつぼに詰めて発酵させ

さよならの夏が過ぎる 

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父と母の墓を訪ねた。 兄の家は天井までの広い窓に、外断熱。 屋根にパネルを設置、蓄電池を設備して、 メンテが高くつきそうなオール電化になっていた。 SDGsなのだそうだ…。 当たり前だけど時代は変わり、 実家は遠くなるものだと気が付いた 。 それにしてもパネルのランニングとイニシャルコストの 環境負荷はリアルに計算すると、どれくらいなんだろう。 中国製造じゃ商品が安そうでもその後に問題ありそうだ。。。 中国が儲かるだけの太陽光など要らないし。。。 2012年に固定価格買取制度が導入、太陽光は加速度的に増えた。 太陽光パネルは、製品寿命が約25~30年。メンテもままならない。 そこから太陽光発電事業は2040年頃には終了とされる。 その際、太陽光発電設備の太陽光パネルを含む廃棄物が出る。 問題山積みのカーボンニュートラルってことだ。 太陽光パネルの廃棄に関する懸念をダラダラと書き連ねると、 障壁が低いから、誰でも参入しやすい事業だったことがある。 しかも統一教会じゃないけれど、 事業の途中で事業主体や社名がコロコロ変わる、 問題が起きた時の責任が不明瞭になりがちだ。 そして、パネルも蓄電池も 様々な有害物質が含まれているということ。 中国の製品がほとんどだから、 これって耐用年数が来て破棄されるとき、 問題発覚だろうな。 昔、某大学院(中退しちゃいましたが) 建築工学に籍を置いていた頃は、 太陽光発電に日本も土俵際の片足を残していたように思う… 何れにしても、私が院を中退したころには、 中国が世界を制覇していた。 結局は中国に技術を取られ市場を取られた。 日本は製品が良くてもコスト高で撤退やむなしだったのね。 だから、太陽光発電設備の大量廃棄の問題が解決されないまま、 太陽光パネルの大廃棄時代の暗雲が垂れこめている。 当時から問題視されていた使用済み太陽光パネルの廃棄だ。 これって、ままならないだろうな。 まるで誰でももうかる商売のような触れ込みで 事業者をつのった太陽光電気事業。 素人の彼らがコストのかかる廃棄処理を行わずに、 有価物だとしてあちこちにパネル放置するときがやってくる。 世の常だ、不法投棄も増えるだろう。 そもそも太陽パネルに蓄電池は本来必修アイテムだ。 家庭用蓄電池の「法定耐用年数」はエコキュートと同じ6年。 すれば、蓄電池10年~15年の使用年数が