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チューニング

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バイオリンが押し入れで眠っていた。 「弾けるかな…?」と、思ったけれど、 やっぱりだめだった^^ 右手首を複雑骨折してから、力も入らなくて弓も持てやしない。 冬になるとシクシク痛むし、年の所為にしてみるのだけれど、 まあ、素人だから仕方ないかと諦める^^ でもね、こころの慰めになるかなってね、 も一度はじめようかとチューニングしてみた… 松ヤニって20年経っても大丈夫かな? ガサガサと酷い音だ、馬毛の張替えが必要かも? それにしても、なにより手首が動かなくて痛い。 こりゃ駄目だと思ったけれど、 『五木の子守歌』を弾きたいのだ^^ がんがばってみよう!

枕辺の刹那から帰宅

  枕辺の刹那から帰宅 一富士二鷹三…、ではなく 初夢ならぬ、一ヶ月遅れの夕べに見たのは「せつない」夢だった。 「せつない」とは、 こころにかけ、相手を深く気遣うこと。 人を深く大切に思うこころそのものだ。 淋しさも、いとしさも、人の弱さとはそのようなもの。 人の淋しさそしてやるせなさも人や命への、 深いいたわりの心にあるということだ。 わたしの人生、多分、この「せつない」に支えられていた。 だけれど、今、支柱は錆びて傷だらけかな…^^ いつ頃から見続けていたのか、 ほんの一瞬の筈だった枕辺の刹那から 覚醒のグラデーションを帰宅する。 おかえり~

風は吹く

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CODA (コーダ): Child   Of   Deaf   Adult とは、   耳の聞こえない親の元に生まれたヒアリングの子供たち。 彼らは、デフ ( ろう者)、ヒアリング ( 聴者)、 どちらの世界にも属せず孤独のうちにいる。 これは再放送された某番組のリード文要約。 東北大地震で聴覚障害者の死亡率は   健常者を含めた全体の死亡率の 2 倍なのだそう。 私は友人になろうとしていたろう者の女性を喪った。 そう、色々な障害があり、障害を持つことは大きなハンディ負う。 冒頭のドキュメントような二次障害(?)は、様々な状況に見られるもの。 ろうの子供を持つ親の心も理解する必要をあるって思ったのだけれど、 ろう者の間にも、ろう者と聴者の間にも、 橋渡しをしようとする方たちとの間にもバリアがあるのね。 「第二の言語を持つことは第二の魂を持つことである」   カール大帝が語る「魂」は、 それら言語に育まれた文化一つひとつに命があると言っているのだと思う。   大切なことは、 「手話」が私たちろう者が自らの道を切り拓いてきた 「生きる力」そのものであり、「命」であることです。 -全日本ろうあ連盟-   ろう者にとって「手話とは生きる力であり命である」との言葉は、 カール大帝の「魂」を裏付けるリアルな現実だと思う。 ろう者とその家族、そして健聴の私たちの間にある空気。 すこしさみしく感じるけれど、   どんな社会も様々な問題を抱えているものだ。 それらを知ったかぶりで声高に話す必要もないと思っていて ここでは、素敵なニュースを紹介したい^^ v 世界で一番新しい言語として、ニカラグア手話が認知されていた事だ。 1970 ~ 1980 年に自然に発生したニカラグア手話も日本手話と同じ歴史を歩み、 その間ろう者の子供達の間だけで交わされながら、子供たちの力で文法化され、 手話を確固たる言語として成立させていたと記されていた。 子供たちの素朴な願い(みんなと話がしたい)が言語を生んだのだと思う。 きっと、全ての言語のはじまりは、 他者とコミュニケーションが取りたいという、 素朴な思いから生まれたのに違いないと思う。

sour grapes

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近頃、「どうしちゃったのかな?」と思うことも多く。 子供じゃないのだし、人間をやっていること自体、 理想ばかり追いかけていられないのも現実だ。 いろいろと、人生のイベントは、全ての人に平等に巡る。 やや愚痴も出てしまうほどに草臥れていたようで^^ 弱気の実も収穫を待たず、ボロボロこぼれ始めていた。 とばっちりを受けた人もいたりしたかな。 久しぶりのsour grapes(負け惜しみ)に忖度だ。   <strong>酸っぱい葡萄</strong>   高い木に、美味しそうに実るブドウを見つけたキツネ。   懸命に跳び上がって取ろうとするのだけど、   ブドウは高い所にあって届かない。   なんど跳んでも取れないものだから、キツネは諦めた。   「きっとブドウは酸っぱいに違いない」と、理屈を付け、   こころの平静をコントロールし、その場を去った。 フロイトは、これを『防衛機制』というのだけれど…。 いろんな理由をいっぱいくっつけて納得する。 そうすることで、負け惜しみに終止符を打つ… 気が付けば、そんな『防衛機制』が重なって、 負け惜しみをなだめる言葉も、使い果たしていたようだ。 わたしも疲れることもあるのだと、 自分の人間ぽさに感心したりする^^ けれど「じゃあどうするの」と聞かれたら、 「為せば成る…」でもないし、 「なるようになるさ…」ってことでもない。 きっと全て、「なるようにしかならない…」。 独り、落ち込んだこころをなだめて、冬眠前の鰻を贅沢する。 「ほら、一緒にくれば食べられたのに」と 誘いに応じなかった友にメールを送る。 このメールも負け惜しみの防衛機制かも知れない…? そして、防衛機制には予期しない出費もあるらしい。 予期しない出費は持ち合わせも無いから、カードで精算する。 お財布には、「痛い」という感情があった気がするのだけど、 比べてキャッシュレスは、 リアルに痛いこころが伝わらない。 人と人の間で痛みも伝わりにくくなった、 人間●●レスの時代かな…^^ 防衛機制も忖度の方法を考える必要あるのかな 。

鐘楼のパトリオティズム

地球温暖化が真実か分からないけれど、 この夏は、数回のシャワーが日課だった。 少し秋を感じはじめると湯船につかりたい気分だけど…、 ぶつぶつ独り言を言いながら、お湯を張った。 『ふ~ぅ…、やっぱり日本人かな~』 肩までお湯につかるとなんだか満足した。 2040年ごろにはこのお湯はどのエネルギーで沸くのかな? 自然頼みだけでは不安定だし地政学があるし、 この頃の、景観無視の太陽光パネル設置位置は美しくない。 きっとメンテも滞って、残骸が至る所で野放しになるだろうな~。 日本は土地狭いからせめて屋上とか屋根にしてほしい。 人口過疎という、進行性の病を診断され、 高齢者世帯が半数を占める地域なのに、 重箱の隅をつつく資本の食指は伸びてくるし。 豊かな高齢者が増えたのかも。 一つ筋を違えて近所には中国人のご夫婦が住んでいるし、 筋向いの裏にはアメリカ人のご主人と暮らす日本女性がいる。 隣の番地には一人暮らしのドイツ女性も住んでいて、 という私も父方にイタリアの血が流れている。 (嘘です^^) 名前を日本名にしている方が多く分かりにくいのだけれど、 韓国や朝鮮系の方は他国と比べるとかなり多い(日本全体?)と思う。 けれど、生活習慣や価値観の違いは少々あっても何の問題も起きていない。 鈍い私は取り立てて意識したことなく暮らしてきた、 それぞれの国の思惑が背後に絡むことを意識するまでは。 いつごろか市場の開放(欲望を背景に)に突き進み、 グローバリズムが実しやかに正当化された。 しかしそれぞれの民族がそれぞれ拠り所にした地域名産の宗教は グローバリズムのなかでの救世主にはなりえないことには気付かない。 自分たち強く繋いできたと思い込んでいる民族主義は好きではない。 「民族の伝統文化を守ろう」と言われると、 一言も反論できないくらい正論だけど民族ってなんだろう。 日本だって羽織はかまを捨て、刀も捨て、髪も断髪、 言葉は生きているのだと言ってね、 60、70歳の高齢者も、ギャル(孫の世代)と同じ言葉を使うし、 省略語を使わないと時代遅れみたいな目で見られたりするし、 けれど言葉を省略するって結構昔から日本の文化にあるんだね。 他国でも同じ現象があるようだし、 大和文化もアイヌ文化も捨てられたものがあって、 今でいえば「女

ユタとベル

手話を学び半年。 先週末、ろう劇団による「ユタとふしぎな仲間たち」を観劇した。 ろう者と健聴者に向けて創作されるゆえの困難さを 少しずつ改良しながら試行錯誤の舞台回しだった。 そこには彼らが社会から差別され、 隔離された歴史を背負っていたことなど、いささかも感じさせるものでなく ユタと仲間たちのエネルギーは舞台からあふれ出すほど逞しかった。 半年間、まあまあ続いたかなの入門編^^v その入門編の終わりに観劇した舞台だった。 あふれるユタ達(ろう者)の逞しさは、どこから生まれるのか気になった…。 サリヴァンにヘレン・ケラーを会わせたのが 電話を発明したグラハム・ベルだと講義ではじめて知ったのだけど、 それだけなら、さほどユタ達の逞しさも気に留めることも無かったと思う。 何故気に留めたかと言えば、 講義中、講師のグラハム・ベルに対する嫌悪を感じたからだった。 一言二言の話の中に、鈍い私にも引っ掛かるものがあった。 もちろん内情を知らないままで話を受け入れるつもりはないし、 どんな賢者であっても、人間は勘違いをするものだし、 …と思い、少しだけ調べてみることにした。 ベル自身は障害の母と妻を持ち、 父は人間の発するあらゆる声を一連の記号に体系化した 「視話法」の考案者。 ただし、視話法は現在使われていない。 ベルは父と共にろう者の教育や研究に心血を注いでいて その研究の副産物に電話が考案されたらしい。 そして講師に感じた嫌悪の要因は、多分、 1880年、 『第2回国際ろう教育国際会議(ミラノ会議)』において採択された 「手話を禁じ、口話を奨励(口話は優れ、手話は劣る)」 とした決議に端を発するもののようだ。 この決議が聴覚障害/聾者とその家族の、言語と尊厳を傷つけ、 多くの悲劇を生んだということらしい。 日本のろう者もだが、世界的に彼らの人権はかなり差別的で悲惨な状況下にあった。 当時、ベルは悪評高いミラノ決議の「手話を否定、口話を奨励」を支持し、 大きく関与していた。 そうして、ろう者の歴史に伝え継がれたベルの教育方針は、 ろう者とその家族の心へ、深く嫌悪の根を張っていったのだろう。 ユタ達の悲劇が手当されるのは、 ミラノ決議が誤りであると訂正されるまでに、 130年と

自由・民主主義の終焉に

1960年代後半は、公害や環境破壊の問題が深刻化した時代だ。 豊かさを求めて若い世代は都会へ移動、定住。 企業がサービスを拡充していくことで、 家庭を築く必然性は低下していったのだろう。 女性の時代という言葉のお墨付きは 個食の時代を生み、家庭の機能低下、 生活文化の喪失という時を刻んできた。 この小さな田舎町も、 独身貴族の増大に比例してコンビニや便利屋が増えた。 企業活動の基本として、 際限のない人々のニーズやウオンツは事業化される。 経済とは社会的な分業の枠組みなのだから、 家事の多くが外部へ分業されるようになっていったのも 必然なんだろう。 お金があればすべてが買える。 空腹も、介護も、あらゆるジャンルの飢餓状態を満たせるのだ。 お金に換算されないと思い、高を括っていたあなた、 そう、あなたの「おふくろの味」も今はコンビニの目玉商品なのだ^^v 「三つ子の魂百まで」は真実かもしれない、 けれど家族というものに幻想は持っことはもう古い。 何が良いのか何が悪いのかに、人類すべてに通じる共通項はなく、 多様性の時代なのだ。 最低、人が守らなければならない法規制を逸脱しない限りにおいて、 全ては自由。 大衆の多くは自由に豊かさを求め、 文化は大きく変貌を遂げてきた。 きっとどこかに置き去りにされたというか、 追いついてゆけないというのか、 民族や宗教の権利や自由も枠をはみ出て 郷に入れば郷に従えではなく、 そこに住む権利を要求すれば鬱憤が噴出する。 白人が移民の数の勢いに決起するのも理解できるけれど…。 それが、世界を悩ますポピリズムの台頭を促したのだろうな。 さて自由・民主主義の終盤は足音たかく闊歩するようだ。