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ゆきあいの空とさんま

  一雨ごとに秋めいて、少しけだるい雨上がり。 過ぎ行く季節と来る季節の狭間、ふたつの季節が混在する空を 『ゆきあいの空』と言う。 なんとなく大人の季節だ. 夜空では早々夏の星座が傾く南西の空に、細い月と金星と赤い星、 名残惜しそうに傾いた夏の星座の中に、秋が揺らぐゆきあいの空。 9 日は月の左側に離れて金星が輝き、金星の左側にはさそり座のアンタレス。 翌日の夕方 10 日には、金星は月の右側へと位置を変えアンタレスは月の左下。   金星に比べるとアンタレスはずっと暗いけれど、 西に沈む印象的な赤い星は星座の夏に終わりを告げるようで、 日の入り後の刹那、心惹かれる光景だ。 細いほそい月に、赤いアンタレスと金星が寄り添う。 名残惜しい夏の星座と寂しげでもある秋の星空。   とは言え、食欲の秋でもあって…、 缶詰じゃなくてやっぱり塩焼きにしてカボスや、スダチで食べたい。 目黒のさんまも昔は笑えるほどの食べ放題で安かった…のに。 今じゃ秋のさんまが一尾 800 円也、食欲の秋も遠のくようだ。

十五夜

    子供の頃、よく月を追いかけた。   けれど、追いかけても追いかけても その距離が縮まることはなくて… いい加減にしてねとあきらめれば、 なぜだか私の後ろをついて来る。 何てあまんじゃくなおっ月さんだろう。   銀座通りから東銀座へ行くまでの途中に路地があった。 間口一間半ほどの通りに、いくつかの飲み屋が軒を連ねていた。 そのうちの一軒の暖簾をくぐると、「いらっしゃい」 白髪交じりの髪を、小奇麗に結いあげた女将が迎えてくれる。 店は飲み屋の賑わしさなどもなく。 たいていは一人、せいぜい二人連れの客がほとんどで、 客たちは背負う荷物を降ろし、ひとときを過ごす。 「男子家を出ずれば七人の敵あり」 男の見栄とか、仕事のプライドとか、競争社会のだまし合いとか…、 そりゃ人の付き合いも難しく苦労も多い時代だった。 もちろん女もね^^   女将は元新橋芸者だった。 着物にたすき掛け、その振る舞いに雰囲気を残していたけれど、 あでやかな張りのある女はとうに姿を消し、 枯れた穏やかさが心地よい空間をもたらしてくれていた。   店の名前は「雨情」といった。 「雨上」あめあがりと書かれていたかも…? でも、どちらも良い店名だ^^   十五夜お月さん母さに もいちど私は会いたいな  野口雨情   雨上の路はぬかるみ、水溜には火影うつる    国木田独歩     あれから、 このようなお店にお目に掛ったことはない。 昨夜、しとしと雨は上がらず、 まんまるおっ月さんにも御目文字かなわず^^

長月の月

  きみが手を添えてくれたらいいのにと 二日満たない長月の月         /あきのの   このご時世 「少しさびしくある…」と呟いた私に 「ヘッセの『霧の中』知ってる?」君は云った。 そうか、 たくさんの星に囲まれていても、月も一三の夜ってあるものだし…。   満ちる日を待つ楽しみなのか、 それとも、 人間には尽きない欲望があるから、   だから、 いつも少し、 満ち足りないままなのか。

気まぐれ美術館       

白洲正子が心酔したというから、いい男だったのか … ? そう思ったのだが、そうでもなさそうだ。 しかし、何故だか女にモテたらしい。   『肉体の門』の著者田村泰次郎から画廊を引き継ぎ奮闘。 文筆家を志していたことも大きかったのだろう、 無名な画家を世に送り出してきた洲之内徹という人。   「君に洲之内さんを会わせてあげたかった」 彼がそう言ったのは昔のことになる。 某社の記者だったころ、 美術雑誌の編集長として引き抜かれたのが縁で 往年の洲之内徹と知り合ったらしい。 既に詳しい話を聞く術など無くなってしまったが、 彼が亡くなった年、 宮城県美術館に残された洲之内のコレクションを鑑賞しようと訪ねた。   彼から聞いてイメージしたほど、洲之内が『佳』とした作品と、 わたしの嗜好とは一致することはなかったが、 コレクションと洲之内の女性遍歴とが重ならないのも奇妙だった。     そんな洲之内氏について、野見山暁治(画家)が批評した文章を A 氏という方がネットで引用したものの一部分だけ、 これまた引用させていただいた^^    どだい使命なんぞというケナゲなものは、このひとにはない。   幼いときから洲之内さんをよく知っている人の記述によると、   女と寝ている洲之内さんのところへ夜中、奥さんが突然やってきて、   ランドセルを背負った二人の子供を置いて立ち去る…。   なるほど、このエピソードは彼から聞いたことがある。 しかし、洲之内自身は自分の女遍歴に何を言われてもいいが、 無名の画家たちをさげすむことは許さなかったようだ。   洲之内が亡くなった葬儀の日、 北池袋の教会から郊外の火葬場に向かうバスの中で、男は私一人だったと、 ネットで A 氏は書いていた。 A 氏は綴る。    並みいる女性たち、   ほとんどが故人の折々の歴史を刻んだひとだと、後で聞かされた。   「本当か…」と著者は付け足しているが、どこかつくられた物語を感じる。 なぜなら A 氏は自分の文体にか、洲之内の自由な生き方にか、 酔いしれているように続けているのだ。    黒い喪服に包まれた女が席を埋めつくし、   いちようにおし黙って、ひたすら車の振動に身をまかせ、   同じ方向を辿ってゆくなんて、   これはシュールレアリズムの世界、   見ごたえのある洲之内コレクションだった。 文筆家が陥る言

雨夜の月

久し振りの月だ。 昔むかしある偉い人が 「月は天上界に支配、リンゴは地上界に支配、 だからリンゴが落ちてきても月は落ちてこないのだ」 それに納得しなかったのがニュートン。 引力は離れれば離れるほど、とても小さくなるらしい。 先生はこれがニュートンの「万有引力の法則」だといっていた。 じゃあ「リンゴを高く上げていったら月になるの?」と聞いたら、 そうでもなさそうだ。 月が落ちてこないのは月は自分で仕事をしていて、忙しいのだ。 これが「ニュートンの運動方程式(オイラーが数式化)」だと言って笑った。 あれから幾年、 手を伸ばせば届きそうなのに、月は今宵も忙しそうだ。 追いかけても追いかけても追いつけなくて あきらめ帰ろうとしたら後ろからついてくるし、 何だか天邪鬼(あまのじゃく)な月だと思う。 叶わぬ思いを 傘を持ちだして君、おっ月さんに歌う   傘かして あげてとねだりし 雨夜月  /あきのの 

見えない次元

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だけど、目では、なにも見えないよ。 心でさがさないとね。 The Little Prince 急に降り出した雨。 雨宿りに立ち寄った珈琲屋さんで 恋人らしき二人の会話が聞こえてきた。 「だって、ちゃんと説明してくれなきゃ分かるわけないし、 あんたの次元は高すぎて、私には見えないのよ!」 えっ、次元が見えない? 見えない次元って『超ひも理論』の事!!! 20世紀の最大の発見とされる一般相対理論に  量子論を融合させた万物の理論が研究されていて  今日、超ひも理論が流行の最先端だ。 もちろんですが、「<strong>ひも</strong>」と言えど、 間違っても女性にたかる男の話ではありません…^^ ひも理論を説明するためには 私たちが体験することができない次元が必要だというのです。 偉い人が言うには、この多次元 「性能の悪い顕微鏡で見れば、遠くにある送電線に小さな蟻が 螺旋を描きながら移動していても見えないのと同じなのです」 だそうです。 可愛い彼女が涙声で抗議する気持ちよくわかる。 そうなのよね、そんな蟻さん見えるわけなんかないよね。 だからって、どうするのって言われると困るけれど… 次元を超えて多次元をみることなんかできないのだし  人間の目で見ることのできる世界には限界があるわ。 そこは性能の良い顕微鏡じゃなくて、 やっぱ、心でさがさないとね。  (*´v゚*)ゞ …と、思っていたけれど、 だけど、、、 やっぱ、、、 見えないものは見えるわけないんだから。

生きる価値

    きっと、探していたものとは異なる答えを見つけたのだ。     数年前の記録映画。 邦題 :『ダウン症のない世界?』 原題: A World Without Down’s Syndrome? 制作: Dragonfly Film & Television (イギリス  2016 年)     ダウン症の息子を持つ女優で脚本家(サリー)が 出生前診断の結果を受け、中絶を選ぶ女性が多い現実に 医師や制度の問題点を探るものだった。   出生前診断の精度が上がったことで、 イギリスではダウン症の子どもが生まれる確立が高い場合、 90%の女性が中絶を選ぶデータが紹介されたていた。 高福祉社会のアイスランドでは100%とのことだった。 日本ではどうなのだろう?         ダウン症( 21 トリソミー)協会によると、 2013 年に新型出生前診断( NIPT )が導入された日本では 現在までに NIPT 陽性で出産に至ったのは 3 例しかないとのこと。 つまり 99% 以上が人工妊娠中絶を選択している。 命の選別だと言われもするが、深い悲しみがその裏にある。 そう思うと、パラリンピックを控えて 未だにコロナ重症患者の命の選択を、 あなたのその軽い頭の中に、まるで哲学があるかのような顔をして 軽々に口にする愚かな医師がいるのは何とも悲しい。 あなた達は学ぶべき何かを間違えている。