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ステンレスの錆

 虹は二色だという文化があって、それを了解している国は、 その社会が基盤を置く言語に構築された実在を頼りに成立している。 わたしはゆっくり流れる時を歩いていた。 死ぬほど退屈なぐんじょ色の空にあくびを三つ四つして、 そしてだだっ広いだけのぐんじょ色の空の下、 そこにつながる海の向こうを夢に見た。 わたしはその先に何があるかなどわからないまま海を渡り、 そこの国では素足じゃなくて靴を履くのだとしった。 だから最初に白いソックスを買った。 そしてそれから赤い口紅を買った。 あれやこれいろいろ買って、そうして…、 一つひとつ退屈だった日を捨てた。 やがて何を買っても心が喜ばなくなったとき、 摩天楼に見上げた空はあまりにも小さいもので…。 海の向こうに夢があったかわからない。 ただ少しばかりの心残りは、 退屈な日々と一緒に捨てたぐんじょ色の空だった。 ステンレスの錆はまだ針の先ほどだと思いながら。

倒木更新

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できるだけ自然のままを残しているってね 人の手が入らないその森で数百年も生き続けた檜が倒れた。 檜の倒木は、年月と共に朽ち果て、表面に苔がはえ、 そこに種子が落ちて、檜の子が育ち始める。 これが『倒木更新』だと 道理をわきまえた人は続ける。  「そこは下草に邪魔されないから光がよくあたる。  倒木の豊富な養分と苔による適度な保水力によって、  檜の子はよく育つ。  親は子のために身を横たえる。  年月が過ぎ、檜の子が大きくなり、  倒木はやがて消滅するけれど、そこに倒木の形が残る。  それを『根上がり』と人は呼ぶ。  『親が子を守り、子が親を忘れない』  これこそ自然の本来の姿だ。  私達は、子供達の未来に何を残せますか?」 と結ばれていた。   立派な理論立てが多くの人を感動させる。 だろうけれど、 のだけれどね…、 わたしは悲しい気持ちになった。 「親が子に何を残すか」ですって、 「残すのじゃないkamo…」そんな気がした。 何故そう思ったかの答えを 東田直樹氏がインタビューの記者に送った手紙にみつけた。 NHKスペシャル:自閉症の君が教えてくれたこと             ☝よろしければクリックしてね^^ この手紙が書かれた切っ掛けは、 同じ重度の自閉症の子を持つ親(米国人)が、彼に悩みを打ち明ける、 確か、そんなシーンからだった。 「この子で私の子孫は絶えます。その覚悟をしなければならない…」 それに対して東田直樹氏(彼も自閉症だ)が返した言葉だった。 なんとストレートな遣り取りだろうと思った。 手紙をコピーさせていただいた。    僕は命というものは   大切だからこそ   つなぐものではなく   完結するものだと考えている   命がつなぐものであるなら   つなげなくなった人は   どうなるのだろう   バトンを握りしめて   泣いているのか   途方にくれているのか   それを思うだけで   僕は悲しい気持ちになる   人生を生き切る   残された人はその姿を見て   自分の人生を生き続ける   *NHKのwebページより

世の中ピリピリしてるから、おいしい朝がいい^^

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  朝起きたらお水を200㏄。 必ずね^^ で、今日の朝食(もう11時を回つているし…)。    写真撮るの忘れた~~ 献立表 ・ベビーリーフのサラダ    オリーブオイルと酢、醤油(又は岩塩)を少々かける。 ・スープ    かぼちゃを潰して冷凍しておいたものを豆乳加えてミキサーにかける。 ・ライ麦パン(ライ麦の粒入り^^)    ライ麦率が30~40くらい。田舎だからこれしか手に入らない。    普通ライ麦パンはトーストしないのだろうな…だけど、    でもこのパンは粒が入っていてカリッとトーストすると美味しい。    私は好きだ。    オリーブオイルと岩塩をパラパラ(美味しいから~)。     ・ししゃもの燻製    桜のチップでスモーク。    昔はスモーカーで燻製を作り、アウトドアを楽しんだのだけど、    引っ越しを決めたとき捨ててしまった。    後悔したのだが後の祭り…    で、やや満足ができないけれど、    フライパンで作るようになって久しい。    スモークが(チップが桜だし)ソフトになって物足りないかな…。    でも、わたしはこれくらいでいい、それなりに満足。 簡単燻製のレシピ ●材料 ししゃも…6匹 ローリエ…2~3枚 ・アルミフォイル ・スモークチップ ・クッキングシート *ししゃもは干物だからそのままでOK  水っぽいものをスモークする時は水分を飛ばして(干す等)から調理。 ●作り方^^! ①フライパンにアルミフォイルを敷く。 ②チップを敷き詰める(チップはDIYなどで)。 ③チップの上にクッキングシートを敷く。 ④クッキングシートの上にししゃも、上にローリエを置く。 ⑤中火にかけて煙が出てきたら蓋をする。 ⑥弱火にして10分ほど(大きさや、好みで調節してください)加熱。 *燻製の匂いが少々つくかもだから、調理後はフライパンと蓋を洗ってね。 *プライパンは深さがあるといいのだけど、私はいつものを使う^^

月もたのまじ

今日が最後の雪になればいい。 寒い冬にはそう思っていたものだ。 暑ければ暑いで、もう夏などいらないと言う。 寒ければ寒いで、もう冬などいらないと言う。 何故かとてもひ弱。 思えば近年、 冬が穏やかになっていた…、それも去年までは^^ 確か、子供の頃はかなり雪が積もったものだった。 陽はのぼるものだし夜は明けるものだけれど 冬の寒い日は、遠くの山から冷たい朝が降りてくる、そんな感覚があった。 日本海側から冬の季節風が 伊吹山の麓(関ケ原)につながる回廊を通って吹き下ろす。 この地域で伊吹おろしと呼ばれるこの風に乗って 真白の雪に覆われた底冷えの朝がやって来る。 それが、冬の朝にある記憶だった。 もう、二度と見ることもなくなったものの 実家の、西窓の枠に切り取られた 寒々とした伊吹山を肘をついて眺めていたものだ。 その四角い領域に全てが畳み込まれ 毎週のように続く寒い朝を思い出した。 歌は秋の伊吹山 前詞:「戸を開けば西に山あり、伊吹といふ。    花にもよらず、雪にもよらず、ただこれ孤山の徳あり」    そのままよ月もたのまじ伊吹山    芭蕉 凛と伊吹山のごとくありたいもの。

恋の辻うら

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  居を移して1~2年頃だった。 法被姿の地下足袋という出で立ちで リヤカーを引くお豆腐屋さんを見かけたことがある。 一度っきりだ^^  銀座で仕事をしていたころは 秋は石焼き芋、夏はアイスキャンディー屋がやって来た。 塔屋階(ペントハウス)にあった会社の窓を開けて、 引き売りのおじさんを呼び止めたものだ。 「待ってて!」と手を振ると、 おじさんも見上げて手を振ってくれた。 大抵は決まった時間にやって来るから、 その頃になるとソワソワだ。 オペラント条件づけかも^^ 今、都会の引き売りは、欧米に真似て洒落たキッチンカーが走る。 移り住んだこの町外れは、竿やスイカをのっけて軽トラが走る^^ 昔は引き売りの掛け声に季節や一日のリズムがあった。 お豆腐屋さんの引き売りの声は 記憶の中で、早朝にあってそれは一日の始まりで、 夕暮れにあってそれは一日の終わりだった。     のだけれど… 好景気に沸いからと無計画に開発された町は、 公園の子供の声を嫌い、年末の除夜の鐘を嫌い、引き売りの声を嫌った。 私が移り住んだころは既に、 土曜の夕方をお豆腐屋さんのラッパ(?)の音が 申しわけなさそに小さく響くだけだった。 暮らしの時を刻んだ音も、今じゃ騒音以外の何ものでもないのだね。 昔、おみくじを売る辻占文化が夕方の街角にあって、 縁起を担いだり恋の成就を楽しむ、それは粋な文化だった。 江戸時代には、おみくじを引き売りする姿に引き継がれ、 明治・大正時代には 「淡路島通う千鳥の恋の辻うら」と幼い掛け声が響いたらしい。 けれど、 今じゃフワフワの皮に恋のみくじを入れて 金沢のお正月限定のあそび菓子になって残る。 この「辻占」結構お値段が高い。 失くした文化への郷愁は高くつくものなのかも^^ たかが引き売りだけど、目まぐるしく変貌した歴史の片隅に 喜怒哀楽を生きた時代の涙や笑が詰まっているんだ。 「恋の辻うら」のおみくじを楽しんむ人々に流れた時間のように 目覚めることのない記憶をねぐらに。

コロナ禍の自粛、暇な君から☎

「…。 ところで、アリスは鏡の国で全てが逆さまの体験をするじゃない。 だけど鏡を覗き込むと、反転しているのは左右だけでしょ。 でも左右だけで、なぜ上下は反転していないのかって不思議」だって。 手足もぬくぬく、よい塩梅にお目目も平和協定を結ぼうとした矢先、電話だ。 いったい何時だと思ってるの‼‼‼(⚓ ☜ これ怒りのつもりです^^) それにしても、 このままじゃ、眠れない!!! 私の小さな脳みそがコロコロと音をたてる。 いい加減にしてよ…といいながら… なんだかんだと鏡をいじる。 どっと背もたれに身を投げ、鏡を天井に差し出して覗く…、 と、、、 そこにぶら下がっているような私は、 左右と上下が両方反転しているように見える? 床に垂直に鏡を置くと、奥と手前とが「反転」している! つまり、左右だけ反転しているのではなく 鏡に対し垂直な空間全体が、くるっとひっくり返ってる...(汗 そうゆうことなんだと…、分かったつもりになる^^ 鏡の面に対してその垂直な空間がゴロンと反転している! まるで袋をひっくり返したようにね。 きっと左右だけ反転しているように感じるのは、 目が左右に二つあることに関係するような気がする。 なぜって、壁に立って、といっても、 壁に立つなんて忍者じゃないから出来るはずないから、横になる。 例えば右肩を床側にして鏡をの覗き込むと、 鏡の向こうでは天井と床(天井側の左肩と床に付く右肩)が反転して、 左右の壁、つまり横になった状態の頭の壁と足元の壁は反転していない。 頭を上(天井)としたら足元は下(床)のままってことなのだ。                うんうんと、一人納得する^^ さてこれで眠れるかなと思ったのだけれど お陰で暖房をセットしておくことを忘れていた。 ひんやりとした寝室のベッドに、まあるくなって潜り込むのだけど、 既に眠気は何処へやら飛んでいた。 駄目だ、ますます眠れなくなる。 そう言えば去年のイブの夜、妹からLINE。 「良い子は早く眠るものです。 サンタさんは良い子のところにしか来ないそうです」ってね。 そう、眠らなくちゃって、 少し遅れたけれど、アリスはちゃんと眠れた良い子だったのだけど… でもあの日、プレゼントは届かなかったし…(´;ω;`) 

朝々日は東より出で、夜々月は西に沈む

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「日々是好日」改めて正月もなく^^ 古代バビロニアやエジプトでは日の出、 アラビア、トルコ、ユダヤでは日没が、一日のはじまりでした。 ヒンドゥー暦、イスラム暦、太陰太陽暦、太陽暦によって、 一日のはじまりが違えば、一年のはじまりも違うようです。 太陰暦で正月を祝う習慣は中国をはじめに、アジアに多く残ります。 日本は、旧正月の言葉は残っても、行事は姿を消しました。 けれど日本に居住する少数民族の、宗教や文化の違いによるささやかなお正月は、 それぞれ行われているのでしょう。 多民族・多宗教国家のマレーシアやシンガポールなどは、 既にお正月が、年に4回認知されているようです。 移民社会の、一つの側面を見るようですね。 少し意外な、イランの春分の日のお正月。 ヒンドゥー教の10月下旬から11月頃のディパバリ。 きっと調べれば、年中様々な好日のはじまりがあるのでしょう。 思えばこの片隅の一人ひとりの誕生や人生の機微365日のすべてが、 日々是好日になのかも知れません。 いつか、文化において国単位のアイデンティティと言うスタンスは薄れ、 あらゆる国で多くの文化が混在する時代になるのかも知れません。 既に悠々と時が過ぎ、 何一つとして戻りはしないということ。 私事ですが、 本棚の子引き出しに懐かしい水茎を見つけ、 個人的価値観の構築を意識した数年に 坦々と時を過ごす、それしかないと結論の年です。 「行雲流水」、 特別な日もそうでない日も、生きてる間は 欲しい! う~n、間違えているし…^^ 「朝々日は東より出で、夜々月は西に沈む」のだと、ただ納得。 どんなに恋しくても太陽はつまむと火傷しそうですし、 おっ月さんはあまりに冷たくて… 恋こいて摘まんとするか寒の月  あきのの