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ポラリス            

北窓から空を見上げた。 ポラリスは天の北極に 位置し、 この星を中心にすべての星座が回転している。 少なくとも、現時点の地球からはそう見える。 数多の星たち全ての中心に君臨するみたいだけれど、   ポラリスが 北極星と呼ばれはじめたのは、たかが 2000 年ほど前のこと。 それ以前の人々が北極星としていたのはといえば、 同じこぐま座のβで、それ以前(古代)はりゅう座のα。 エジプトのピラミッドが北入り口を向けた北極星は りゅう座のαだ。   ポラリスの 後に、 北極星になるのはこと座のベガ。 何だか人間世界の争い事があほらしく見えてきた。 「ロシアが世界に存在しないとしたら、なぜ世界が必要…?」 プーチンの歴史観からくる強気な発言だ。  無知なわたしも、ロシアの文化だと思っていたものの多くが、 独立したウクライナに残されていることを知った。 それは国土的には広大なロシアだが、プーチンにすれば 「庇をかして母屋を取られる」的な思いが募るのかも知れない。 ゼレンスキーは指導力と国民を引き付ける魅力があるのだろう。 けれど、色々学んで行くと、 状況を見据えた思慮深さが不足して、 地雷を踏んだ気がしないでもない…。 それとも、満を持してだったのだろうか。 民族や宗教の争いごとは絶えることなく繰り返される。 大陸続きであると言う地政学的な混乱の中、 自分の国を造るという段階を、まだ終えていないようだ。 それにしても、私個人として、 エネルギー政策(脱炭素)の方針転換もそうだが、 世の中、事に欧米のヒステリックな行動には驚くことが多い。 ドーピングは問題だけれど、今回 の冬季オリンピックのボイコットも、 ロシアの曲を演奏するとかしないとか、指揮者の交代やボイコット。 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」的、大衆の短兵急な思考。 それに迎合する政治家や企業人、マスコミも納得いかない。 黒人問題が再燃したときのような、 『風と共に去りぬ』の上映を禁止を声高に叫んだり、 本を廃棄したり燃やしたりする行動は正直理解不能だ。 欧米の熱狂的ジェンダー問題もそうだ。 そもそも「女らしいね」って言っちゃいけないなんて、意味不明。 ウクライナの戦時下をリアルに見ていると、 女というものも、男というものも、性的マイノリティ―も存在する。 女だから…、男だから…、というのは問題があるとは思うが、 女らしい、

脱炭素             

オルバースのパラドックス。 あんなに星(恒星)があるのになぜ夜空はくらいのか? 夜が暗いのは、宇宙膨張によるからという説明はウェッソンが否定。 新説は、私たちが今見ている宇宙はまだはじまったばかりで、 完全に光り輝く時間を経ていないからだという。 つまり、光り輝くためには、距離や時間や星の密度が、 実際の宇宙の大きさ・年齢・密度より、 およそ10兆倍ものレベルになる必要があるらしい。 だから オルバースのパラドックスは、 そもそもその前提が成立しないことになる。 ということは、 ある長い時を経過して10兆倍ものレベルになる時が来たら、 暗い夜空は姿を消して、 まばゆいばかりの光に満たされた時代がやってくるということ? ということは、夜がなくなるってこと…? 夜が暗くなければ自然光発電も24時間活用が可能になるし… 何てことだろう、全世界の時間も共有できるから、 時差ボケなどはなくなるかもしれないし… そもそも脱炭素や二酸化炭素CO2など温室効果ガスの排出削減も、 サスティナブルだなんて騒ぐこともなくなるkana。 けれど、 夜がなくなって星月夜の楽しみがが阻害されることは気がかりだ。 人間の精神に異常をきたすことはないだろうかと、心配もある。 えっ!星が見られないのは物足りないけれど、 それ以上に憂えることがあるって…? 「眠れない夜のために”読書”… じゃなくて、”お酒が飲めなぁ~~~ぃ!」と誰かが叫んでいる^^ いいえ、ご自由に昼間からどうぞ…。 と言えど…、宇宙が光り輝くまで待てないし、、、 誰も待てないよね、地球も人類もそのものが待てないし… だったらCO 2 は石炭を100%とすれば石油が80%天然ガス60%だ。 化石燃料の二酸化炭素排出量を減らす日本の技術に期待…? EUのように頭から石炭・石油は駄目だとするのは 日本や貧しい諸国いじめに過ぎない。 欧米はいつも同じやり方で日本の頭を押さえてきた。 私としては原子力も必要だと思っているし、 バランスのよいエネルギー調達は、 資源のない日本の国策として必要だと思う。 自然エネルギーに全てを求めることは日本の環境条件に無理がある。 フランスもロシアへのエネルギー依存のしっぺ返しで原子力を見直すとしている。 太陽光発電は不安定だし、蓄電池を含め、家庭での設備維持メンテは大変だ。 電力ロスへの対策も考慮の必要があ

豊かさ             

有罪か無罪かの支持をする気はない、 しかし、私には腑に落ちない判決理由だ。 他人のPC使う暗号資産獲得プログラムの利用、最高裁 で逆転無罪 2022年1月20日 asahi  ウェブサイト閲覧者のパソコン機能を無断で使って暗号資産( 仮想通貨 )を得るプログラムが違法かどうかが争われた 刑事裁判 の判決で、 最高裁 第一小法廷(山口厚裁判長)は20日、プログラムについて「 社会的に許容しうるもので不正性は認められない 」と判断した。被告を罰金10万円とした二審・ 東京高裁 判決を破棄し、逆転無罪とした。裁判官5人の全員一致の意見。 分からない事1 「社会的に許容しうるもの」ってなんだろう。 裁判長のいう『社会的』の定義が分からない。 企業や商業主義サイドの社会? 1%の富裕層と取り巻きの社会? 夢に生きるメタバースの社会? 彼らの社会の影で 映え写真の流行る途上国では死者が絶えないし、 イイネの功罪やSNSなどのいじめの増殖もだけど、 モデレータ―の問題も残酷だ。 TikTok (ティックトック)のモデレーターが、生々しい動画による精神的トラウマを理由に、同ソーシャルメディアプラットフォームとその親会社である ByteDance (バイトダンス)を訴えた。(ブルームバーグ) 2018 年、 Facebook(現メタ) に対して 同様の訴訟 (←過去記事)があった。 分からないこと2 園田寿・甲南大名誉教授の弁 コンピューター犯罪に詳しい園田寿・甲南大名誉教授(刑法)は「新しい科学技術は善にも悪にも使える。社会の進展に資する場合もあり、警察は実際に被害が生じるおそれが出たときに介入するのが望ましい。 君が言う被害が生じるおそれが出たときとは、どんな時なの? 学者の正義とは何なのだろう、彼らには不要なことなのかな。 そもそもコインハイブとは 「第三者のパソコンのCPU(中央演算処理装置)を無断で使って行うこと」 何だか判決に至った理論構築って(ニュース記事の知識のみだけど)、 今後ネット社会の競争に勝ち抜くためには、 金額が1円だったら盗んでも犯罪にならないといっているようだ。 一億人に対して1円づつ盗めば一億円になるんだけど…。 つまるところ、被告人は、『塵が積もって山』を狙った行為だ。 分からない事3 ウェブサイトの広告レベルと変わらないから無罪判決というのも変だ。

灯油一缶と帰宅 

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昨年、友人の家で石油ストーブの上にお湯が沸くのを見た。 灯油を燃焼すると大量の水蒸気が放出されるけれど、 そこのとこは室温が上がれば飽和量も増えるから、 どれくらい湿度が適切になってくれるかは分からないものだけれど、 加湿器から放出される水蒸気は味気ないものだなって思った。 我が家の暖房は電気で補っている。 パネルヒーターやオイルヒーターは立ち上がりが悪いし 強風でエアコンも使って、遠赤ヒーターも使う。 乾燥がつらいから加湿器を使って45〜55%を何とかキープ。 誰だか 「銀杏はね雄雌があって、雌は40個に一つしかないんだ。 一妻多夫の世界なんだね」といいながら、 石油ストーブの上で銀杏を焼いていた。 私は思い切って石油ストーブを購入したのだけれど、 肝心の灯油が無いのに気が付いて、 近くのホームセンターに走った。 ホームセンターの前には「早咲きのチューリップ」が芽を出していた。 手が伸びそうになったけれど、 人間のエゴで冷蔵庫に長期閉じ込め、低温処理をして 花を咲かせるのも何故か切なくて、 おやゆび姫を育んだ花はチューリップだったよね。 雪の中じゃおやゆび姫も寒かろう…。 チューリップは諦めて、灯油一缶と帰宅した。 さて、 ストーブの上で銀杏を焼く。  

秋のねざめ           

  この秋は 帰り来なむと    朝鳥の  音づれぬれば    さ牡鹿の  朝臥す野辺の    秋萩の はぎの初花    咲きしより  今か今かと    立ち待てば  雲居に見ゆる    雁がねも いや遠ざかり    行くなへに 山の紅葉は    散りすぎぬ  もみぢは過ぎぬ    今更に 君帰らめや    ふる里の 荒れたる宿に    ひとり我が 有りがてぬれば    玉だすき かけて忍びて    夕星の  か行きかく行き    さす竹の 君もや逢ふと    わけ行きて かへり見すれば    五百重山  千重に雪降り    棚曇り 袖さへひぢて    慰むる 心はなしに    からにしき  立ち帰り来て    草の庵に わびつつぞ居る    逢う由を無み    大愚良寛

不完全な美  

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ゲームの公平な利益分配を考えていて 発見された といわれる三角形がある。 パスカルの名前がついているけれど、 何世紀も前の学者たちも研究していた不思議な三角形だ。 三角形そのものは単純な構成で成り立っている。 一つの数は、その上段両サイドの2つの数の和で導かれる。 例えば中央の縦のライン1・2・6・20を着目すると、 その上段の両サイドの数字、 2ならその上段の1と1、 6ならその上段の3と3、 20ならその上段の10と10 を足した数字になっている。 これを繰り返し、 パスカルの三角形は左右対称のすそ野を広げてゆく。 1 1 1 1 2 1 1  3 3 1 1 4 6 4 1 1 5 10 10 5 1 1 6 15 20 15 6 1 1 7 21 35 35 21 7 1 パスカルの三角形 それだけのことだが、 ここに美しいと言われる数列 [*1] が偶然重なっていた。 空間プランの仕事をしていたころ、 意識的にであれ無意識的にであれ、 お世話になったバランサーたちが パスカルの 三角関係に隠れていたのだ。 美しいバランサーは他に「 白銀比」というものがある。 その一つはルート長方形、 日本では別名「大和比」 と呼ばれているものだ。 この1:√2のバランスはとても日本人好みなのだそうだ。 中国やヨーロッパ文化のバランスから抜け出した 日本独自の美意識に通じるらしい。 そこのとこの想像力や着眼力は 欧米にない日本独自のセンスがあるように思う^^ 日本独自のセンスを例えてみると、 幾何学的左右対称のフランス庭園と異なり、 自然に調和した日本庭園の美や、 左右非対称の阿吽像や京都御所の桜と橘もそうだが、 日本で生まれた左右非対称の伽藍配置だ。 日本陶芸茶碗の形状などに見られる「不完全な美」 と言えば分かりやすいかも。 もっとも価格を釣り上げる骨董趣味の収集家というセンスじゃなく。 この作品は不完全すぎますけれど^^ それはさておき、ふと気が付いたことがある。 学者たちが完ぺきの美を求めた「神の数式」。 数式は 美しさに導かれると 重さがゼロになるという矛盾にぶつかった。 重さがゼロと言うことは、すべての物質が飛び出してしまい、 理論上、この世界の全ては無になり 存在することができないことになるらしい。 それを解決したのが日本の南部陽一郎氏。 彼は「完ぺきの美は壊れ

ゾウの時間  

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去年のテキストのつづきです。 私たちは教育の中で、 時間を絶対的な単位で捉える物理学を学んだ…? 多分。 だから、あなたも私も世界中の人が、各々 生きている時間が どんなに違うかもしれないなんて疑うことなく生きている。 そう、一分、一秒を同じように刻んで生きていると思っている。 そして同じように、そこに存在していると思っている。 ガリレオは邪魔するもの(空気抵抗の力学)が無ければ、 鉄の塊も鳥の羽も同じ速度で落下するといったのだけれど、 何年前だったか、 『 ゾウの時間ネズミの時間 』 という本を読んで、 私はゾウの時間を生きているかもと思ったのだ。 つまりこうだ(理解力が未熟かな^^)。 一分一秒が同じように流れていると思うのは人間が決めた事であって、 他の動物にはそれぞれ違う時間が流れているというのだ。 ゾウもネズミも一生の間に打つ脈の総数はほぼ同じで、 ゾウは70年ほど生きるが、脈拍数はネズミの寿命と同じ15億回。 ゾウもネズミもそれぞれの一拍を時間の単位として捉えれば、 ゾウもネズミも同じ年齢の一生を生きたことになる。 そこから導き出され、理論づけられていたのが、 サイズによって時間の感じ方が違うのではということだ。 ゾウとネズミでは体重が 10 万倍違い、時間は 18 倍違うだろうから、 ゾウはネズミに比べ時間が 18 倍ゆっくり流れているということになるらしい。 時間の流れる速さの感じ方が違うと言うことは、 機敏に動くネズミはゾウにとって目にも止まらない速さに映り、 ゾウはネズミにとって、微動だにしていないように映る。 だから、ゾウとネズミをとても高いところから落とすと、 邪魔するものが無ければ同じ速度で落下することになるから、 ネズミが感じる落ちてゆく時間はゆっくりで、 ゾウが感じる落ちていく時間はあっという間だというのだ。 落ちていくという同じ条件下の時間の中で、 ネズミにはゆっくりと時間が流れる。落ちながらネズミは死を哲学するかもしれない。 しかし、ゾウの時間には考える余裕などない、 落ちていく自分を認識することなくアッという間に落下を終える。 私はゾウよりとても小さいけれど、本当に鈍くて抜けたところがあって、 そうか、ゾウの時間を生きているのだと、 そのとき思った。 さて、母の三つの教えは四六時中こころにあったわけではない。 必ずしも高尚な生命体